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怨霊鎮魂使 第6話


第6章 橋本希美は、おばあちゃんからの手紙を読む

 
「ちっ、違う!」

 否定する声をだすよりも先に、頭をぶんぶんと、激しく振っていた。声が、ぶわーんとわたしの顔の前で揺れた気さえする。
 嫌だ! バレたくない! 妄想癖女だなんて思われたくない。

「だって、おまえ、いま、妄想してるみたいにさ――」
「妄想なんかしてないっ!」

 ガガガっとイスを引きながら、その場で立ち上がる。机上で積み上がった本に、腕があたった。バサバサっと本が崩れる。

「ぎゃっ!」

 机の上に散らばった本を隠すように、自分の上半身でおおった。わたしが弁慶ミーハーであることも知られたくない! て、これもヤバい行動になる?

「おまえ、先祖から何か受け継いでねえ? 仕事とか?」
「なぬ?」

 北畠翔太の質問が耳の穴から素通りしかけた時だった。遅れて、おばあちゃんのことを思い出す。わたしは、おばあちゃんから空想の血を受け継いでいる!
 即座に顔に血がのぼる。今、ぜったいに顔が真っ赤だ。否定しろ! 頭を横に振れ!
 そう思うほどに、何が何だか分からなくなって、よけいに混乱してきた。
 気づくと、
 北畠翔太が眼前にいた。澄んだ瞳がわたしに向けられ、目が合う。

 やっぱ北畠翔太って、男なのに綺麗な顔してる……。まつ毛長いし。

「まずは落ち着けよ」

 穏やかな口調で、北畠翔太から言葉をかけられた。碧色の瞳に吸い込まれそうだ。
 先ほどの慌てっぷりが、凪いだ海面みたいに静まった。

「深呼吸。ハイ、吸ってぇ」

 言われたとおりにわたしは息を吸う。彼は運動部に所属しているせいか、深呼吸の音頭とりも上手だった。

「吐いてぇー」

 はああ、と息を吐く途中で、わたしの息が北畠翔太に吹きかけられていることを悟った。瞬時に、息を止める。せき止められた呼気が、口のなかで爆発する。

「ぶぇわっ!」
「うわっ、何だよ!」

 北畠翔太が一歩、後ろへさがった。彼のイケメン顔が遠ざかると、ちょっと残念な気もしたが、冷静にもなれた。
 とりあえず、今のこの危機から脱しないといけない。

「もう大丈夫だからっ!」

 わたしの前から去って、とはっきりは言えない。おまけに、あなたがいま見たわたしのことは忘れてなんて頼めるはずもない。とにかく、この場から、わたしが去ればいいんだ。
 机上の本を寄せ集めて、本棚にしまおう。そうして、すぐにこの図書室から出る。

 なのに……、

「しゃーねーな、手伝うよ」

 北畠翔太が、わたしの返事も聞かずに、本を何冊か手にした。

「や、別に手伝ってもらわなくても――」
「これ、」

 既に歩きだしていた北畠翔太が、首をめぐらして振り返りながら、ちょっと笑った。

「俺も読んだから、どこの棚にあったかすぐに分かるんだよ」

 北畠翔太がテレながらはにかんだ。ピュアな笑顔だった。前に見たやわらかい光が、瞳に集まっている。

「片付け終わったら、俺の質問に答えてくれよな」
 

 
「おまえ、空想って得意?」

 片付け終えると、さっきとは微妙に違う聞き方で質問を投げられた。どう答えれば、妄想癖がばれないだろうか。得意じゃないって言えばいいだろうか。
 そうしたら、さっきは何やってたのと再質問されちゃうだろうか。言い逃れることは可能だろうか。

 脳をフル回転させて考えていたら、北畠翔太はわたしの返事よりも先に、ちょっと興味深いことを口走った。

「俺さ、空想が得意な奴を探してるんだよ。探してるというか、いたらいいな、みたいな感じだけど」
「……へー? どうして?」

 すると、今度は、北畠翔太が答えあぐねた。あれこれと考えをめぐらしている様子だ。これってひょっとして、形勢逆転? 

「ん、んん、と、理由はちょっと……というか、もし、もし少しでもピンと来たら、素直にそうだって言って欲しいんだけどさ……怨霊鎮魂使って職業に聞き覚えない?」

 怨霊……何それ? つうか、ヤバくね? 北畠翔太って実はオカルト系?

 心情が素直にわたしの顔にあらわれたようだ。

「あ、いや、別にその……怨霊うんぬんって言うよりは、まあ、祟りと交渉する仕事で」

 祟り? こいつヤバすぎるんじゃね?
 わたしは北畠翔太から一歩距離をとる。物理的には一歩だけど、心理的には百歩くらいだ。カッコいいとちょっと思ったわたしが馬鹿だった。

「え、あ、おまえヒイてね。俺、別に霊をどうこうちゅうか、結界がさ……」

 霊? 結界? ヒクわ。そりゃヒクって。わたしはさらに二歩、三歩とさがる。

「いや、違うんだよ。あ、違うというんじゃなくて、このままじゃ現世がヤバいから」

 北畠翔太が真剣な眼差しでわたしに訴えてくるも、そのシリアスさが逆に怖かった。
 現世がヤバい? おまえがヤバいんだよ! わたしは周囲に視線を走らせる。
 右も左も、前も後ろも、わたしを助けてくれる人はいない。ちょっと、ちょっとぉ!

「俺さぁ、なんつーか、いままで必死になって何かをやり遂げたことねーんだよ。あ、サッカーはそれなりにやってるけど、それってガキの頃から当たり前にやってたから自分の中で必死感が乏しくてさ……って、待てよ、聞いてくれよ!」

 逃亡をはかろうとしているわたしに気づいた北畠翔太が、もっとわたしに近づいてきた。彼の匂いまで分かるくらいに……え、わりといい香り、って、わ、壁ドン直前みたいなんですけど。

「俺、必死になりたかったんだよ。こんな外見だから熱血クンに合わねーって思われてるだろうけど、それでも俺は、先祖から受け継いだこの職務をまっとうしたいんだよ! 初めてなんだよ、こんな気持ちは!」
「……」

 先祖から受け継いだこの職務をまっとうしたい? 駄目だ。こいつ完全にイカれてる。中二病真っただ中。絶対にかかわっちゃいけない人物だ!
もうこれしかない。最終奥義――遁走!

 わたしは、いちもくさんに、その場から逃げだした。

 図書室のドアから抜け出て、廊下を駆けていくわたしの背中に向けて、北畠翔太が声を張りあげた。もう少しで階段だ。

「怨霊がらみでちょっとでもピンと来たら、俺に声かけてくれ! 頼む!」
 怨霊にピンとくるわけないでしょっ! ヤバっ、ヤバいって。

 階段は静かに降りましょう、にケンカを売るように、わたしは全力疾走する。
 

 
 最悪な誕生日になってしまった。
 下校途中、わたしはふうーっと長い息を吐いた。
 何よりも、空想にふけっている顔を見られたのが痛い。たぶん変な顔になっていたはずだ、いや絶対。

 あれからずっと、北畠翔太はわたしのことをチラチラと見てきた。授業中も。彼がクラスでわたしの妄想癖を言いふらさないか、話題にしないか、とても心配で、学校にいる間は生きた心地がしなかった。

 しかも、怨霊とかヤバいことを口走ってるし。
 人は見かけによらない……まさに北畠翔太のことじゃん。

 美晴ともあまりしゃべる気が起きなくて、帰りのホームルームが終わるなり、さっさと教室を出た。いまは、おばあちゃん家に向かっている。電車で20分ぐらいのところだ。

 おばあちゃん家の最寄り駅で降りると、ようやく緊張から解放された気がした。
この町は、わたしが住むところよりも静かだ。マンションがあまり建っていない、古い一戸建てが多いエリア。
 歩道に転がっていた小石を蹴る。ちょっとむしゃくしゃしていた。小石は浮きながら飛んでいき、ゆうゆうと前方を歩いているネコにぶつかりそうになる。

 ぶしゃあああっ!

 怒ったような鳴き声をあげるネコと目が合った気がした。
 前にお母さんから言われた言葉が、ふと胸の中によみがえった。

 ――あんたって、ときどきネコみたいな目をしてじっとしてるわね。おばあちゃんみたい。

 それ、絶対に、おばあちゃんが空想の世界をさまよっていたときの目だよ。

 おばあちゃん家に着く。持ってきた鍵でドアを開けると、自分の家とは違う匂いをかいだ。わたしは結構この匂いが好き。

 ――孫が18歳の誕生日を迎えたら、この箱を開けさせるように。

 わたしは、いままさに、その箱を開けようとしている。さあ、何が入ってるの? 今日は変なことがあったから、せめて箱の中身だけでも、わたしを喜ばせるものであって欲しい。
 ドキドキしながら、おばあちゃんの畳の部屋に入り、目星をつけていた襖を開ける。あった、小ぶりで片手で抱えられるほどの木製の箱だ。
 
「これだけ……?」

 思わず呟いていた。
 箱には、手紙と、お祭りで着るような古いハッピしか入っていなかった。ぶっちゃけ、孫への未来のおこづかいなんかを期待していたのに。
 ちょっと投げやりな気分で、ぞんざいに手紙に読み始める。目が一つの言葉を拾った。

怨霊鎮魂使

 え……!?

 ――怨霊鎮魂使って聞き覚えない?

 北畠翔太のあの綺麗な顔が、頭の中で、ぼうっと浮かんだ。碧色の瞳。振り返ったときのはにかんだ笑顔。まつ毛も女の子みたいに長かった。ピュアな表情……。
 ほっぺたが熱くなる。きゅ、と胸の奥で何かがしぼられる感じがした。
 でも同時に、怨霊とか結界とか口走っていた表情も思い出す。あのとき抱いた『ヤバいよ~』って感情がぶり返される。

 いや、それよりも……と、わたしはおばあちゃんの手紙を読むことに集中する。
 手紙の内容をいくつかにさらっとまとめると、こうだった。
 
 〇非業の死を遂げた怨霊の祟りを鎮める、怨霊鎮魂使なる者がいる。能力別に、召喚士と交渉士がいて、遥か昔は二人が協力して祟りを鎮めていた。

 〇おばあちゃんは、そのうちの交渉士である。我が家では、一世代を飛び越えた隔世遺伝で、その能力が受け継がれ、職務をまっとうしている。事前に、怨霊がいた世界を空想することで、怨霊が何を不満に思っているかをさぐる。

 〇江戸時代の初期に、優秀な二人の怨霊鎮魂使が、現世に強力な結界を張った。それによって、大きな祟りは弱小化され今に至る。

 〇怨霊を消す呪文もあるが、それは奥の手。気軽に使ってはいけない。

 〇召喚士と交渉士が、離れ離れになってから約400年が経つ今、結界が徐々に弱まってきている。特に、最近は、雲行きがあやしい。一人で対応するには限界が来た。言い伝えにはこうある。【結界が破れ、怨霊が解き放たれるとき、18歳の男女が現れ、現世を救う】もう一人の、召喚の能力を持つ18歳の少年を見つけて、現世を救って欲しい。
 
 手紙の最後は、次のように結ばれていた。
 
『もしも私が命を失うことがあれば、それは、結界が限界に達したことを意味する。つまりは、怨霊に〝殺された〟ということ。
 希美に、これほど危険なことを託すことは、とても辛い。できればおばあちゃんの代で、きちんと結界をむすび直したいと思っている。だけれども、もしもの時は……、おまえは希望。遺志を継いで現世を救っておくれ』
 
 綺麗な字で書かれていたが、最後、わたしに語りかける字は、少し乱れている。手紙にあるように、『辛い』感情を、そこからわたしは読みとった。
 わたしは、手紙をそっと畳に置いた。

 動揺。
 心がぐらぐらし、平静を保てない。

 北畠翔太が口にした単語が、おばあちゃんの手紙の中にはバンバン出てきた。

 怨霊鎮魂使、祟りと交渉、結界、現世……。

 北畠翔太の真っすぐな目が思い返される。あの真剣さ。

 ……そんな、マジなの? この手紙に書かれていることって真実なの?
 わたしは、手紙と一緒に入っていた古くさいハッピを手に取る。背中側に『祓』と禍々しい漢字が書かれている。これをおばあちゃんも、そのまたおばちゃんも着てきたの? そして怨霊と対峙してきたの?

 そんなことってある? ファンタジー小説じゃあるまいし。

 でも、わたしは空想が得意。空想世界にふけると、登場人物の声まで聞こえてくるぐらいに没頭できる。おばあちゃんが言うには、それが怨霊を鎮めるキーになる……。

 え、わたし信じてるの。こんな手紙の内容を受け入れちゃってるの?

 もし本当だったら、ここに書かれている召喚士が――北畠翔太。

 しかも、これって、おばあちゃんは怨霊に殺されたことを意味するってことでしょ? 空想中に亡くなったのは……実は、空想中におばあちゃんは怨霊を説得しようとし、そのまま……。

 それだったら、手紙に書いてある『怨霊を消す呪文』を唱えればよかったのに、でも、おばあちゃんはそれをしなかった。だって、だって、それは――。

 長い、長い、息を吐く。涙がほほを伝う。
 それは、……感極まって、感動で泣いているわけじゃない。

 ふざけんな! だった。

 勝手に、そんな仕事をわたしに押しつけないで欲しい。ただでさえ、塾で忙しいのに。しかも、希望って。『希』はわたしが一番……嫌いな漢字なの。
 まただ。目の前が灰色の景色に変わっていく。

 こんな現実、嫌だよぉ――。

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