何か残しておきたくて

昔から自分の日常を文章に残している。

小学生の頃は手書きの日記帳、中学生の頃はgaiaxという無料のホームページ、高校生からはyaplogというブログで、大学生の頃はmixiも併用。社会人になってからは長文を書く気力がなくて、Twitterに細々と呟く日々。

私は本当に忘れっぽくて、楽しかったことも悲しかったことも全部忘れてしまうので、備忘録のようなものだ。読み返すときはいつも、他人の日常を覗いてるかのように新鮮な気持ちで楽しめる。

私は経理として働いているのだけど、昨日2020年度の年度末決算の帳簿が無事に締まった。経理だけで数百人いる割と大きい企業に勤めているので、決算スケジュールが細かく決まっていて、昨日の定時で会計システムが完全に閉じて単体決算は終了だ。今年も一年お疲れ様でした…と自分で自分を小さくねぎらった。そんな、年末でも年度末でもないタイミングで自分の中でぬるりと節目を迎えたので、思い立ってnoteを書いてみる。

2020年度は激動の1年だった。まずは年度末決算中に緊急事態宣言が発令された。これまで業務のほとんどを紙で処理していたので、出社できる最後の日は夜中の2時ごろまで会社に残って同僚達と資料をPDF化した。そういえばその日に乗ったタクシーの運転手さんと仲良くなって、携帯電話の番号も交換したな。最近連絡してないけど元気かな。奥さんと仲良しで、とっても紳士で素敵なおじさまだった。

緊急事態宣言中は日用品の買い物以外は本当にどこにも行かずにずっと家にこもっていた。そもそもお店も営業してなかったかな?喘息の薬を貰いに一度だけ電車に乗って出掛けたら、土曜の昼間なのに街に人がいなくて世界の終わりかと思ったことを思い出した。

そして緊急事態宣言が明けてすぐ、6月2日に弟が亡くなった。病気を患って3年前から闘病していたけれど、絶対に良くなるって信じていたから青天の霹靂だった。私の弟がこんなに早くこの世から居なくなってしまうなんて夢にも思わなかった。奥さんも可愛い子ども達もいるのに。なんで私じゃなくて弟なんだろうって思った。短い時間の中で精一杯の準備をして弟を送り出した。とっても良い式になった。式の2日後には忌引休暇が終わって、私はまた日常に戻って働いた。

6月から昨日までの10ヶ月間は、弟の死に折り合いをつけるために働いていたように思う。現実から逃げるために仕事に打ち込んだ。秋頃までは在宅勤務中はずっと(本当に毎日ずっと)泣いていたけれど、仕事はきちんとこなしたし、電話がかかってくれば泣き止んで声を整えて対応した。11月頃、本当にもう無理かもしれないと思って弟のところに行く方法を真剣に考えたけれど、年末に5ヶ月ぶりに実家に帰って(それまではコロナのせいで帰省を拒否されていた)ようやくちゃんと弟の死と向き合えて、それで落ち着いた。どれだけ悲しくてももう絶対に弟は生き返らないということが分かったので、私は私の人生を生きていかなければいけないと思った。

仕事は本当に忙しくて大変だし、ムカつくことも悲しいことも多いけど、それでも良い意味でも悪い意味でも私を支えてくれた。私の頑張りは現実逃避のためだったけど、運が良いことに上司にも評価されて昇級に繋がったので無駄にはならなかった。そんな激動の2020年度が昨日で無事に終わったので、2021年度は少し自分をいたわりたいなと思う。忘れっぽい私はそう決めたことすら忘れてしまいそうなので、ここに記録しておく。

弟をすごく大切に思っていたこと、愛していたこと。弟は病と闘って本当に辛かったはずなのに、最後まで決して弱音を吐かずに最高にカッコいい弟であり、父であり、夫であり、息子であったことを残しておきたくて。支離滅裂な文章になってしまったような気がするけどこのまま投稿します。

2021年度は私にとっても、ここまで読んでくれたあなたにとっても去年より少しでも良い年になるといいなと思います。良い年にしましょうね。

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