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中学受験の出口の先に見えたこと (見たかった桜が咲かない春について)

息子の中学受験がおわった。

3年間、母子ともに本当によくがんばった。

なのに、結果は惨敗だった。

辛うじて第4志望に合格をいただけたけれど、第1~3志望の学校全て不合格。第3志望なんて2回受けて2回とも不合格。うそでしょ。

第3志望の、持ち偏差(模試での平均的な偏差値)相当の学校に合格を貰えなかったのが本当にくやしい。模試では毎回80%だったのに。試験が終わったあと「算数が全然わからなかった...」と呆然としていた息子の顔が頭から離れない。試験の朝、些細なことで私がイライラして、息子を怒鳴りつけてしまった。怯えた息子の顔。私のせいだ。

その後、第1、2志望を受けるにあたり、母子ともに全力で復習をした。塾の先生に山のように復習プリントをいただき、学校も休み、全力でやった。

なのに合格を頂けなかった。

最後の結果が届いたあと泣いた。バカみたいに泣いた。息子より私の方が泣いた。誰の受験だよ。うちの両親はそんな私を呆れてみていた。

「合格した学校にいけばいいじゃないの。ここで人生終わるわけじゃないんだし」母はそう言った。

そんなこと分かってる。言われなくてもそうするよ。でも、この悔しさと悲しさをどうすればいいの?憧れた学校に行かせてやれなかった。何度もお伺いして、ここで入学式の写真も撮ろうね、ってセルフィーも撮った。なのに、不合格。

土日とも塾、平日は小学校から直接塾に行って、帰宅は21:30。晩御飯はもちろん塾弁。次の日の朝、眠い目をこすりながら学校の宿題をやって、なんとか小学校に送り込む日々。息子にあんなに無理をさせたのにこのザマだ。私は3年間一体何をしてきたのか。もっとすべき事はあったはず。できたことがあったはず。なんでやらなかったの?なんでやれなかったの?3年前に戻りたい。

周りに受験するママ友が居なかったから、Twitterで受験仲間を探して励ましあった。みなさん「うちの子また勉強しない...」って愚痴ってたのに、軽やかに第1志望の合格を勝ち取っていた。誇らしげな🌸マークや合格のスクショがTLに並ぶ。うちの子とよその子の違いはなんだったのだろう。

受験に向けてお金もかかったけど、それは別にいい。独身の時からこの時のために貯金をしてきたから。女の子だったら母校に通わせたかったけど、男の子でも私立に通わせる選択肢しか無かった。こんな田舎の公立中じゃなくて、私立で新しい友達を作り、6年間、のびのび楽しく過ごして欲しい。そして仲間たちと難関大学を目ざして切磋琢磨して欲しい。それが息子にとって一番の幸せだ。そう信じていたし、そうあるよう願っていた。

学校見学にも何度も行った。一日に2件連続で参加した日もあった。タクシーがつかまらず、3キロの道のりをキレイめなスーツと久しぶりに履いたヒールで走った。汗だく。出来ることはなんでもやる、頑張れば合格に近づく、そう思って息を切らして走った。ずっと勉強に付きっきりでろくに運動もしていないアラフォーの足取りは馬鹿みたいに重かった。ヒールだからつま先が痛い。それでも走った。結局足を痛めて、次の日は歩けなかった。

息子はのんびりタイプかつ3月末生まれ。不利すぎる状況。それでもそれを不利だとは言わず「やればできるよ」「これ、前できなかったのに出来るようになったね」と励まし、なんとかやってきた。その甲斐あって6年後半は模試の成績もぐっと上がり、「男の子は後伸びするってこの事か!」とほくほくしていた。うちにもやっとこの時が来た、と心の中でガッツポーズをした。塾の最後の面談で、先生が「この調子で!狙っていきましょう!」と力を入れて言ってくれた。Zoomの画面越しに伝わるくらいの気迫。はい!とうなずく私。絶対に行ける。そう確信していた。

なのに、この結果。なんなの。努力が報われないなんてこの世界はおかしい。うちの可愛い息子があんなにがんばったのに。なんなの。神様なんて居ないじゃないか。あんなに何度も祈ったのに。なんなの。

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中学受験は小学生の8%しかチャレンジしないらしい。(関東は15%)その8%の精鋭たちの戦いに、私たちは負けたのだ。8%の中のヒエラルキー。その底辺を構成している1人がうちの息子だ。12月にあんなに成績爆上げでも、この結果だ。何を信じていいのかもうわからない。

息子は少し元気がないけど、私よりは未練はないように見える。そう、私のこれは未練だ。やり直しのきかない人生を嘆き、戻れない過去に縋る。未練。かっこわる。

「人生は平等ではない」なんて知ってる。持って生まれた素質、育った環境、親の財力、出会った人たち、受けられたサポート、本人の気持ち、色んなものが積み重なってそのひとができあがるんだから、平等なわけが無い。そんな不平等な世界で、私たち母子は勝ち目がなくても戦った。ただ勇敢に戦った。俯瞰してみると、その努力は美しいのかもしれない。でも、やっぱり結果も欲しかった。頑張ったら報われる経験をさせてやりたかったし、私もしたかった。報われたかった。それくらい、私が息子のために賭した3年間は大きくて重たかった。

息子の受験のはずなのに、いつのまにか私の受験だと思っていたのかもしれない。私が頑張れば合格できる、という思い違い。私は息子ではないのに。

サポートについて、私の落ち度もあったと思う。でも、そこまでしか私にはできなかった。私の能力の限界。フルタイムワーママの限界。それにそもそも、息子の代わりに試験を受けることはできない。そうだな、そういうことだ。

私は、多少品質は悪かったかもしれないけれど、できる限りの事はした。私は私の仕事をした。それ以上でもそれ以下でもない。そういうことだ。わたし、それなりにがんばったんだ。そうか。

思えば、息子は赤ちゃんの頃から手がかかる子だった。でもゆっくり待てば、最後には何でも自分で出来るようになった。受験はみんなに一律にやってくる。待ってくれない。もし、受験が待ってくれるなんてことがあったなら、きっと息子は1番欲しかった🌸を自分の手で掴み取ってきただろう。

人生は平等ではない。でもその中で生きていかなくてはいけない。その時々で、一番良いと思われるやり方を選び取り、それが正しいと信じて戦うしかない。中学受験は私も一緒に戦えたけど、ここから先は息子ひとりで選び進むフェーズだ。あの一番欲しかった🌸を高校で取りに行くのもよし、もっと違う新しいものを目指すもよし。彼がどこに向かうのかは、彼の自由だ。

中学受験の出口の先の景色は、夢見ていたものとだいぶ違った。欲しかったのとは違う🌸が咲き、そして、まだ何処にも道がないだだっ広い場所にたどり着いた。そこに立つ息子。彼はどこへ向かうのだろうか。私はそっと見守ることにする。子離れの時がきた。でもあの子なら大丈夫。

だって私の息子だもの。

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