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米津玄師の進化する歌声に宿る普遍性

ドラマ『リコカツ』の主題歌”Pale Blue”を聴いて感じたこと

 「めちゃくちゃ面白いドラマだ、絶対に最終回まで毎週観よう!」2021年4月16日に放送がスタートしたテレビドラマ『リコカツ』を観て私が素直に感じたことだ。主演の北川景子さんと永山瑛太さんが最高に魅力的で胸がきゅんとした。まず、北川景子さんが本当に美しくてチャーミングで、主人公の咲を演じるのは北川さん以外考えられないくらい素敵だった。永山瑛太さんの演技も最高で、彼が演じる紘一は、古い価値観に囚われすぎの、現実離れしているデフォルメされたキャラクターなのだが、頼りになるかっこいい側面もあって、どこか憎めないところがすごくいい。基本的に終始笑いどころ満載なコメディなのだが、主人公の咲を中心に、それぞれの登場人物が抱える孤独や当人にしかわからない悩みや葛藤もちゃんと描かれていて、切なさと現実味があり、登場人物たちと自分自身がかけ離れているにもかかわらず、観ていて感情移入することができた。

 まだ全容はわからないが、米津玄師さんが手掛けた主題歌”Pale Blue”も最高に素敵だった。まだ始まったばかりの物語の切ない終わりを予感させるような歌詞。狂おしいほどにロマンティックでドラマティックなラブソング。私はこの曲を初めて聴いた金曜日の夜から土曜日にかけて、涙が止まらなかった。頭の中で曲を再生しただけで、布団の中で涙が出てきた。朝起きてからも、”Pale Blue”のことを思い浮かべただけで涙が出てきた。2日経った今でも、TVerで”Pale Blue”が流れるシーンを見返すと一瞬で涙が出てくる。切なくて、胸が苦しくなる。曲を聴くだけで、登場人物たちの表情が鮮明に浮かんでくる。3年前に”Lemon”を聴いた時と同じだった。米津さんの音楽と歌声には、言葉にできない魔法がある。「淡い青」というカラーだけに留まらない広がりのあるモチーフを連想させ、様々な思考や想像を掻き立てるタイトルの”Pale Blue”。そして、とりわけ私が心惹かれたのが、米津さんの歌声だ。”海の幽霊”以降、米津さんの楽曲でも多用されている、透き通るようなファルセットが印象的な歌声を、“Pale Blue”でも堪能することができる。

 2020年にリリースされた米津さんのアルバム『STRAY SHEEP』では、とどまることなく進化し続ける米津さんの歌声の表現力と歌唱力が余すところなく披露されていた。『STRAY SHEEP 』に収録の“カムパネルラ”や”優しい人”、”迷える羊”、”Décolleté”、そして”カナリヤ”では、米津さんの繊細で優美な妖艶さを纏うファルセットが、曲に狂おしいほどの切なさと美しさを与えている。今やファルセットが、米津さんの表現の幅を広げ、米津さんの音楽を彩り、際立たせる重要な要素となっているのは間違いない。

 ファルセットを多用する男性アーティストと言えば、米津さんもリスペクトするThe Weekndだ。きっと、米津さんも、自身の音楽や歌唱において、The Weekndの影響を少なからず受けているのではないかと想像する。とはいえ、あくまで私の非常に個人的な主観として、私が米津さんの”海の幽霊”以降の歌声を聴いて感じるのは、米津さんが、自分の曲を男性だけでなく女性が歌ったり口ずさんだりすることも想定したうえで、キー設定や歌い方を変化させていっているのではないか、ということだ。米津さんの楽曲だけでなく、米津さんの歌声もどんどん普遍的になってきている、と感じずにはいられないのだ。

 私はひとりカラオケが好きで、コロナ禍になる前は、月に1、2回歌いに行っていた。今はもう行かなくなってしまったけれど。私は地声が低く、あまり高い声が出ないので、日本の女性アーティストの曲はキーの高い曲が多くて、歌いたくても歌えない曲が多い。キー設定を下げると、それはそれで音程が上手く取れない。そんな私にとって歌いやすいのが、男性アーティストの曲をキーを少し上げて歌うか、海外の女性シンガーソングライターの曲をそのままのキーで歌うかだった。アメリカやカナダの女性シンガーソングライターの曲は、比較的キーがそんなに高くない曲が結構ある気がする。自分には、Fleetwood Macの”Dreams”やSarah McLachlanの曲が歌いやすいので、米津さんの曲とともにいつも歌っていた。米津さんの曲は、女性にはキーが低い曲が多かったので、例えば”Lemon”ならばキーを+4にし、”アイネクライネ”ならばキーを+3にして歌っていた。他の米津さんの曲についても、私は同様にキーを変えて歌っていた。きっと、他の多くの女性のリスナーも、米津さんの曲をカラオケで歌う時は、キーを自分に合う高さまで上げて歌っているのではないだろうか。

 ところが、”Flamingo”あたりから、米津さんの曲を歌う時、キーを変えなくても自分が無理なく歌える曲が増えてきていることに気づいた。“Flamingo”とFleetwood Macの”Dreams”は、おそらくキーの範囲が近いのではないかと、自分で実際に歌ってみて感じた。私には音楽の専門的なことはわからないが、”Flamingo”以降、米津さんが歌うキーが、”Lemon”以前と比べて明らかに高くなったと感じる。女性でもそのままのキーで歌いやすい曲になっていると感じる。そして、”海の幽霊”以降で聴くことのできる米津さんのファルセットが、米津さんの音楽と歌声が持つ性別をも超えた普遍性を喚起している。

 『リコカツ』主題歌の”Pale Blue”も、主人公の咲の視点、どこか女性の視点から歌われている曲のようにも聴こえる。思い返せば、米津さんの曲には、”アイネクライネ”や”あたしはゆうれい”のように、女性の視点から歌われた曲がいくつか存在する。米津さんの音楽には、対岸にいる人間に寄り添い、対岸からも物事を見つめてみようとする眼差しがあるのだと感じる。ちなみに、前述のSarah McLachlanは、”Angel”という曲が有名なカナダの女性シンガーソングライターで、ピアノやストリングスによる、どこかダークで美しく、優しくて切ない曲が多い。彼女もファルセットを多用するのだが、米津さんのファルセットを聴いた時に私がイメージするのは、The WeekndよりもSarah McLachlanなのだ。米津さんの音楽と歌声には、性別も関係なく、みんなを包み込むような普遍性があるのだと感じる。

 米津さんの歌声の進化について以前から感じていたことが、”Pale Blue”を聴いて、自分の中でさらに確かなものとなった。この胸が苦しくなるくらいに美しい曲を、早くフルで聴きたいものだ。そして、ドラマ『リコカツ』という新たな楽しみが自分の生活の中に加わった。これからしばらく、毎週金曜日がいつも以上に楽しみになる日々が続きそうだ。

#音楽文 #米津玄師

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