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怨霊鎮魂使 第2話

第2章 橋本希美は、今日も空想にふける

 

 高校三年のわたしには、他人に知られたくない秘密がある。

 それは、

〝空想癖があること〟

 五月の中旬を過ぎた今日も、学校から帰ってくるなり、わたしは自分の部屋で、ひとり空想世界に入り浸る。

 頭の中に描かれる世界は、自分がアイドルグループのセンターとして歌ってるシーンや、来年から始まる大学生活でS級イケメンに溺愛される日々もあるけれど、これらはメインではない。あくまでもサブだ。

 わたしが今、めっちゃハマりこんでいる空想は、はるか昔の歴史世界を、映像として脳裏に映しだすこと。だからそのために、最近はよく歴史の本を読んでいる。

 最近イラつき気味のお母さんが、この時だけは勉強熱心だね、と言ってくれるけれど、正直、勉強している感覚はない。

 だって――、

 歴史上の人物が、わたしの脳内で、あれやこれやと活躍してくれるから。

 その手に日本刀を握り、矢を引き絞り、重たい鎧を揺らしながら、戦う。
 いつしか館は敵兵に囲まれ、放たれた火が部屋ごと総大将を呑みこもうとしている。
 もはやこれまで。切腹を決断した目に浮かぶのは、ありし日の仲間たち、愛した人……。

 すなわちこれ、空想、だ。いや、妄想レベルか。
 でも、これほど楽しいことは他にはないんだよね。

 歴史を深く知れば知るほどに、わたしが描く空想世界は濃く鮮やかに色づく、生き生きとし、まるでその場にいるかのように感じられる。なんか、声まで聞こえてくるほどだ。

 すなわちこれ、最高の喜び、だ。

 よりリアリティをついきゅうした脳内物語に没入するために、どんなにぶ厚く、難解な日本語で書かれた歴史の本であっても、わたしは読破を試みる。まあ、キチンと理解できているかは、模試の結果にそろそろあらわれるんじゃないかな。歴史以外の科目の成績には目をつぶろう(←願望っす。親、未公認)。 

 ただし……。

 わたしに空想癖という趣味があることを、周囲のクラスメイトには知られないようにしている。

 あたりまえだ。

 オタクっぽい奴は、気味悪がられる。

 アニメオタクしかり。
 アイドルオタクしかり。

 歴史をよく知っている、ぐらいならば、知られても許容範囲だ。『勉強熱心』のレッテルを貼られる程度で済む。

 でも、空想にふけまくる妄想女子、はアウトだ。

 いつもアニメの世界で泳いでいる男子が鼻の下をのばしながら、美少女キャラを熱く語っているとしよう――→キモい。一刀両断!

 なんせ、わたしは、そこそこモテるのだ。

 一昨年(←高校1年)は6人から告白された。
 が、去年(←高校2年)は2人からしかコクられなかった。

 一気に4人減った。

 かわりに急浮上したのが、クラスメイトの一条美晴だ。彼女は去年、9人の男子と、2人の女子から、好きだ、と言われていた。

 どうしてここまで知っているかとういと、美晴は、わたしの一番の親友だからだ。

 あけっぴろげな性格の美晴と話していると、他の女子よりも気楽にしゃべることができる。
 わたしは、表情や仕草、言葉づかいから相手の感情を深く読みとってしまうたちなのだ。結果、誰かと会話することは、非常に、ヒジョーに気疲れする。

 女子なんて本音を隠した生き物だから、彼女たちの輪の中にいることは、真相の探り合いをしているようなもの。

 はっきり言って、疲れる。

 だから、不必要に、積極的に、女子の輪の中に入らないようにしている。

 それなのに、どうしてか、わたしは友達から相談を受けることが多いのよね。しかたないからフンフン聞いて、できるだけ悩みに寄り添ったわたしの考えを伝える。

 でもね、正直、わたしは集団生活が嫌いなんだよね。そろそろみんなそこんとこ気づいてよ。

 で、話がそれたけど、その美晴だが、

 同じ高3とは思えないほどすらっと背が高い。腰あたりまで伸ばした髪はつやつやだ。
 香水をつけているのか、シャンプーやリンスではない、お香みたいないい匂いがする。

 今年のわたしは、春の始めに、長かった髪をバッサリ切ってボブヘアにした。
 イメチェンをして、モテ度の巻き返しをはかろうとしている。

 そのために、キモいと思われることは、絶対にしてはいけない。特に男子に、わたしが妄想している姿を見られるわけにはいかないのだ。

 学校を終え、部屋で一人になる時間は貴重だ。
 誰の目も気にせずに、空想に没入できる。

 特に最近は、弁慶が活躍していた頃を夢想する。
 弁慶、めっちゃブームだ。めっちゃカッコいー。イケオジだよ。

 ただ、できるだけわたしはクール女子という印象を失いたくないから、世間の弁慶ブームに相乗りしていることも知られたくない。学校でダサカッコいい弁慶缶バッチを見ると、思わずガン見してしまうけど、周囲が気づくよりもはやく視線をそらす。わたしは興味持ってないよー、みたいな態度をとるのだ。(本当は、机のひきだしの中には缶バッチがいっぱいある)

 で、これからわたしは、誰にも邪魔されずに、弁慶の活躍を思い描く。
 はるか遠くの時代――歴史の中に、自分がまぎれこんでいく。

 最高だ! ときどき、本物の出来事のように、登場する歴史上人物の声が聞こえてくる。

 それぐらいのレベルまで、わたしは歴史の世界にのめり込み、音や匂いを感じながらさまよう。帰ってこられなくなっちゃうんじゃないか、ぐらいの質の高さっすよ、おにーさん。

 わたしの目玉はきっと猫のような瞳になっている気がする。黒目が細く、電灯を消した部屋のなかでもきらりと光っている――。

 

【希美 脳内空想中】

 ときは平安時代末。(←いまから850年ほど前)

 平清盛を筆頭とする、平氏一門が栄華を極めていた。

 だが、おごれるものもひさしからず。(世の中を支配しブイブイ言わせている者ほど、そのブイブイは長くは続かない)

 源氏の源頼朝や木曽義仲などが、平氏を倒そうぜと、兵を挙げたのだ。ここ、うっとりポイントだよ。ときの権力者に、命を懸けて戦いを挑むのだから。

 平清盛が病気で死ぬと、平氏を打倒する流れは一気に加速した。

 東北地方(当時は奥州と呼ばれていた)から、頼朝の弟である源義経が、きら星のごとく、頼朝のもとに馳せ参じた(駆けつけた)のだ! 

 義経。

 彼こそが、五条大橋で武蔵坊弁慶をやっつけた、牛若丸! 鞍馬山で天狗に育てられた伝説を持つ源氏の忘れ形見だ。

 義経が、熱い眼差しで頼朝を見すえる。

「兄上、平氏討伐は、弟であるこの義経にお任せください」

 頼朝も、よく来た、と義経を労いながら、「うむ、分かった。行ってこい。平氏をぶっ倒せ」と義経を頼りにしていることに言及する。

 こうして義経は、弁慶などの郎党を引き連れて、平氏に戦いを挑む。

 義経は合戦において、非常に優秀な大将だった。次々と、平氏を打ち負かしていく。

 一の谷の合戦(現在の兵庫県、神戸市付近での戦い)では、鵯越の逆落としで有名な奇襲攻撃をしかけた。断崖絶壁を馬で駆けおり、平氏の陣地へ突撃したのだ。

「者ども、平氏の陣地は真下じゃ。かかれー!」と義経が先陣をきって馬で駆けていく。

「おおーっ!」と弁慶たちも続く。崖下の平氏の陣地は、まさかの頭上からの来襲に慌てふためき、秩序を保てず総崩れとなる。

 源氏の勢いに押された平氏は、屋島(現在の四国、高松市)に逃れた。

 こんどは、この屋島で、義経は平氏と戦う。

 ここで、興味深いエピソードがある。

 義経の弓流し、というものだ。わたしはさらに空想をたくましくする。

「殿、海に落とした弓を拾うのは危険です。拾おうとしているところを、射られてしまいます」と弁慶が義経にやんわりと諭す。

 だが、義経は弁慶の忠告に耳を貸さずに、一心不乱に、海中の弓を拾おうとする。

「弁慶よ、この弓を絶対に拾うのだ。もしも敵(平氏)に、この弓を拾われてしまうと、源氏の大将はこんなにも弱い力でひける弓を使っていると笑われてしまう」

 義経は、どうやらあまり腕力がなかったようだ。

 だから、力持ちでなくとも引くことができる弓を使っていた。その弓を、合戦の最中に、船から海に落としてしまったのだ。

 それだからして、敵が義経に射かけてくるにもかかわらず、彼は必死になって弓を拾おうとした。

〝自分の命よりも、源氏が笑われることが嫌だ〟

 この逸話からは、義経の強い気持ちが感じ取れる。

 つうか、声まで聞こえてくる気がしちゃうほどだ。

 ――弓を拾う殿を、命をかけてお守りしなくては! 

 ……って空耳だよね、空想だけに。でも、弁慶っぽい感じの荒々しい声で聞こえるのよ。

 屋島でも勝利をおさめた義経は、1185年3月、最終決戦地の壇ノ浦(山口県沖)で平氏軍と激突する。船で戦う海戦だ。

 ここで義経は、当時の常識をくつがえす戦法をとった。敵の船を漕ぐ水夫を、矢で射るのだ。

 これは、たとえば陸上における合戦で、武将が乗る騎馬を射ることに等しい。

 当時は、『やあやあ我こそは~』と、真正面からぶつかっていく戦い方が一般的だったため(いきなり騎馬を狙わない)、船が近づくや、船を操縦する水夫が真っ先にねらわれるなんて、当時の平氏軍は考えていなかっただろう。

 平氏は、海での合戦に長けているため、海戦での常識を、戦う前から源氏に求めていたのかもしれない。その常識を、義経は利用した。

 結果、源氏が勝利し、平氏は海のモクズとなって消えた。

 わたしは、海上に揺られて浮かぶ誰も乗っていない船を、海に沈む色の濃い夕陽を、脳裏に描きながら空想を終了する。

 「楽しかった~」

 思わず口にした。今日も、壮大な空想の大海原にこぎだすことができた。

 ふう、と息を吐きながら机に突っ伏したところで、最近わたしとバトル中のお母さんが声をはりあげた。

「希美ぃ、夕ご飯!」

 お母さんがリモートワークで仕事をするようになってから、わたしとの衝突が多くなった気がするんだよね。家で顔を合わせる時間が増えたからか、マジメに勉強していないシーンを目撃されることが増えたからか……。

 超サバサバした性格のお母さんは、わたしの弁解にあまり耳を傾けてくれない。この妄想時間がどれほどわたしの精神に安らぎをもたらしているか、って他の親も理解してくれないのかなあ。

「ほぉーら、ご飯冷めちゃうよぉ~」

 ああ、現実だよ。宿題しなきゃ。明日の塾の予習もしなきゃ。受験、めんどくさぁ。

 ご飯食べてると、またお母さんから色々小言を聞かされるんだよね。スカート短かすぎとか、メイクが何だとか、成績がどーだとか……ああ、もーやだ。将来どうすんのって迫られるのが一番イヤなんだよね。将来の希望とかさ。げ、明日、進路調査票の提出日じゃなかったっけ? ……まだ何も書いてない。

 希美。希望の『希』って、なんかさ……どこか重たい名前じゃね?

 わたしはろくな返事すらせずに、2階から階段をおりていく。お母さんの顔なんて見たくないな。

 *

「ねえ知ってる?」
「知らない」

 一条美晴からの問いかけをただちにぶった切ったわたしは、教室の窓ガラスを曇らせるほどの勢いでため息を吐いた。

「まだ何も言ってないのに」と、美晴が、わたしの背後でカカカと笑った。

 彼女が下品な笑いかたをするということは、教室内に男子はいない、ということだ。

 振り返って確かめるのも面倒なので、窓辺から、放課後の校庭を眺め続ける。

 サッカー部が放課後練習をしているため、土けむりがあがっていた。うちのサッカー部は強豪だから選手が集まってくるらしい。そう、サッカー部に好きな男子がいる女子が言っていた。

「北畠翔太君がさ、Jリーグのユースチームから声がかかったそうだよ。何かそれってメチャクチャに凄いことみたい」

 美晴が密着するほどに身体を寄せてきた。

 わたしは女子どうしでくっつき合うのが、あまり好きではない。正直に、「くっつきすぎ」と冷めた声で注意する。

 しかし、美晴はわたしの言葉を受け流した。

「北畠君って、このままプロになっちゃうんだろうね。Jリーグデビューを経て海外のサッカークラブでプレーする。なんかキラキラした将来……なんか羨ましいなあ」

 どちらかというとあんたにもキラキラした未来が待っているじゃないか、とわたしは美晴の着崩した制服姿をチラ見する。

 コクられ数トップ女子になった美晴は(→わたしは2位に転落)、この青葉高等学校サッカー部のエース・北畠翔太に片想い中だ。彼の情報をあれやこれやと収集している。

 美晴が、言い足りない雰囲気をかもしだしていたので、わたしは「で?」と、彼女がしゃべりやすいように促した。

 で? で足りるところが、わたしにとって楽なのだ。
 他に言いたいことあるでしょう? なんて長ったらしいセリフを、さも、続きを聞きますよみたいな表情で口にするのは、ストレスになるのでやりたくない。そういう雰囲気を出すのは、他のクラスメイトからの相談事を受ける時だけで充分だ。

「こないださあ、北畠君にコクるっていう女子がいたから、」

 美晴がやわらかなトーンで語りだす。

 たくさんの男子がとりこになるほどの、美晴のすらっとした横顔が、清らかな笑みを浮かべ、ることはなかった。
 くしゃりと口をひん曲げ、鼻のつけ根と眉間に、思いっきりシワを寄せた美晴が、凄みをきかせて言い切った。

「シメといた」
「――悪い女だ」

そう。

 3年F組の一条美晴は、この世の者とは思えぬほどの美少女でありながら、〝悪い〟女だ。
 男子たちは、美晴の本性に気づかずに、外見だけで彼女に恋をし、告白をしてはバッサバッサと斬られていく。

 まったく男子という奴らは、見かけにすぐにだまされる。おそらくは、近いうちに北畠翔太も美晴に攻略されるだろう。

 男子ども! 隠された内面に、もっと注意をはらえっ!

「北畠君に近づく女は、」

 美晴が、はあーっと窓ガラスに息を吹きかけた。息で曇ったガラスに、美晴が指をあて、文字を書く。

 キュッキュッ、と窓から悲鳴のような音がした。

『殺す』

 書き終えて満足したのか、美晴が「あとでそれ消しといて」と晴れやかな声を出した。

 その声は、美少女にふさわしい、りんとした声に戻っている。

 帰ろうとした美晴の腕を、わたしは掴む。

「悪女」

 美晴に対してちょっとだけ鋭い目を向ける。

 彼女もにらみ返してきた。すぐに、頬をゆるめ、目尻を下げた。

「お互いさまでしょ」

 こんなにもド直球で感情むき出しのナマナマしい言葉。まあまあ仲が良い程度の友だちとは交わせない。単なるクラスメイトにも言えるはずがない。

 美晴にだから、言えるのだ。

 美晴がカバンを男子みたいに肩にかけて、教室から出ていく。

 それにしても――、

 そんなにいいかなあ。

 わたしは、校庭でサッカーボールを蹴る北畠翔太を目で追った。
 確かにイケメンだ。
 ちょっと長めの髪は赤茶色で、とこどころメッシュが入りあかぬけている。公立にしては珍しく、厳しい校則がないうちの学校ならではの髪型だ。

 学年で一、二を争う高身長で、運動神経は抜群。おまけに将来のプロサッカー選手候補でもある。

 彼にあこがれている女子は多い。クラス内や、学年内、下級生……他校からも、彼を目当てに、校庭に女子が集まってくるほどだ。

 だけど、わたしはどうも彼を好きになれなかった。

 鼻につく。

 顔が整っているだけに、彼の仕草の一つひとつがキザったらしく感じるのだ。

 ちょうど、北畠翔太がゴールを決めた。プロサッカー選手のように、両手の人さし指を天に向けて突きあげる。周囲で黄色い声援をあげている女子に、興味もないくせにウインクをする。

 これ。

 こういうポーズが、わたしはあまり好きではない。カッコつけやがって、と思ってしまう。チャラくね? まあ、わたしにミーハーは似合わないから、あくまでもクールにいきたいのもあるんだけどね。時々気になる……いや、そんなわけないじゃん!

 視線を彼に向けていると、美晴が残した『殺す』が、視界のじゃまになった。

 もしこのまま、この文字を残しちゃったら、美晴はキレるかな?
 そんなイタズラっぽいことを考えつくも、彼女の怒りをかいたくはないので、わたしは『殺』だけを指で消したみた。

『 す』

 ……わけが分からない。ひとりでクスりと笑う。

 この、美晴特有の右上がりの字『す』の前に、他の文字をあてはめてみる。まず思いついたのは、〝愛〟だ。

『愛す』

 うーん、ロマンティック。でもわたしのガラじゃないな。

 次に浮かんだのは、だます……漢字が分からない……校内タブレットで調べる。

『〝騙〟す』

 ソッコーで、美晴の顔が脳裏によぎった。

 美少女で可憐な外見だけど、その本性は、性格の悪い暴言女。昔あった気にくわないことをいつまでもねちねちと長年に渡って根に持つタイプだ。

 男子は、彼女にコロッと騙されている。

まあわたしも同じようなものか……。

 いやいや、美晴ほどではない。と、思いたいが、――同じくらいなのかなぁ。

 わたしは今日も、ふうー、っと重量級のため息を吐く。

 校庭が灰色に見えた。舞いあがる砂ぼこりが校庭をグレーに染めているから、ではない。

 わたしの心が、感情が、見えるものを灰色に染めるのだ。

 今日は、塾の日だ。

 塾の後は、お母さんの小言攻撃……。進路調査票のことも……進路で、大学進学だけじゃなく、将来就きたい職業なんて書かせるなよ。よく調べずに『カウンセラー』って書いちゃったし……。

 そろそろ帰らねば、と振り返ったとき、廊下側の壁に貼られた標語が目についた。

〝希望あふれる社会〟

 今どき、高校の教室にこんなのを飾らないで欲しい。

 つうか、やっぱ、重たいわ。希美の『希』って。

 *


 翌日は、大雨だった。
 嵐みたいに、風がびゅうびゅう吹いている。

 こういう天気の日は、ただでさえダダ下がりな気分が、よけいに湿っぽくなる。身体までダルくなるから、不思議なものだ。

 帰りのホームルームが終わった後も、雨は止みそうになかった。とてもじゃないが、ざーざー降りの中を家路につく気にはなれない。

 それだからか、わたしは図書室へ行くことにした。

「一緒に図書室行かない?」

 美晴を誘うも、彼女はちょっと顔をしかめてから、

「興味ないや」

 と、軽やかにカバンを背負い、教室を出ていく。

 そりゃそうだった。
 美晴が本を読んでいるところなんて見たことがない。

 たぶんファッション雑誌ぐらいだ。もしくは、スマホで遊びたいゲームがあるのだろう。

 図書室へ向かう途中で、クラスでも目立たない女子・宮園葵とすれ違う。 
 彼女が誰かとはしゃいでいるのを見たことがない。一度もだ。
 いつも一人で、何かをさぐるようにじっとクラス内を観察している。

 とは言え、きっとわたしも宮園葵と同じなのかもしれない。
 わたしもかなり、クラスメイトたちの表情をうかがっているからだ。いま怒ってるな、とか、笑ってるけど本音は違うだろうな、とかをさ。

 だから、ときどき、宮園葵の目がひっそりと北畠翔太に向けられているのを、わたしは知っている。

 人気者の北畠翔太と、影の薄い宮園葵。

 宮園葵の恋心は、きっと一方通行だろう。

 ただ、〝恋心〟とは決めつけられない感じもする。微妙なんだよね。だって、彼女は、美晴にもよく視線を向けているから。

 図書室に着くと、はじっこの机で、いっしんに読書をしている男子がいた。

 赤茶髪。

 図書室内にわたしが入ってきたことさえ気づいていない。それほどまでに集中して本を読む――北畠翔太がいた。

 へえ、意外。

 サッカーばかりだと思っていたけど、読書もするのか。図書室にいるとこなんて初めて見た。

 雨粒が窓ガラスにバチバチとあたった。悪天候に拍車がかかっている。

 なるほど、雨……、珍しくサッカー部はお休みか。体育館はバスケ部が使ってるし。そう言えばサッカー部の顧問たちは東京へ出張していると聞く。

 わたしはちらりと、彼が読む本のタイトルをぬすみ見る。

『武蔵坊弁慶』

 ドキリとした。息を吸いこみながら、同時に「え!?」と言葉がもれたため、ヒキガエルのような声が出た。

 顔をこちらに向けた北畠翔太と、バッチリ目があう。

 一瞬だけ、彼の瞳にやわらかい光が含まれた感じがあった。

 でも、それは気のせいだったのかもしれない。

 北畠翔太はすぐにわたしから視線をはずし、本を読む姿勢に戻った。

 ちょっとだけムッとした。なんだか無視されたみたいだ。せめて、よお、とか、おまえも本借りんの、とか声をかけてくれてもいいじゃないか。一応は同じクラスなんだし。

 それにしても、

 彼が読んでいる本――武蔵坊弁慶、が気になった。
 つい先日、わたしの空想に現れた歴史上の人物じゃないか。

 まあ、弁慶ブームだから、ちまたには弁慶絡みの本があふれているけど、それでも昨日の今日でその名を目にすると、一瞬ハッとする。しかも、北畠翔太が弁慶にハマっているなんて思わなかったし。彼も、わたしみたいにそういうミーハー的なものからは距離を置いている気がしていたからだ。

 よく見ると、彼が座る机の上には、弁慶が活躍した源平合戦時代の本が何冊も積まれている。実は、相当に入れ込んでいる?

『平家物語』『源氏対平氏』『源頼朝』『日本の歴史2平安時代~』『歌舞伎 勧進帳』

 勧進帳までチェックしてるのか、これは相当だな。

「何だよ?」

「別に」とわたしが言い返すと、北畠翔太は露骨に顔をしかめて「はあ?」とため息を吐き出した。続けて、

「おまえがこっちを見てきたんだろう」

 と、いちゃもんをつけてくる。

 確かにあんたの方を見ていたけど、そんな言い方をしなくてもいいじゃないか。

 でも、普段の教室では中々しゃべらないから、ちょっとコミュニケーションをとってみたくもあった。幸い、周囲にはわたしたち以外に誰もいない。

「弁慶好きなの? 勧進帳の本まで読もうとしてるし」

「別に。おまえにカンケ―ねえだろ」

 言うや、北畠翔太は、机上の本をごそっとカバンにしまった。直後、ガガっとイスを引く音がして、彼は図書室を出ていったのだ。

 わたしは、彼が閉めなかったドアを、目で射殺さんばかりににらみつけていた。念力が通じたのか、ちょっとドアが動いた気がする。同時に、ピカッドドンと空がぱっと明るくなり、雷鳴がとどろいた。

 念力は、雷となって落ちたほうに通じたのかも。

 

 帰宅後、図書室での出来事がしゃくにさわっていたため、なかなか空想に集中できなかった。北畠翔太……イヤな奴! イヤな奴! 心がかき乱されている。声なんてかけなきゃよかったよ。

 机上で頬杖をついて、空想世界に入り込むための体勢をとっているのに、落ち着かないまま時間が経っていく。

 あいつが取った行動を振り返る度に、プリプリした感情が呼び起こされる。

 そういえば、一瞬だけあいつが、やわらかい視線を向けた気がしたな。

 目が合った瞬間だった……頑固そうだけど、サッカー部のキャプテンやってるだけあって頼りがいのある目もと――うわっ、わたし何を考えてんだ! ブンブン顔を振って、再び集中を試みる。

 弁慶を脳裏に描こう。イケオジの弁慶の……勧進帳シーン。クラスメートには知られずに持ち歩いている弁慶缶バッチを、手にぎゅっと握り込む。

 すると、見えている世界がきゅーっと狭まっていった。黒目が細くなっていく感じがする。かわりに、頭の中に、登場人物たちがイキイキと浮かんでくる。いつしかわたしは空想にふけり、勧進帳の世界を泳ぎ始めていた。

 

【希美 脳内空想中】

 壇ノ浦の合戦で、源義経は平氏を滅ぼした。1185年のことだ。

 普通ならば兄・頼朝から「義経、よくやった」と褒めてもらえるはずなのに、そうならなかった。

「兄上はどうやら私に対して怒っているようだ」と義経が困った顔をする。

 なぜ、頼朝が腹を立てたかというと――、

①   義経が、後白河法皇(官位をさずける、当時のエラい人)から、頼朝の許可なく検非違使の官職(いまで言う京都府警察本部長みたいなもの)に任じられた。

②   平氏と戦っているさいに、頼朝の命令で義経の軍にいた梶原景時という武将が、頼朝に、「義経って自己チューでひどいんですよー。周囲の意見に耳をかたむけずに勝手に軍を進めるしー」と義経の悪口を言った。

 などの説がある。

「うーん、義経め、最近調子ぶっこいてんな」と頼朝は義経に会おうとしない。

「兄上、怒らないでください。誤解ですよ」と義経は頼朝に釈明の手紙を書く。

 しかし、二人の溝は埋まらない。

 頼朝は、義経を許すどころか、「義経を捕まえよ!」と周囲に命令してしまった。

 こうして、義経は弁慶などの郎党と一緒に、奥州に向けて逃亡する。

 その道中、

「あれが安宅の関所(石川県小松市付近)か」と山伏(山で修行する人)姿に変装した義経が弁慶に確認する。

「殿、関所では通行人を確認しますので、できるだけ帽子を深くかぶり、顔が見えにくいようにしてください」と、同じく山伏姿の弁慶が念を押す。

 安宅の関所を通り抜けようとした時、

「待ていっ!」と、関所を守る役人・富樫泰家が、大声をあげた。

「われらは山伏でございます」と弁慶が落ち着いた声で応答する。

 富樫泰家は、最初からこの集団を疑っていたので、

「だったら、勧進帳(山伏が持つ巻き物。募金をお願いする文章が書かれている)を見せい!」と詰め寄った。

 弁慶や義経は本物の山伏ではないため、勧進帳を持っていない。

 超ピンチ!

 と、

 弁慶が、何も書かれていない白紙の巻き物をふところから取り出すや、本物の勧進帳が手もとにあるように朗々と、言葉を口にしていく!

 見事に、最後まで読み切ったように演技をした弁慶が、「これでよろしいか?」と富樫泰家を見やる。

「う、うむ。ならば、よい。関所を通れ」

 富樫泰家は、眼前の一行を止める理由がなくなったのだ。

 緊張しながら、富樫泰家の前を、弁慶たちは通り過ぎようとした。これでひと安心――。

 しかし、富樫泰家が再び声を大にしてストップをかけた。

「そこの者、帽子を取って顔を見せいっ! 源義経に似ておるわ!」

 富樫泰家が指さす先には、帽子を目深にかぶった義経がいた。

 絶体絶命――。

 ここを切り抜けるには、富樫泰家と戦うしかない……そう覚悟を決めかけたとき。

 弁慶が、持っていた杖で義経を叩きだした。

「おまえのせいで関所を通れないじゃないか! おまえが義経に似ているから、関所を通してもらえないじゃないか、どうしてくれるんだよおっ!」

 その叩きっぷりはあまりにも手加減がない。ビシバシと痛そうな音がする。

 見かねた富樫泰家は、

「もうよい。行け。この関所を通られよ」

 さらには、

「もしもその者が義経だったとしたら、主人を杖で叩くことなどできはしない。もうおまえたちを疑わないから、早く関所を通って、去れ」と、富樫泰家はしんみりした口調で言った。

 無事に関所を通過し、役人たちの目が届かない場所まで来ると、弁慶が、義経に対して土下座をした。

「殿、申し訳ございません。いくら関所を通り抜けるためとはいえ、杖で叩いてしまいました。この場で死んでお詫びいたします」

「よい。おまえがそうしてくれたから、無事に関所を突破できたのじゃ。まあ、ちょっと痛かったけどね」と義経が苦笑いする。

 
 うわあ、うわあ~っ!

 気づくと、わたしは泣いていた。
 だって、主人を棒でぶったんだよ。家来が殿さまをなぐるなんて、ありえない。

 だから、弁慶は、死んで詫びるとまで言いだしたし。
 ぶたれた義経は、弁慶に、おまえのおかげだ、とお礼を言っているし。

 たぶん、富樫泰家は、ホントのことに気づいていたよね。心の中で泣きながら、主人を棒で打ちすえる弁慶の気持ちをくみ取って、義経たちを見て見ぬふりをした。

 歌舞伎でもよく演じられる有名なエピソードだ。人気があるから、ドラマでもよく見かけるシーン。何度見ても、何度空想しても、わたしは号泣しちゃう。

「希美、夕ご飯!」

 お母さんがわたしを呼ぶ。

 ああ、現実だ。模試の結果をまだ見せてない。めっちゃ数学の成績下がったの、なんて言い訳しよう……。また将来うんぬんって怒られる……。カウンセラーって何? とか言われちゃうのかな……?

 視界が灰色に染まりだす。ゆっくりと、2階から1階へ、ぎしぎし音を踏み鳴らしながら、階段をおりていく。

 空想から抜け出すと、いつもこんな感じ。あ、塾の宿題もやんなきゃ。学校の宿題も。

 なんか、このパターン前もあったな。つか、いつも?

 武蔵坊弁慶が、後日、わたしの目の前に現れるなんて――この時のわたしに教えてやりたいぐらいだよ。


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