呉智英 「現代人の論語」

『第五十講 生身の理想主義者

或るひと曰く、徳を以て怨みに報いば何如。
子曰く、何を以てか徳に報いん。
直を以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。

(憲問篇14-36)
或日、以徳報怨、何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳。

ある人が孔子に質問した。徳を以って怨みに報いるというのは、どうでしょうか。老子以前にもこの言葉は諺のように使われていたのだろう。質問者には、自分の寛容さを誇りたい気持ちもあったかもしれない。しかし、孔子は言った。それならば、徳に対しては何を以って報いたらよいことになろうか。怨みには直き心を以っていればよい。徳にこそ徳を以って報いるべきなのだ。

ひどいことをされ、許せないと思う、逆に、自分にもありうることだと思って許す、また、忘れてしまいたいとも思う、これらが混じった感情が直だろう。怨みに対しては、これが最も人間らしい心のあり方である。だが、それを以って徳に置き換えることはできない。徳は徳によってのみ報いられる。さもなければ、徳を卑しめることになるからだ。直と徳を併せ持つ者こそ生身の理想主義者であり、また孔子その人であった。』

本書最終講からの一節です。

怒ったり笑ったり泣いたり妬んだり羨んだり、誤魔化さずまっすぐな心である直があってこそ初めて、人は自身の益や欲にとらわれず、社会性を身に付けた徳に至る事ができる。と解釈しました。

呉智英先生のさすが引き締まった文章ですね。

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