怨霊鎮魂使 第14話(最終話)
最終章 橋本希美は、希望の明かりを灯す
「この度は、お世話になりました。数々のご無礼、この弁慶めが死してなお未熟だったと、どうかお許しください」
弁慶が、わたしと北畠翔太に対して、深くお辞儀をした。
「それって、もう……」
わたしは言いかけて、続く言葉をためらう。
「黄泉の国へ、帰ります」
弁慶がはっきりと口にした。とたんに、目の奥からわく涙を、わたしはおさえられなくなった。美晴も、葵も、そして弁慶までもが消えてしまう。
「ご心配には及びませぬ。ただ、帰るだけです」
――ありがとう。
弁慶の心の声が聞こえた気がした。わたしも、心のうちで、『ありがとう』と呟く。
北畠翔太も、泣きたい感情を堪えているのかもしれない。とてもしんみりとしている。
弁慶が微笑を浮かべ、ゆっくりとうなずいてくれた。
「胸の奥でつかえていたものをすべて吐き出しました。翔太殿と、希美殿のおかげです」
そう言う弁慶の瞳は、晴れ晴れとしていた。厳しい時代を生き、今、まさに永遠の眠りにつこうとしている。いや、転生の準備期間に入るのだろうか。
「死してなお、今回はたくさんのことを習いました。人として生きるうえで大事な心構えを学びました。希美殿と翔太殿の言霊、来世でも忘れません」
弁慶が今一度、わたしと北畠翔太に穏やかな目を向ける。
「戦のない世……難しいのかもしれませぬが、いつか、いつの日か実現することを楽しみに、それがしは眠りにつきます。来世、」
弁慶の輪郭が透けだした。その声が途中から消えるように小さくなっていく。
「また会う日まで、さらば――」
弁慶の言葉が途切れた。その姿もまた、消えていた。
*
「――戻ってきたか」
気づくと、目の前に、夕陽に照らされたハゲ頭があった。随分と派手な服を着ている。
「じーちゃん」
北畠翔太が、ほっとしたのか、その場でしゃがみ込んだ。カラオケなんて行ってんなよー、と恨み節が聞こえてきた。
「まあ、結果オーライじゃな」
ひゃひゃひゃ、とハゲ頭……いや、おじいさんが、北畠翔太の頭頂をぺしぺし叩く、と、突然、わたしの方を向いた。まるで顔だけがくるりと後ろに回ったみたいに。
「ひっ」
後ずさったわたしに、おじいさんはにかっとスマイル。真っ白で綺麗な歯並びだった。
「怨霊鎮魂使が二人そろったのはいったい何百年ぶりじゃろな。これからもよろしくの」
言い放つや、わたしのことをつぶさに聞かずに、おじいさんは家の中に入っていく。
少ししてから、「おじいさんに自己紹介しなくていいのかな?」と口にしてみた。
「たぶん、じーちゃんはうすうす感づいていたんだろうな。おまえのこと。だから、いいんじゃね?」
そーゆーものなのだろうか? あまりにもあっさりと片付けられてしまった。
それにしても、とわたしは自分の手を見、続けてキョロキョロと庭を見回した。その途中で、北畠翔太と目が合った。
「ホントだったの、さっきの?」
北畠翔太が、大きく伸びをしながら答えた。「たぶんな」
なんだか、夢の中にいたみたいだった。余韻をまだひきずっている。
「何気に、一条の旦那さんって、弁慶が一条から打撃くらってるのをしばらく放っておいたんだな。俺たちの言霊を聞いていたってことは、まさに弁慶が一条からぶすぶすやられていた時だろ」
言われてみたら、そうだと思った。
「やっぱ、自分を殺した人を大きな心で許すなんて、死んで霊になってもそうそうできないんじゃない?」
わたしが返すと、北畠翔太は、そーだよなー、だから怨霊鎮魂使なんてのが必要になんだなー、とまるで他人事のように呟く。何か他に言いたいことがある感じの口調だった。
「俺さあ、オヤジのカタキをとるって意気込んで弁慶を召喚したんだ」
それは、初耳だった。カタキってことは、お父さんは……。
「もー、とにかく弁慶に復讐したい一心だったよ」
「それって――」
「それって――」
わたしと北畠翔太の言葉が重なった。恥ずかしいのか、彼の頬に薄い朱色がさす。
言っていいよ、とわたしが促すと、彼は小さな声で呟いた。
「結局、俺も怨霊みたいなものだったんだなって。祟りじゃねーけど、復讐したい。でも、弁慶と話したら、なんかそういう気持ちがすーっとひいてった。つうか、たぶん、オヤジを殺したのって弁慶じゃない気がする。そう思っちゃってもいいのかなあ」
わたしは思わず、んんんん、と唸った。
お父さんが亡くなっているのだから、簡単に、いいんじゃない、とは言えなかった。
しばらく思考してから、彼に答えた。
「その気持ちは分かるよ。復讐したいのも、これでいい、と思うのも。わたしが返せる意見は、今すぐに結論を出さなくてもいいかなってとこ。なんでも白黒はっきりさせるのって何かきゅうくつじゃん」
北畠翔太が少し驚いた顔をしてわたしを見た。
「おまえ、凄ぇな。見かけによらず」
な……、「ちょっと、見かけによらずって!」
むくれたわたしに向け、北畠翔太は、ワリーと呟く。本当に悪いと思ってるのか?
そんな疑問も、次に続く言葉がその濃度を薄めてくれた。
「もしも、おまえが来てくれなかったら、」
遠くの夕空を眺めながら、北畠翔太が強めに言った。
「俺はきっとここには戻れなかったよ。ありがとう」
ありがとう、の言葉が、まるで言霊のようにすっと胸に染み入る。ぬぬぬ、召喚士なのに、経験を踏まえて交渉の才能を上げてきたな。
ふと思った。いままで軽薄なヤローだと思っていた北畠翔太は、そこにはいない。
彼は、どこまでも、真っすぐな青年だった。
「こちらこそ。ありがとう」
返しながら、わたしも北畠翔太にならい空を見あげた。どこか、素直になれた気がする。
いつもならば気がふさいで、景色が灰色に染まる時間帯だ。
それなのに、今のわたしはそうならなかった。
世界は、オレンジ色の光に溢れていた。とても、とても、綺麗だった。
わたしは、す、と腕を伸ばす。天の雲をつかむみたいに、上へ、上へと。
希望の光をさぐり当てるように、力一杯に伸ばした。
ふと、『希美』という名前が誇らしく感じられた。
希望の『希』、名づけてくれてありがとう、お父さん、お母さん……。
――そんなふうに、さっくり言い切れるほどのいい子には、やっぱりなれないけれど、少なくともわたしは、自分の名前が希美であってよかった。お母さんの言うことも、たまにはきちんと聞くか。
心からそう思えた。マジだよ。
*
翌日、登校すると、美晴と葵の席はなくなっていた。
彼女たちの机が片付けられた、というわけではない。
最初から、『一条美晴』、『宮園葵』という女子が存在していないことになっていたのだ。
クラスメイトに尋ねても、
「一条美晴? 誰?」
「宮園ぉ~、存在が薄い? はぁ~?」
のような返事が返ってくる。
美晴に告白してフラれた男子に聞いても、
「誰、そいつ? つうか、美晴なんて子に俺、コクってねえよ」
と返されるばかりだ。
先生にも問い合わせたが、返答は同じようなものだった。
「うちにそんな名前の生徒はいない」
「塾で勉強しすぎて、疲れてるんじゃないのか?」
と、余計な心配までされる。
しかも、だ。
地震がなかったことになっていたのだ。記録に残っていないどころか、地震で被害のあった物や人、事柄、すべてが、被害自体がなかったことになっていた。
弁慶ブームも終焉を迎えていた。クラスでは誰も、デフォルメ化された弁慶の缶バッチをカバンにつけていない。弁慶ブームさえも、まるでなかったかのような扱われ方だった。
でも、
でも――……。
わたしは、弁慶の生きざまと想いを忘れることはないだろう。それはきっと、世の人も同じだ。
そうして放課後、わたしは窓ガラスをじっと見つめ、探す。
あの日、消さなかった文字を。
『 す』
美晴が窓ガラスに息を吐きかけて(←思えば、霊なのに息を吐けるなんて!)、キュッキュと書いた右上がりの文字だ。
『殺す』と書いたけど、わたしは〝殺〟だけを消した。
結果、『 す』だけを窓ガラスに残した。
その残像を見つけたいのだ。
今だったら、その空白にどんな文字を書くだろうか。
愛す、やっぱり違うな。まだ、その言葉の意味をきちんとは理解できない。
灯す、いいかもしれない。
希望の明かりを、これからも灯し続けよう。
今日よりも明日が平和でありますように。それこそ弁慶が最後に述べていた戦のない世。
目をこらして、窓ガラスに近づき、ガラスにほっぺをあてる。角度を斜めから、下から、と変えながら文字の痕跡を探す。
時間を忘れて、その作業に没頭していた。
「おまえ何してんの? 希美」
げ……。
「つうか、いつのまに、なに勝手に、下の名前でわたしのことを呼んでんのよ」
顔だけは怒った表情を作るも、声はとがらなかった。
北畠翔太に「希美」呼ばわりされると、とても聞き心地が良かった。耳が、心が、じん、とくる。
北畠翔太がクスッと笑う。
「ちょっと、だったら、わたしも北畠……を下の名前で呼ぶからねっ! 翔太!!」
口にして、すぐに顔が赤らんだ気がした。
それは、北畠翔太、もとい、翔太も同じだった。照れくさそうに翔太がわたしに近づいてくる。
「で、希美はホントのこと、何やってたんだよ? 窓ガラスにぴとーっとほっぺたくっつけてさ」
「うるさいな。翔太にはカンケーないでしょ」
ぷい、と顔をそらす。本当は、カンケー大ありなのに。
そのときだった――。
気まぐれな夕陽が、窓ガラスに、今まで映っていなかった文字を浮き上がらせた。
『 す』
「あ」
瞬間、目の奥に熱い感情が押し寄せた。
慌てて口もとを手でおさえる。泣く直前みたいな激しい息がもれた。
「美晴――」
美晴の美しい顔が、窓ガラスに映った気がした。すぐに、涙で視界がぼやける。
絶対にそれは気のせいだ。そんなホラーなことがあってたまるか。
でも――、
充分ホラーじゃね。ここ最近の出来事って。怨霊と会ってたんだし。
いつの間にか、翔太がわたしの隣りに寄りそってくれていた。
窓から見渡せる校庭では、生徒たちがサッカーボールを追いかけている。土ぼこりが舞っている。そのほこりさえもが、夕陽を浴びてキラキラと輝いていた。
「今ごろ、一条は、旦那さんと幸せに暮らしてるよ。俺たちには見えない世界で」
「――うん」
どうしてか、翔太の肩に頭をすり寄せたい衝動にかられた。
いくら何でも、そんなことはできない。
わたしは自分の感情を鎮めるために、わざと大きく伸びをした。んー、っと。
美晴の顔を脳裏に浮かべる。
忘れないよ、美晴。
もちろん葵のことも。でも、ごめん、葵。やっぱり葵以上に、美晴のことが忘れられないんだ。
だって、本音で語り合えた親友だったから。
――嬉しかったよ。一番仲の良い友だち、って言ってくれたこと。あたし、絶対にその言葉を忘れない。
美晴の声が耳の奥でよみがえる。
わたしも忘れないから――。
「翔太」
「なんだよ」
そっけなく応答した翔太は、少ししてから、
「ま、好きにしな」
と言ってくれた。
わたしはちょっとだけ、彼の腕にもたれかかる。
彼からは校庭の匂いがした。悪くないな、と思った。
あの日のように夕陽が、黄昏が、世界をオレンジ色に染めていた。
美晴、いつかまた会おうね。
それが来世でも、絶対に。
「希美」
――え?
翔太が真面目なトーンでわたしを呼んだ。
こんな状況で、わたしを呼ぶそのタイミング、声色……ひょっとしてコクハ――。
「おれ、部活行ってくるよ。サッカー部」
「……」
おいっ! ……ニブい奴!
でも、それが翔太らしかった。
だから、今回だけは許してやろう。
わたしは、翔太の腕を、ちょっとだけ意地悪につねった。
「痛っ」
「ほら、部活行っといで」
おどけたわたしに、翔太は満面の笑みを返した。そうして、机の脇にあるサッカーボールを手にして、駆けだす。
途中で、誰かの机に足をぶつけ、ゴンっと大きな音と、「だっ、痛ぇ!」と声がした。
わたしは思わず「ぷっ」と吹きだす。
「急げー」
声をかけると、翔太は、ふいとこちらを向き、親指を突き出してウインクをしてきた。
うっ……、忘れていた感情がぶり返す。わたしはこいつのこういうところが嫌いだ。
「希美、」
……何だよ。少し冷めた気持ちで、彼を見た。
「また一緒に、祟りを鎮めような」
少しテレながら、翔太はそう言った。全然カッコつけていない素の表情だった。
わたしは返事のかわりに両腕をあげた。
大きな、大きな、丸をつくる。
~Fin~ ♪お読みいただき、ありがとうございました♪
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