地図からわかること(常盤台編)
僕は地図が好きです。
網の目に広がる道を見ていると、街の成り立ちが見えてきて、その歴史に想い馳せるととてもうっとりとした気持ちになります。
そしてときに「なんだこれ??」と思うような不自然な場所が見つかります。
街は人によってつくられているため、全ての要素がいきさつをはらんでいます。ただ、多くは人の流れや地形によって、なんとなく成り立ちは予想できます。
でも、その成り立ちがパッと見分からない場合があります。
それを調べて、あ~…となるのも僕は好きです。
今日はそうなったので、記事を書きました。
昼間、ふと気分転換に地図を見ていました。
そして、板橋区の常盤台というところでふと目が留まりました。
なんだこれ?
街は通常、道かモニュメントか駅を起点に広がるので、こういう初めに土地があって、それを囲むように道路ができるのは不自然です。
ここには必ず何かあります。何か特別な土地だったはずです。
そう思って拡大していきました。すると…
謎の袋小路が4つ…え、こわ…(汗)
まさか、この土地に伝わる伝説で、この地に捕らわれた妖怪を縛る楔が打ち込まれてるのかも…と思い、常盤台の歴史を検索してみました。
wikipediaで。
すると、わりと簡単に答えが記されていました。。。
以下wikipedia引用。
「北口側には1935年(昭和10年)に東武鉄道が沿線開発事業の一環として初めて行った宅地分譲により整備された「常盤台住宅地」が広がっている。内務省地方局が1907年(明治40年)に出版した書籍により日本に紹介された、米国の「田園都市」思想に基づいて設計された住宅地である。
先行して1920年代に目黒蒲田電鉄(東急電鉄の前身企業)が現在の大田区で開発・分譲した田園調布と比較されることもあるが、田園調布とは異なる、ほぼ楕円形のプラタナスプロムナードを中心とした道路網や、随所に設置されたクルドサック、ロードベイ、フットパスと呼ばれる構造物など独特な町並みを持っており、当時目指していた理想的な住宅地の姿が窺える。」
あ~、、、なるほどなぁという感じでした。
もっと数百年の歴史を感じたかった(ワガママ)。
元々東武鉄道が、西板鉄道の操車場用地として買ってた広い土地を、洋風のコンセプトの宅地としてプレミアつけて分譲したからこんなかたちになったようです。
クルドサック…
楔が打ち込まれた場所じゃなかった。。。
因みに西板鉄道というのは、東武伊勢崎線の西新井から、東武東上線の上板橋駅を結ぶ鉄道を作ろうという計画があって、途中で頓挫してしまった幻の鉄道です。
先走り汁(言い方)で出てしまったたった一駅の大師線という線路が、名残として残っています。
もし西板鉄道あったら、板橋区・北区・足立区の景色や経済力は結構変わっていたかもしれないなと思っています。
どうでしたか??
街の成り立ち想像したり、実際に確かめたりするの結構楽しくないですか??
期待とは違っていたけど、結構面白かったです。
それでは。。。
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