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コンテンツを摂取するには体力がいる

ないないばっかでキリがない。

1日24時間では足りない
今晩和、藤佳です。

1日には24時間あって、ヒトは24時間の中で生命の営みを行います。当たり前体操。

そんな中で出来ること出来ないことって出てくると思います。時間も体力も有限だからです。当たり前体操。

私、趣味多きオタクとして業の深い人生を送っておりますが、
最近目下の悩みは、
「映画を見に行けていないこと」
「積ん読がたまる一方であること」

です。

だけど、趣味として書き始めた技術同人誌も案外楽しいし、テーマパークも行きたいし、そのためには馬車馬のように働かないと資金がないし。働くためにはスキルアップも必要だし。

ということでつまるところ、時間が足りない。

「やりたいこと」「やらなきゃいけないこと」の線引き

人々は小学生くらいから、「やらなきゃいけないこと」を済ませてから「やりたいこと」をするように教育されます。これまた当たり前体操。

しかし私が大人になって気付いたのは、「本来自分がやりたいはずのことを義務にしてしまうのは、良くない」ということでした。

例えば前述した「積ん読」。

先日のDMM booksのセールで、3万円分くらいあれこれ買いました。勧められた漫画や、読み返したいと思った漫画、勉強しようと思って買った語学書、絵を描くためのポーズ集などもあります。
3万円分、自分の意志で買いました。もちろん自腹ですから、自分が欲しくて買ったものです。

「積ん読消化しなきゃ…」と私がだるそうに声を漏らしたとき、「しなきゃ」という嫌な義務感を私に押し付けているのは誰なのでしょうか。
他の誰でもない、私自身です。

自分で楽しくてやろうとしたことを!
なんで、自分で、だるくしちゃうかな!!!

「趣味」を義務化するのは危険。

私は一時期、なんやかんやで精神的に追い込まれていた時期がありました。
そのときの私は「趣味」を「義務化」させて自分をジリジリと追い込んでいました。

友達と話を合わせるためとか、そのコミュニティ内の一員でいるため、その漫画を読まなくてはならない義務感にかられていたのです。
まぁ思春期によくあるアレで、親や先生なんかに相談してもバカバカしいと一蹴されるアレですね。

しかし当時の自分にとっては死活問題でした。最初は好きで見ていたはずの作品に、そうやって追い込まれていました。

まぁその作品が本当は嫌いとかつまらないとかじゃなくて、ただ単にその時自分が追い込まれていて、コンテンツを摂取する気力がなかっただけなのだと、後から気付きましたが。

このときの経験は自分にとって大きな辛さになっていて、以降、「~しなきゃ」という気持ちになるたび、当時のことを思い出すのです。

そうやって好きな作品のことが嫌いになるのってすごくしんどいことだし、バカバカしいことです。
趣味って本来好きで楽しくてやってることなのに、自分で義務にして自分でしんどくなってどうするんや!!と前述の状況から立ち直った私は気付きました。

根っからのオタク精神です。

社畜根性

遊ぶカネは欲しい。だから働く。
だけど、時間は有限なので、そのほかの趣味をやりたいんです。こちとら。
でも趣味をする体力も有限……………と気付く夏の夜。

体力使いすぎると「楽しむための気力」がなくなっちゃって、楽しくなくなるもんネ。経験者は語る。

稼ぐ単価が上がれば遊ぶ時間は増えるんでしょうか。
しかし経験上、がむしゃらに働くとその分散財しちゃうんだよね。ツライネ。

こうしてヒトは滑車を回しながら、なんとか生きていくのであります。

最近の反省点

なんかこうねー私のnote、書き出しのテンションが保たれてないというか、尻すぼみな感じがするんですよねーコマッタネー

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