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Gran☆Ciel 4th one_man live 【Yakusoku】

もう幾分も昔の事に感じられるが
遡ること7月16日、歌舞伎町タワーに新設されたZeppShinjukuにて催されたワンマンライブについて書き残しておこうかと思う。

【原点回帰】をテーマにバンドセットで臨んだワンマンライブであったが、前身のJewel☆Cielの時代から今のGran☆Cielに至るまでの事を懐かしむよう、グループの軌跡を辿りつつ現在位置へ着地するようなセットリストという風に感じた。

Cielがやる楽曲群は作家陣毎にそれぞれ軸が定まっており例えば平田さんならこう、三宅さんならこうとはっきりと主義主張があるのですが、チームとしてそれぞれの軸を磨き上げ上積みを重ねて来た、軸線上につないできた、そういったグループの歴史を再確認するようなライブであった。

ここまで平たく書いてきたがCielというグループを語る上で「軸線上につないできた」という認識はマストだと個人的にはそう思っている。

というのもメンバーの成長、パフォーマンスの成熟に併せ提供される楽曲の幅も拡がる。
インスタントなものじゃなくタレントとサウンドチームが相互に作用してグループのサウンドを熟成させていく。

売れ線に流れるならそれも容易であろうが、自分達で耕した土壌の上で勝負していく姿には高尚ささえ感じる。

例えばナツオトという楽曲、この楽曲のリリースを通しビートにエモーションを宿す術を体得した事でより激しいビートの閃光Believerすることへつながったと考えられなくもないしその後数多の楽曲へ派生し、現在のいわゆる熱いGran☆Cielの礎となっている事は間違いない

例えばバンドカバーの楽曲群、楽曲の無骨な性質上、より実直に音と向き合って表現する事を求められたであろう事は想像に容易く上述と併せ今のGran☆Cielのパフォーマンスを形成する要素の礎となっているだろう。

オリジナルメンバー3人が黎明期から耕してきた土壌に後から加入したメンバーも定着し、それぞれステージで個性を主張できるようになった頃合いで、いわばグループとしては円熟期とも受け取れる時期に催されたワンマンであるものだから演目個々に対する寸評は割愛するもののGran☆Cielというグループのパフォーマンスを味わうという面では満点に近い、余すことなく今まで培ってきたものをステージの上で表現してくれていたというのが概ねの所感である。

楽しかったし、とても良いワンマンライブだったと思う。これは含みなく。

ただじゃあ何故にここまで淡白な寸評になっているのかといえば、そのステージ上でオリジナルメンバー3人の卒業が発表されたことに尽きるのだが

発表された瞬間、理解はしているのだが気持ちがそれを拒否しているのか何を言っているのかよくわからなかった。
自分勝手な話にはなるが佐野友里子の時から今年3月のらぶどるまでずっと走り続けてきてやっと辿り着いた安寧の場とも思っていたので衝動的に出かけた言葉が「もう嫌だ」だった、子供じゃないのでその場でグッと飲み込んだのだが。

よくわからないままに披露される新曲のパフォーマンスを見ながら気がつけば下唇を噛み締めていた。

正直悔しかったのだ。

「じゃあ今回のZeppのチケットが即完していたらどうだっただろうか?」という邪念もわくが、冒頭から長々と書き綴った彼女らが創ってきた土壌、そこに実る音楽が好きだったからこそである

コペルニクス的転回なんかせずともそれが完全なるエゴだということは誰にだって、それこそ本人でさえ容易に理解ることではあるが自分の大好きの象徴でもあるのだからそこに口惜しさを感じないのもそれこそ薄情だと思う。

しえらーとしては幽霊部員的、或いは怪異的な立ち回りで付かず離れず、1月のワンマンを経て最古参組最後の一匹が遂にしえる専属のヲタクにクラスチェンジした矢先の出来事である。

と急に意味もなくオタクっぽい一文を挟んでみるがつまるところ立ち上げからずっと見てきて、離れていた時期もあるとはいえ率直に情がわいているのである。東京都民でもない片田舎のおっさんが新幹線に積まれて月一でも現れるのだから情が無いと言えばそれこそ奇行なのでわざわざ書く必要もないのであろうが。

ただそんななんともいえない感情のまま、なんともいえない表情でステージを眺めている男を救ったのもまたGran☆Cielの音楽だった。

本当に感動したし、エンタメ消費したくないという気持ちからX(ナウい)の感想大会には細かく書いてはいないのだけど最後のつなぐで見せたグループに残る3人のパフォーマンスを浴びて涙が出るほどに感動した。

これに関しては牧野魔魔へはむっつりと裏(チャ!)でありがとうを伝えさせてもらっており、その際に得た証言からより笑顔にさせてもらえたのだが、いわく特別意識はしていなかったらしい

ドラム森さんがX(🐦)で

Gran☆Ciel 三人の卒業発表のときの凍りついたような客席の空気 イヤホン越しにも伝わりました 発表後の『つなぐ』 歌詞を噛みしめながら渾身のパフォーマンスを繰り出すメンバーとそれに応えるお客さん、バンドの一体感 切なくも今までで一番な瞬間だったような、、、叩きながらぐっときました

と綴っているが私も感想としてはほとんどこれと一緒だ。

2Bの牧野→望月→小林→上丘とつなぐ部分、魂の籠もったといえばありきたりな表現なんだろうけども、それでも出だしの牧野の歌声に完全に持っていかれた。それこそオリメンの卒業発表直後で元来望月が担当しているパートまでカバーするという事でかなり気合いが入っていたのだと思う、これは技術と精神の両面で言える事なのだが、しかし確かにあの瞬間空気を伝って牧野真琴の歌は私の心までも震えさせたその事実だけで充分である。泣いた。

続く小林は泣いていた、私も泣いていたから馬鹿にはできないけれどとはいえ決して馬鹿にはしない、牧野に続きパフォーマンスに心がある、馬鹿になんかできるものじゃない。また泣いた。

そして上丘は凛として、自分が成すべきことをステージの上で成していた。1月のワンマンでのお披露目時とは大きく意味合いが変わった楽曲の大切なパートを、全て受け止めてそして進んでいくかのように優しく丁寧に、そして今を噛みしめる様に歌う成長した姿に胸をうたれた。泣いた。

3者3様ではあるのだけれども、3人のパフォーマンスには確かに脈々と受け継がれてきたGran☆Cielの音楽を感じた。本質的な部分である。

天音、夢咲、濱田が築き上げてきた土壌の上で今まさに咲き誇り、この先へ歌いつないでいく当事者である3人のパフォーマンスを見ていたらそのファンである私が「悔しい」と後ろばかり見ているのも大変失礼にあたると思わされた。

音楽の力をもってである。

よくにゃん魔さんは「Gran☆Cielは音楽をやっているよ」と称賛させてはもらうが、改めて「良い音楽とは何か??」を考えるいい機会にもなったと思う

音は振動、音楽は心
産業だなんだと揶揄されようと
何を想い、何を宿すか

にゃん魔さんはこれまでそうだったように、きっとこれからもGran☆Cielが大好きなんだろうと思う

私の“好き”でいてくれてありがとう😼

20230731 にゃん魔太郎

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