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ありふれた「実家じまい」より、伝聞多めの祖母の過去編/ある歌人神官がみた明治(2)
ありふれた「実家じまい」より、伝聞多めの祖母の過去編(2)
タツの母は引き揚げの苦労からか結核を患い、屋敷の離れで療養していたが、やがて他界。タツはそのまま祖父、祖母を支えながら暮らしていた。私たちに思い出話をする時、「田島のおじいさん、おばあさん」と呼んでいたことを覚えている。
田島のおじいさんは、亡くなる際にタツに屋敷を相続させた。これはタツの主張だから、真実はもはやわからない。おじいさんには息子(タツにとっては叔父)もいたが、神社とは異なる多忙な業種に務めており、老後の世話を一身にしていたお礼だと了承を得たらしい。当時のタツは29歳くらい、結婚し子どももいた。それでその相続した財産は、兄の太一に管理を任せたという。
だが、太一は勝手に屋敷を売り払い、できたお金で東京へ出奔。田島の屋敷と家財のほとんどを、タツは失ってしまった。
太一への怒りと恨みは想像に難くない。タツが結婚し子どももいた、と書いたが、実はその子どもは太一の実子で、タツにとっては甥なのだ。
タツの夫と太一は、短歌会で知り合った友人同士だった。結婚を反対されていたタツたちは、周囲を納得させるために「実はもう子どもがいる」と、太一の子を養子縁組して自分たちの子に見せかけた。太一は妻と死別しており、子は別の家庭に養子にいく話があったのだが、血のつながりがある叔母なら、となったのだろう。
この子が、私の父だ。この生い立ちは彼に暗い影を落としたがそれはまた別のはなし。
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ちなみに、タツの夫は財産を取り戻すべく太一を東京まで追いかけたが、2人でさんざん酒をのみ豪遊し、うまいこと丸め込まれたらしい。
結局、タツは田島の屋敷にあったわずかな家財をかき集め、後年、息子家族と同居するために広島に来た際もひそかに持ち込んで守っていた。
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