見出し画像

怨霊鎮魂使 第3話

第3章 北畠翔太は、修行する
 

「とりあえず源義経や武蔵坊弁慶に関する本は色々と読んだぞ、じーちゃん」

 じーちゃんは言葉を返さずに、俺に背を向けたまま、じっと新聞に目を落としている。とても重大なことを言うために、背を丸めているように思えてしまう。
 俺は、じーちゃんが振り返ってくれるまで、しばらく待とうと思った。

 その矢先、
 
 カクッ

 じーちゃんのハゲ頭が、揺れ落ちた。

 へ?

「……じーちゃん?」

 ヤバい、じーちゃんとうとう……? 俺はじーちゃんに駆け寄る。

「ふわぁ」

 じーちゃんが手を伸ばして、情けない声――あくびをした。

 じじいっ!

 ピキッと青筋がこめかみに浮かぶ感覚があるのと、こっちを見たじーちゃんが驚くのとが同じタイミングだった。

「なんだ、翔太じゃないか。びっくりした」

 じーちゃんの口もとには、白いよだれのあとがついている。

「じーちゃん、俺が言ったことちゃんと聞いてたか?」
「んん? 最近耳が遠くなったからな」

 じーちゃんがあぐらをかくそばで、スマホがぶるっと一度だけ震えた。

「ほ、LINE着信」
「じーちゃん、そんなに小さなバイブ音が聞き取れんだから、耳ぜんぜん大丈夫だろ!」

 次は、じーちゃんがボケたふりでもするんじゃないかと、俺は身がまえる。

「友だちには言ってないよな。怨霊鎮魂使のことは」

 じーちゃんが真顔でたずねてきた。どこか、はぐらかされた気分だ。

「誰にも」と言いかけたところで、図書室で橋本希美に会ったことを思い出した。俺が読んでいた本を指さし、興味ぶかげな表情を浮かべていた。

 ……たぶん、バレてない、よな。単に、今が弁慶ブームだから気になっただけだよな……でもあいつが弁慶グッズ持ってるとこ見たことねーな。弁慶ネタに食いついてるとこも見かけたことねーな。
 いや、絶対に悟られているはずがない、俺が――、

 源義経か、武蔵坊弁慶の怨霊を召喚しようとしていることを。

 内心を見すかしたように、じーちゃんが「んん?」と声をもらしたので、俺はあわてて首を振った。

「言ってねえし。バレてねえよ」
「ふむ」

 じーちゃんが黙る。庭の植木鉢を、雨粒が叩く音が聞こえてきた。

「雨足が強まったな」

 やっぱ耳いいじゃねえか。ぎゅっと拳を握る。ニュース番組で『孫が祖父をなぐり殺す』なんて俺のことを報道されたら、たまったもんじゃない。深呼吸をしてから手の力を抜き、じーちゃんに聞いた。

「なー、じーちゃん。俺一人で怨霊を呼び出してもいい?」
「ダメ」

 じーちゃんが即答する。

「結界を揺るがすほどの大怨霊だ。怨霊鎮魂使になりたてのおまえだけで対応できるわけない。きちんともう一人を探してから、コトに当たれ」

 んなこと言われてもなー。見つからないんだよ、そのかたわれがさあ。いっそのことSNSで呼びかけるか? 怨霊鎮魂使カモーンって。……収集つかなくなりそうだな。

「さあ、今日も特訓するぞ。結界が完全に破られるまでおそらく時間はあまりない。急ピッチでやる。早く装備を着てこい」
「装備って、これだろ」

 俺は、中学校時代によく使っていたナップザックから、例の風呂敷包みを取り出す。
 ナップザックは、中学生あるあるでかなり泥まみれだ。

「な! おまえ、そんなとこに入れて」
「しょうがねーだろ。これしかなかったんだよ」

 俺は、風呂敷包みをほどき、中からヨレヨレのハッピを手にする。ハッピはどー考えても、祭りでお神輿を担ぐ人が羽織る服みたいに見える。背中に『祓』って書いてあるのが、今の感覚からするといけてない。

「たわけものめ! 先祖から受け継ぎしハッピを……」

 じーちゃんはまだブツブツ言いながらも、縁側から庭に出て、魔法陣を地面に描き始める。そもそも描くために使ってるのって、木の枝だぞ。もっとそれっぽいものを使えよ。宝石が付いた杖とかさ。

 風呂敷の中に入ってるのが、このハッピだけっちゅーのも、なんか胡散臭いよな。
 じーちゃんの人生大一番のドッキリに、俺、巻き込まれてるんじゃね?

「翔太、早くこっちへ来い」
「この雨の中、やるのかよ」
「時間がないのじゃ」

 へいへい、と俺は生返事をしてサンダルで庭に降りる。あっという間に前髪から雨滴がしたたりだす。

「その草履をはけっ」

 ……めんどーい!
 

 じーちゃんの説明によると、怨霊召喚士のキモは、正確に魔法陣を描くことみたいだ。魔法陣で印が結ばれた空間内では、召喚した怨霊を弱体化させることができる。だから怨霊はうかつに召喚士や交渉士に手出しをできなくなるとのこと。それでも、大怨霊にどこまで効くかは微妙なところらしい。

 もしこの魔法陣に欠陥があると、空間が安全に保てない。怨霊からヤバい攻撃を受けるし、最悪な場合は、召喚した怨霊が、召喚士や交渉士の体の中に降りてきちまうことがあるみたいだ。もしくは、黄泉に連れていかれる。

 ということは、オヤジは魔法陣を描くのに失敗したのかな? 優秀な召喚士でも失敗するんだな? ……え、俺で大丈夫なのか。

「青い顔しとるな」

 じーちゃん、察しいいな。

「ビビっとるんか?」
「な! んなことねーよ! 言っただろ、オヤジのカタキをとるって!」
「ほれ、だったら今日も練習しろ。まだまだお前が描く魔法陣はゆがんでおる」

 へいへい、と俺は地面を枝で削る。雨ですぐに土がどろどろになっていくんですけど。

 最近はずっと地面にお絵描きだよ。なんか地味、つうかつまんねー。

「じーちゃん、もっと派手な感じのねーの? 怨霊を斬る刀とか」
「ない」
「怨霊の攻撃を防ぐ盾とか」
「ない」

 あーあ、これだよ。ゲームの魔導士みたいなのを想像してたんだけどなぁ。いきなり最強みたいなやつ。
 
 小一時間ほど魔法陣を描いては消し、描いては消しを繰り返したところで、じーちゃんがポツリと零した。

「まあ、一つだけ、あると言えばあるな」
「何がだよ?」

 何の話か掴めずに、俺はじーちゃんの方を見た。雨でぐしゃぐしゃだからお絵描きはもうこれぐらいでいいんじゃねえか、と視線で訴える。

「呪文だ」
「――っ!」

 じーちゃんの言葉に、思わず前がかりにかぶりついた。「マジ? 呪文あんの?」

 それだよ、じーちゃん。俺が身につけたいのはそういうカッコいいチート系スキルなんだよ。

「眼前の怨霊を消滅させることができる」
「凄っ! どーやんの、それ?」

 意欲的に尋ねる俺に対して、だが、じーちゃんはふるふると首を振った。

「それは禁じ手じゃ。怨霊鎮魂使は、あくまでも怨霊を【鎮魂】するのが生業じゃ。召喚士が呼んだ怨霊を交渉士が説得し、その念を抑えることを主目的として、怨霊鎮魂使は存在している。むやみやたらと怨霊を消滅させることは、本筋ではない」
「何で? ささっと消しちゃった方が楽じゃん。説得なんてまどろっこしい」
「消滅させると、その悪霊は二度と現世に転生できんのじゃ」
「はい?」
「輪廻転生。この世とあの世を行き来する命、霊、魂は、転生を繰り返す。怨霊は現世に恨みや念を抱いているため、転生できずに苦しんでいるとも言える。その苦しみから怨霊を解放し、転生の手助けをするのが、我ら一族に連綿と受け継がれてきた怨霊鎮魂使の使命というものじゃ」
「でも、怨霊にやられちまったら、マズいじゃん。実際、オヤジは……」

 俺の問いかけに、じーちゃんが口を噤んだ。これから言うことを口にしてよいか、悩んでいるようだ。

 そのまま数分が過ぎた。じーちゃんはまだ黙っている。俺も口を閉じている。じーちゃんが縁側ごしに、畳の部屋へ顔を向けた。壁にかかっている時計盤を見ている。じーちゃんが口を開く――。

「時代劇見るの忘れておった」

 そう口にするなり、じーちゃんがテレビのあるリビングルームに向け、駆けだした。

「ちょ、じーちゃん!」

 消滅呪文の話はどーなったんだよ! じーちゃんを追いかけて俺もリビングルームに行く。じーちゃんが、75歳を過ぎているとは思えぬ速さで駆けていく。なんか、うちのサッカー部でも通用すんじゃねえのか、じーちゃんのダッシュってぐーんと伸びるんだよ。サイドバックとかやらせたら、チーム的に重宝されるよな。
 
 リビングルームでテレビをつけたじーちゃんが、ああもう終わりのほうか、とボヤいた。
 テレビ画面の中で、弁慶が薙刀を振り回している。バサバサっと矢を叩き落とす。

 また弁慶か……。弁慶を演じる俳優が違うだけで、場面はいつも似たりよったり。それでもブームの凄いところは、視聴率が落ちないことだ。今回は、歌舞伎役者が弁慶役をつとめている時代ドラマらしい。

『死んでも殿のもとには行かせぬぞっ!』

 弁慶が、まるで歌舞伎で見えをきるように、その目をぎょろっと見開く。 
 ぶすぶすぶすっと矢が弁慶に刺さる。弁慶の立ち往生シーン――の最中だった。

 ブチッ――。

 血管が切れたような音がテレビから聞こえた。
 一瞬のうちにテレビ画面が暗転する。
 じーちゃんは立ったまま動かない。

 げ……。俺は当惑した。ブチッは、じーちゃんの血管がマジ切れした音だったんじゃねーの。だったら、じーちゃん、テレビを前にして、立ったまま死んだか? この場合も立ち往生だよな。やだよ、じーちゃん、死なないでくれよ。つか、俺を守ってるのか? あれ、でもじーちゃん、手にテレビのリモコン持ってる。

 じーちゃんの背中に俺は声をかけた。

「じーちゃん、いきなりテレビ消してどうしたんだよ」

 じーちゃんは答えなかった。かわりに肩が震えだした。
 んん……?

「じー――」
「一刻の猶予もない」

 俺が呼びかける声に、じーちゃんは言葉を被せて、振り返った。
 じーちゃんの顔が真っ青だ。わなわなと唇が震えている。

「怨霊の怒りが爆発寸前じゃ。テレビ映像が途絶えたのも、その兆候じゃ」
「は? じーちゃんが消したんじゃねえの」

 そのリモコンで、俺はじーちゃんの手もとを指さす。

「違う」じーちゃんが目を閉じた。「映像は勝手に消えた」
「勝手に?」
「疑うならスマホで検索してみろ」

 その言葉で、尻ポケットからスマホを取り出して確認すると――、
【電波障害? 放送中にいきなり画面が消えた】
【クライマックスで突然暗転! まじでありえない】
【何が起きたんだよー、立ち往生シーンもっと見たかったのに】
 リアルタイムでそんなツイートがどんどん書き込まれていく。これって……。

「じーちゃんがテレビ消したわけじゃないんだ……」

 じーちゃんが、苦し気な表情をした。そうして、はっきりと俺に告げた。

「間違いない。今、現世に祟りをなそうとしている怨霊は、武蔵坊弁慶じゃ」

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?