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招待状の不在

私はよく思います。
世の中には沢山の種類の人がいて、それぞれがそれぞれです。そんなことは前提として。

◯◯障害という、個性が沢山発見されてきています。
よくわかります。それはまぎれもない個性です。素敵なところも沢山あります。
良いとか悪いとかそんなことでもなく。
鳥ですか?金魚ですか?くらいのこと。

個性なので理解をする。優しい目線で受け入れる。差別なんてとんでもない!全くそのとおり。

ですが。

同じ屋根の下で四六時中関わっている人が疲れてくることがあります。
「常に優しい気持ちで受け入れなくては。個性なのだから!個性なのだから!個性なのだから!」
やがて、家族やパートナーはヘトヘトになっていき、起こっている事態に対して冷静な気持ちを失い、孤独になります。それでも、愚痴など言えません。何故なら悪者にされてしまうからです。

それでも、誰も悪くはありません。
愉快に共存出来るならそれが1番です。みんなきっと。

しかし、私はやっぱり、支えている側の家族の心が気になります。それからもっと沢山の人に、支える大変さも理解してほしいと願います。何故なら私も、支える側にいるからです。これは経験しないと分からないことでした。
善人らしく「認めてあげよう」を言う人は、それとセットで支えている側にも優しい気持ちで寄り添ってほしいと思います。頑張れなんて言わないでほしい。

日々の経験を踏まえて、わたしは影で頑張っている、支えている、何も言えない人の力になりたいと、常々思っています。力は烏滸がましいな、理解者という感じかな。
沢山困ってきた体験者だから、困った時の心のイガイガの手触りを知っています。
答えなんて出ない問題ですが、理解者がいるというだけでも、心が落ち着く日だってあるのです。わたしも理解者に救われる日があります。

みんなみんな本当は穏やかに共存したいのです。

これはとても複雑で繊細なことです。
でも、味方もいるということを忘れてはならないのです。支えあえば良いと思います。まだ理解者の存在を知らないあなたにもあなたにも、いつか心地よい招待状が届きますように。愛を込めて

ねこ。

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