夏、嫌な思い出ばっかり

多分鬱転したかもしれない、感覚とか最近の自分のメンタル面から考えるとそうなってしまったのかも。
私はこの病気にかかってしまった以上この鬱と躁を繰り返していきながら生きることが決められているのか。それとも寛解してくれて共に共生していくまでにいけるのか。私の主治医は答えてくれない。

この間までの普通に過ごせていたのが本来皆んなが色々辛いこと悲しいことあるけどそれらを乗り越えて生きていけるような普通の何も疾患のない人生であるのか。私には分からないし教えてくれる人も聞くような人もいない。

去年の2回の自殺未遂六月の後半、この間も同じ時期に死にたくなってた。3ヶ月続いた鬱転からやっと抜け出した3週間のふつうの状態、嬉しかったし普通がこれか!っていう感覚、発病する前の自分がそこにはいて、躁とは違う普通の感覚がこれかってやっと分かって嬉しかったのも束の間すぐに終わってしまって。

誰かといたいのに誰ともいられない。会いたいって思えるような人もいるけど別にそんな仲良いわけじゃないのかなとか勝手に勘繰って私なんてすみっこのすみっこにいるただのモブとしてしか友達の中で存在していないと思っているから。

本当は大好きな人に会いたい。
家族にももっと甘えたい。辛いよ辛いよって言っても遠いから電話でしか声を聴けない。ありのままの私を愛してくれるような人なんかどこにいるのかずっとわからないまま生かされてる。

自分は寂しいって思い続けてるから自分が好きでその人も私のことが好きでいてくれるそんな存在に飢え続けてるんだ。

昔からそうだ。いつも鬱になると自分なんか早く死ねばいいのにって。脳死判定されてドナーにでもいろんな臓器提供した方が絶対いいのに。
私後何年生きられるかわからないけどそのうちの一年で上下しまくる心を制御できる自信がない。

死に損なって怒られたくもない

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