米津玄師がみんなと創り上げたライヴ『変身』〜さいたまスーパーアリーナ公演1日目を観て感じたこと〜

 仕事を終えた私は急いで電車に飛び乗り、18:07にさいたま新都心駅に着いた。小走りでさいたまスーパーアリーナの会場に入ると、”PLACEBO”を歌う米津さんの歌声が聞こえてきた。「しまった、18:30スタートかと思ったら18:00スタートやったんかい!」と私は自分の馬鹿さ加減に腹が立った。ドキドキしながらライヴ会場の扉を開けると、そこには宇宙のような別世界が広がっていた。

 2022年10月26日18:17、私は注釈付指定席から、米津玄師さんのライヴを観ていた。注釈付であるにも関わらず、200レベルステージ真横のすぐそばで、びっくりするほど近く、パフォーマンスをする米津さんの姿がよく見えた。しかも8列目なのがとても嬉しかった。「これで注釈付でいいんですか?」と私は驚愕した。米津さんのライヴには、そこを訪れるひとりひとりにとって、いつも思いがけない不思議な巡り合わせがあるんじゃないか、と思った。この日のためにAmazonで新調したライヴ用の双眼鏡はいらなかった。

 ライヴのセットリストや演出、米津さんやバンドメンバーの皆さん、ダンサーの皆さんの最高に美しく素晴らしいパフォーマンスについては、ライヴに参加した方々の生き生きとして愛とユーモアに溢れたレポートが数多存在している。ここではあくまで、私の非常に個人的な心のメモを書き記しておきたい。

 そこにいる米津さんはひとりの生身の人間だった。 きっと、オーディエンスのみんなひとりひとりと、自分と、そんなに違わない、普通の人間。米津さんは力強く神秘的で神々しいくらいに伸びやかで美しい歌声を披露し、時に、少し音程が不安定でちょっと心配になってしまう時もあった。でも、私はそこがとても素敵だと思って、何だか親しみというか、近さを感じた。揺らぎや不安定さ、危うさがあるからこそ魅力的で、美しい。完璧じゃなくてもいい。

 米津さんはきっと、今でもライヴ・パフォーマンスがあまり得意ではないと感じているのではないか、と私は想像する。もちろん、米津さんの歌唱力と歌声や身体性の表現力は以前と比べて格段に進化し続けていて、パフォーマンス力が上がっているのは間違いない。でも、それでも、根底には、人前で自分の姿を惜しげもなく晒さなくてはならないライヴを自分がやるということに対して、米津さんは今もどこか距離感を持っているのではないかという感じがしてならない。でも、米津さんはライヴが嫌なわけではなく、むしろライヴをめちゃくちゃ大切に思ってくれていることが伝わってきたのだ。

 米津さんは、ライヴ中もとても謙虚で、周りの人達のことをとても大切にしているのが伝わってくる。米津さんは、自分を見てほしいというエゴは微塵も感じさせず、自分が主役というよりは、ファンや仲間とともに、この美しい時間と空間を創り上げようとしているのだと感じた。それは、米津さんがライヴのMCで言っていた「無理にみんなで一つになろうとしなくていい。無理に盛り上がらなくてもいい。自分の好きなように、自由に楽しめばいい。」という趣旨の言葉にも表れている。

 米津さんの音楽と歌声があれば十分だった。米津さんの音楽と歌声には、それそのものに力がある。それだけで、オーディエンスを引き込み、夢と現実の狭間へと連れて行くことができる。米津さんの音楽と歌声、そこにみんながいれば大丈夫。米津さんとバンドメンバーの皆さん、チーム辻本の皆さん、スタッフの皆さん、そしてファンのみんな、そのどれもが欠けてはダメだったのだと感じる。みんなで一緒に創り上げた、一期一会の、かけがえのない時間と空間、その景色。それはたった一瞬で、形の無いものだが、きっと、確かに、記憶や心の中に残っている。いつかはぼやけて曖昧になったり、忘れていったりしてしまっても、その感動と幸せな余韻、もう二度と出会うことのできない刹那に感じる切なさ、寂しさは、時に胸を締め付けるような痕跡となって、私の中に留まり続け、輝き続けるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?