白川静 「漢字」

『” はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった” と、ヨハネ福音書にはしるされている。
たしかに、はじめにことばがあり、ことばは神であった。しかしことばが神であったのは、人がことばによって神を発見し、神を作り出したからである。
ことばが、その数十万年に及ぶ生活を通じて生み出した最も大きな遺産は、神話であった。 神話の時代には、神話が現実の根拠であり、現実の秩序を支える原理であった。
人々は、神話の中に語られている原理に従って生活した。そこでは、すべての重要ないとなみは、神話的な事実を儀礼としてくりかえし、それを再現するという、実修の形式をもって行われた。
神話は、このようにしてつねに現実と重なり合うがゆえに、そこには時間がなかった。語部たちのもつ伝承は、過去を語ることを目的とするものではなく、いま、かくあることの根拠として、それを示すためのものであった。
しかし古代王朝が成立して、王の権威が現実の秩序の根拠となり、王が現実の秩序者としての地位を占めるようになると、事情は異なってくる。王の権威は、もとより神の媒介者としてのそれであったとしても、権威を築きあげるには、その根拠となるべき事実の証明が必要であった。
神意を、あるいは神意にもとずく王の行為を、この根拠となるべき事実の証明が必要であった。神意を、あるいは神意にもとずく王の行為を、ことばとしてただ伝承するだけでなく、何らかの形で時間に定着し、また事物に定着して、事実化して示すことが要求された。それによって、王が現実の秩序者であることの根拠が、成就されるのである。
この要求にこたえるものとして、文字が生まれた。そしてまたそこから、歴史がはじまるのである。
文字は、神話と歴史との接点に立つ。文字は神話を背景とし、神話を承けついで、これを歴史の世界に定着させてゆくという役割をになうものであった。したがって、原始の文字は、神のことばであり、神とともにあることばを、形態化し、現在化するために生まれたのである。』

圧倒されます。
5000年前に生まれた漢字の字源を、原初の漢字である甲骨文字を通じて一人で読み解かれ、またその漢字の文字体系から、文字以前の世界観にまで迫られており、とてもスリリングでもあります。

東洋文明から西洋文明までを横断した深く広い世界認識に到達されていると素人目にも気付かされます。強調も水増しも装飾も寄り道も一切無し。本来の学者の方とはこういう方の事を言うのでしょう。

文字以前は儀礼や口伝えで伝承される神話の時代。文字発生以後から歴史が始まるという事も、本著で初めて知りました。

言葉の発生が10万年前、文字の発生が5000年前、文字が発生してからの文明の発達が凄まじい。文明というものが技術と知識の積み重ねであるならば、究極の文明の行き着く先は何処だろう。我々を何処に連れて行くのだろうか。発達には必ず良い面、悪い面が伴い、便利の増加と引き換えに危険も増加して行く。高度な制御、高度な倫理観を持って、どんどん険しくなって行く山の稜線を弥次郎兵衛の様に進んで行く他はない。

#白川静
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#ことばと文字

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