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〈ショートストーリー〉停電に山椒魚の夢をみる


 枕元のスマホをかざすと、Wi-Fiが切れて圏外になっていた。
 未明の静まり返った寝室で、耳をすませてみる。階下でかすかにうなっているはずの冷蔵庫のモーター音も聞こえない。そっと起き上がってカーテンをひくと、この時間ならまだついているはずの街灯が消えている。

 どうやら停電。
 浅い眠りをさまたげた違和感の正体がわかり、もうひと眠りしよう、と寝床に潜りなおす。
 谷戸に位置する我が家は携帯電話の電波が届かない。こうなってしまうと情報収集はお手上げになると、去年の台風時に3日続いた停電で経験している。
 始業時間までに復旧してくれるだろうか。3月末以来テレワークが続いていて、停電のままならコワーキングスペースかどこか確保しなきゃいけない。

 目を閉じながら、でも、このへんだけなのだろうか停電は、と、ふと気になる。何か大きな事故でもおきて、市内一円どころか首都圏巻き込んだ騒動になってたりして。世の中がゾンビ化してるとか。
 
 いやそんな現実離れした話じゃなくても、震災とか、未知のウイルスとか、水害とか、当たり前のような日常風景は一瞬で消えてしまう。心底思い知らされているわりに、すぐ忘れてしまう。

 なんて思ってるそばから、救急車と消防車のサイレンが近づいてくる。なんだなんだ、本当に不安になってくるじゃない。
 史上初の緊急事態宣言なんていわれ、蟄居が続いているといろんな可能性を考えてしまう。夜明けまでまだ時間があるほの暗さを、目を閉じたり開けたりしながら感じていた。

 そのうちに、気づけば湿り気をおびた粘土質の山道を歩いている。雨あがりなのだろう、山肌に張り付いている苔は水滴をたっぷり含み、岩のすき間からは小さな滝がいくつも走ってぬかるみがちの足元を流れていく。

 木漏れ日の明るいほうへ向かうと、静かな淵に出た。覗き込めば、透明度の高い水底に丸太そっくりの大きな山椒魚が沈んでいる。
 地元では「ハンザキ」と呼んでいた。半分に割いても生きてるくらい生命力を強いとか、口が裂けてるように見えるからとか、諸説ある。
 井伏鱒二の小説で、大きくなりすぎて岩屋から出られなくなったのがこれだ。

 どれほどの深さなのかわからないが、水際まで下りて足先を浸してみる。広がる波紋が水面の光をきらきら反射させても、山椒魚は動かない。指のまたを水がくぐる感触を生々しく感じながら、これは夢だなと半ばわかっていた。

 不要不急の外出を避け続ける我が身の状況が、こんな夢を見せたのか。フロイト先生ならきっと、性的欲動と結びつけた分析をするに違いない。

 山椒魚が沈む水の底は、記憶の底だ。私が眠っている間だけ、山椒魚は蘇る。正面から見ると笑っているようにも見える山椒魚が、ひれを動かしゆらゆらと浮かび上がってきた。私は腕を差し入れて山椒魚を迎え、抱き上げる。

 ずっしりした重みと水棲生物のぬめり。 
 やがて山椒魚は山肌を走る水流を遡って姿を消し、夢がほどけていった。停電はいつの間にか解消していた。

『そのヒグラシ』特集「無観客ぐらし」掲載/2020年

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