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ヒグラシ文庫8周年トーク・イベント(3)「飲食店ラプソディ~何の飲食店哲学の欠片もなく」

2019年3月13日(土)鎌倉の「まちの社員食堂」(神奈川県鎌倉市御成町11-12)で開催されたトーク・イベントの内容をお届けします。
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マーケティングやったり経営計画書いたりするなんて、まったく無駄ですよ。

― 10年前一瞬会っただけ、実は今日再会なんて、驚きですよこれは(笑)。それで、その10年前はもちろん考えてなかったんでしょうけど、カメラマンの鈴木さんに言われて、実際すぐやろうと思ったかどうか、そのへんをちょっと。自分で店を持つということについて。

按田:そうですね、もともと私も、そのカメラマンの人、鈴木陽介っていうんですけど、どちらも飲食のプロではないんです。だから、自分たちの貯金で、これくらいだったら出していい、出せるねっていうお金を出し合ってできることしかできないねと。
で、親戚とか友人とか、そういう人を巻き込むのはやめようって決めていて。貯金がなくなったら解散。鈴木さん友達でもなんでもないから(笑)、なかったことにしようって約束をしてたのは、すごく気が楽な部分でした。

それと、鈴木さんがよく言うんですけど、高校時代の通学中、ずっと気になってた電車に乗ってくるかわいい女の子がいたそうです。でも結局話しかけられずに卒業してしまったことを、ものすごく悔やんでて。「あの時、無下にされてもいいからどうしてオレは話しかけなかったんだ」っていう後悔を味わって以来、やらないで後悔することがどれだけもったいないことかと痛感していると。
お店開くのって何百万円もかかるけど、やってダメだったらやらないよりはマシだよねって考えの人だったから、そこも気が楽で。お互いに自己責任というか、やるって乗った以上は、あんまりいざこざにならないというか、終わっていくだけなので。それが3か月で終わるのか、何年続くのかって感じ、っていう部分で気負わずにすみましたね。自分ひとりでは絶対お店をやりたいとは思わなかったはずです。

― そういうパターンもありますよね。中原さんの場合は、家庭と職場以外、第3の場所が必要だという思いがあったといいますが、それはその時に思ったわけじゃないですよね。前からあって、切実に思った?

中原:いや、その、すがるような場所は必要だなと、人間て。

― でもそこから自分でやっちゃうっていう、なんていうんでしょう、いい加減さというか。

中原:あきらかにいい加減さですよ。経営計画とか、そういうのってまったく無駄だと思ってる人間で。計画なんて、立ててもそうならない、それが面白いわけで。

― 思ったら行動にうつすってこと?

中原:たとえばマーケティングやって、お金をいろんな人から募って、銀行から借りてみたいなのありますよね。そんなことってまったく意味ないと思うんですよね。何かの時に、経営計画書書きなさいっていわれて、「ふざけんなよ」と思って辞めたことあります(笑)。だから、まったく計画性がないわけですけど、ただ、なんていうか丸山さんの書かれたものの中にもありましたけど、何かスペースを、誰かと、みんなと共有したいって気持ちが強かったんです、きっと。ですから最初の構想はお金いただくかどうかは別にして飲み会みたいな感じです。

こう座ってゆっくり飲むみたいなんじゃなくて、通路、パサージュ、経過してくっていうような店を、ぜひやりたかった。今もありますけど、出口と入口、入口と出口っていう店ありますよね、通り抜け。ああいうのやりたいなあ、と。

だから何かこう、あと何年保つみたいなことではまったくなくて。最初は、人を使ったりするのは面倒くせえと思ってまして、開店1か月くらいは自分ひとりでやったんですよ。そしたら、これ死ぬな、と思って。何人かの人に声をかけましたが、その時はあきらかに、丸山さんのお店かどうかはともかく、シェアしてくっていうのは頭にありました。そういう意味では、遠い縁ですけど、丸山さんの弟子にあたる。

丸山:ははは。

中原:本当に、これだけお金ないと次につながらないみたいなことを心配しないタチなんです。困ったなーと思ったらそれこそいきあたりばったり(笑)また、会議机にもどりゃいいっていう。本当にいい加減なもんですよ。

― いい加減な連中が生きていけるって、いいですよね。

按田:いいですね(笑)

出たとこ勝負的な人たちの集合体が、お店になってくる

― いい加減な連中が生きていく中で、按田さんみたいにけっこう売れてくってケースもあるし。まあ売れないままぐちぐち言いながら、でも生きていけるってそのへんはわりと飲食店の面白いところじゃないかなと思うんですが。
そういうボヘミアン的な生き方の中では、「出たとこ勝負に強い」っていうのはわりと3人の共通項にあるような気がしますがどうですか? 勝負をしてるかどうかは抜きにして。

丸山:出たとこ勝負、という勝負してる感じはなくて、まあ負けたまま勝つみたいな(笑)。よく言われてるんですけど、勝とうと思わないほうが残れると。
店でも個人的にもそうですけど、「生き残る」ということを一番にしてますので、とにかく、年月生き残るということ。最初はカルマも一生懸命、外に向かって、自分こういうことやってるんだぞ、無国籍って新しいんだぞ、みたいにいろんなところに宣伝して。まあそのころ、そういうのが通じないところに一生懸命言って、誰も受け入れてもらえないので自分で雑誌社に、一読者みたいな顔して「こんな店があります」みたいな手紙に書いてみたりとか、色々してました。でもそういうのやってるうちになんか、だんだん自分でこんなふうに宣伝してこれ、こんな労力、エネルギー使うよりも、もっと楽しんだやり方があるんじゃないかっていうふうに思いはじめて。

まあ出たとこ勝負というよりも、自分で楽しむことを探しだすということですかね。それでお店だけじゃなくて、関わってくる人たちのお店以外のこと、たとえばその人が絵を描いてる人ならば、それまで別に全然ギャラリーと言ってなかったカルマという店を「カフェギャラリー」と急につけて。

― ふふふふ。

丸山:その時そこに来てる人たちのニーズを面白がって取り入れて、ギャラリーだけじゃなくて、パンを焼いてる人がいれば、パン、朝だけ来て売ったら?って。あるいは工事してくれた人が、「実はオレたちバーが好きなんだよ」っていうから、じゃあ夜、バー開いてもいいよとかって。

そうやって来てる人たちのニーズをだんだん自分の中に取り入れて、僕自身もそこから面白さを取りいれてってことをやって。それって、ある意味出たとこ勝負なんですけど、僕自身は別に勝負をしてるわけではない。来た人たちが自分の勝負をしてくれてるのを横で面白がってるということをやってきましたね。
それがどんどん広まって、お店だけのシェアじゃなくて、出たとこ勝負やってると、出たとこ勝負的な人たちが色々と、街のいろんなコミュニティー作ろうという人が来てみたり、映画作ってる人が来てみたり。

その場所を使って何か自分の思いを形にしようという人たちが増えたことで、結局、僕のやってるお店がそういうのを全体を見てるみたいに、世間的にはとらえられるようになりましたけど、僕がやってるわけじゃなくて、集まってきた人たちの集合体がお店になってくるということなんですね。で、僕自身はその中で日々、店どうしようかなってことをいつも考えてるってことで、それが出たとこ勝負の実情ですかね。

― 出たとこ勝負っていうのはほとんど今いったように結果的な話になるんですけど、按田さんの場合はむしろ、出ちゃう、っていうところが非常にポイントだと思う。共同経営って、どうなんでしょそのへん。この人間信用おけるんか、とか。

お客さんの都合にあわせて「公園みたいな使い方」ができるお店

按田:そうですよね。なので、信用おけなかったらすぐ辞めればいいやっていうのが。本当に、本の撮影の時にご一緒しただけの人なんで。別になんていうの、昔からの友人でもないし恋人でもないし、だから「関係ない」んですよ、全然。人間関係がないっていうか。

でもだからこそ、やっぱりすごく言葉遣いに気を付けたりとか、ほんの一歩、ほんの少し違っちゃったら、何の縁もない人になってしまうから。だからこそ関係を大切に、お互いを尊敬しながらやっていかないと続かないっていうところがあります。

鈴木さん、写真家なので、たとえば自分の撮る写真にももちろんこだわりがあります。そしてそういう、人のクリエイティビティに対する指図がすごく失礼なことってわかってるから、料理の味とか、いろんなことに関して一切口を出さないんですよ。ただし、鈴木さんが気になるのは、カウンターのへりはこうなっててほしいとか、写真に映ったときこうだから、この内装がいいとか。そういうこだわりの部分が、お互い本当に面白いくらい違って、私は内装なんてもうなんだってよかったので、そのへんの、お互いの大切にしている領域を侵さないでできたという、これは本当にすごくラッキーだったと思います。

― 今も鈴木さんは?

按田:今も、はい。今日、ここにはいないですけど(笑)。なんか色々ね、荷物運んだり、納品書をプリントアウトしてみたり、シフト組んでみたりいろいろやってます。

― 料理とかその場所に関する理念はわりと近かったような。

按田:あ、そうですね。もともと私はこういう店を開きたいっていうものがなくて、こんなお店があったいいのにというは、むしろ鈴木さんの方にすごくたくさんあって。
それこそ女の子が一人でけっこうボリュームのあるものをしっかり食べられるんだけど、それがあんまり油がぎとぎとしてなくて、とか。

男の人だとたとえば吉野家とか、餃子の王将とかひとりで行っても全然変じゃないけど、やっぱり女の子は入りづらいんですよね。「夜10時にこの人こんなにがっつり食べてるよ」とか思われるのもなんか恥ずかしいし、みたいな、そういう女の子が気軽に来られるような感じ。彼の言葉でいうと「女の子」なんだけど、まあ誰でも入りやすいっていう意味なんですよね。

私がその時思ったのは、女の子が入りやすいお店って、カップルで来た場合に逆に男の子が恥ずかしい料理ってあるじゃないですか。

― あるある(笑)

按田:そうならないように、たとえば、男の子が彼女を連れてきたいとかってなった時にも変にならないような、中性的な料理がいいなと思ったのと、あと、その鈴木さんが「公園みたいな感じのお店がいい」と言ってて。

公園って失恋した人がベンチで寂しく泣いてる時もあるし、もしかしたらそうじゃなくて恋人がウキウキデートに使うかもしれないし、子どもが遊ぶかもしれないし、物思いにふけって歩きたい人もいるし、公園ってこういう風に使いましょうってことは言われないじゃないですか。来た人の都合によって、うまい具合に利用してくれるところがいいと。そこはすごく共感できたので、一緒にやっていけるって感じですね。

人生の落伍者が最後に食ってく手段としての飲み屋

― 面白いですね、聞いてると。中原さんヒグラシ文庫の場合は、多少その、食事とはちょっと違うスタンスになると思うんだけど、そのへんはどうなんでしょう、中原さんプロフィールにも、北九州のさっき話してた、角打ち文化研究会、角文研の関東支部っていう。

中原:なんか離れる時に、そういう免状みたいなのを。

― わりと最初からそういう立ち飲みをやろうという。それとも場所が最初イメージにあった?

中原:場末、もろ場末のスナックだったんです、そこ、僕らがお店作るまでは。簡単にいうと、健全な人は近寄らないような立地で。で、僕と丸山さん、同世代ですけど、さっき話に出た、大学紛争時代。丸山さんとちょっと違って、僕は一生懸命大学紛争やってた側です。もろ、就職先なんかない。今、学歴詐称っていうとすっごく悪いことみたいですけど、僕らの頃はあまりそうでもなくて、履歴書に大学名が出るとバレバレだから、高卒で出す(笑)。ということやってたんですけど、つくづくと、上手いことやってくみたいなのができなくて。根本的に勤め人はダメだなと。

まあ、人生の落伍者だなという感じだったんですね。でもその頃から、一縷の…今でもそうかもしれませんけど、男って、「ただぼーっと座ってて好きな本読んでりゃいい古本屋やりたい」とか、それから、「なんか番台で最後のお金だけもらえばいい飲み屋のオヤジ」とか。そういうの、憧れちゃったんですね。だけど、そんなこと全っ部、嘘なんです。

― わはは。

中原:どうせやるんだったら、自分の好きな食い物、それから一気に古本までやろうと。本当におこがましいというか、能天気というか、そういう感じで開いたんですよね。
僕はこのごろあんまり店に出てないんですが、出てた頃、たった一人だけ、本読んで酒飲まずに帰った人がいます。古本屋だと認知されてるんだなと、嬉しかったですよ(笑)。

そういうことで、なんとなく人生の落伍者が最後に食ってく手段としての飲み屋とか、あと、古本屋って、ほんと大変だってことがわかったんです。飲み屋、それもさーっと通路、通りすぎに一杯飲んでくってかたちって考えたんですけど、何しろちょっとチラシにも書きましたけど、飲み屋をはじめてみて、あ、オレと同じような人生の落後者けっこう多いなと(笑)。その人たちに支えられてるって感じですね。

― 今日の話はまだ続きますが、ちょっとここで休みをいれようと思ってるんですけど、いずれにしても落後者というか、はぐれものというか、とにかく実はそういう人間がたくさんいる。飲食店てのは、かつて本当に私がよく行く大衆食堂の、1970年代くらいって本当に最底辺で、食い扶持、食うに事欠いてやってて、お客のほうもお前そんな人間だろってことでもうお金ピッと投げたりとか、という関係なのが、80年90年において変わってくるわけですよね。

で、それって、なんなんだろう。ひとつは料理に対する考え方が変わってきたってことが、けっこう大きいんじゃないかなと思って。まあこの話はちょっと休みをいれてやりたいと思います。10分くらい、いいですか?

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