ねこ大統領、グッタリ。

昨日、ねこ大統領は朝から小学校へ。
その日は、イベントがダブルヘッダーで、バタバタとしてた。

こんな時の密かな楽しみは、現役や卒業生の保護者と会って話すこと。思い出話や、情報交換等有意義に過ごす…はずだった。

そう、ねこ大統領の間違えは、相談という形で例の保護者に話しかけたのがいけなかった。

普段の愚痴とも怒りともとれることを、豪速球でねこ大統領にぶつけてきた。挙げ句の果てには、息子を排除するのですか、ときたもんだ。そんなこと一言も言っていない。ねこ大統領は、ブルペンキャッチャーではないのですよ。

ねこ大統領としては、その子が好きなこと、得意なことを教えて欲しかっただけ。それを軸に教えることが出来ればと思って聞いただけなのに。切り出し方がまずかったか。とりあえず、円満に終わって、その場が終わった。というか、お母様、ブチ切れてる間中、お子様は一生懸命演奏していましたよ。全く耳に入っていない感じでしたね。

そして、今日のSNS観察では、感謝の言葉も何も無し。親子で、とことん人の気持ちが分からないのね。 

午前中から豪速球を受けたねこ大統領は、午後の早くからグッタリ。しかも6年生のドラムの子が、発熱する非常事態。本人の希望もあって何とか演奏してくれたけど、明日ディズニーに行くって言ってたけど、無事に行けると良いなぁ。

正直に話せば、可愛い子と可愛くない子がいる。男女、(いわゆる)障がい者限らずだ。子どもがすべからく可愛いというのは2次元の世界だけなのではないだろうか。

しかし、その違いは何なのだろうか。

色々な要因があると思う。
1つ要因として考えられるのは、保護者の愛情の度合い、それもアガペーに代表される受容の精神からくる愛情なのではないだろうか。家庭内において最大限の自由を許容してあげてる家庭は、素直で明るい子が育つように感じる。これは、実感なので科学的や統計的では全くない。例外も多数なのだろう。

上記の子と違い、5年生の通級の子は、素直でみんなから愛される子だ。素直に他人に対して感謝の気持ちを伝えられる子だ。

今書いていて、何となくではあるが感謝の気持ちが伝えられるか否かもあると思った。

この2人の家庭を比べてみると、「ありがとう」を言われる回数が段違いだ。子どもも然り。

ねこ大統領は、子どもの頃可愛くない子だった。
可愛くなれない子どもの気持ちも分かる。
だから、ねこ大統領が嫌われない限り、寄り添おうと思う。

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