怨霊鎮魂使 第13話
第13章 北畠翔太は、優しい仕返しを知る
「ふざけんな!」
俺は橋本希美を守るために、一条美晴に立ちはだかった。
考えている余裕なんてなかった。刺される怖さよりも、身体が先に動いていた。
一条美晴の唇がはげしい勢いで震えた。直後、口から垂れたよだれが糸を引いた。悲しみを帯びたおたけびを彼女があげる。怨霊となっていた弁慶があげた声とはまた違う、腹の底に染み入る泣きそうなほどに痛ましい声だった。
俺は右手と一緒に左手を前にかざす。もうこれしかなかった。
怨霊消滅の呪文。
印を切る――その仕草に、一条美晴もピンとくるものがあるのか、小刀を振り上げていた腕をおろし、防御するように身構えた。
「ダメ!」
橋本希美が俺の背中からぶつかってきた。不意打ちのような衝撃で、俺と、ぶつかってきた彼女はもんどりうって倒れる。
「美晴が消えちゃう! その呪文を使ったら、美晴が消滅して、大切な人と来世で会えなくなっちゃう! それに――」
橋本希美が激しく首を振った。𠮟りつけるように、ヤンキーみたいに俺の胸ぐらを掴む。
「北畠も、来世で大切な人と会えなくなっちゃうでしょ!」
そう。
この消滅の呪文は、諸刃の剣だ。
自分を害そうとする怨霊を消し去ることができる。消された怨霊は、文字どおりキレイさっぱりに存在が消える、魂ごと。つまりは、来世へ転生することができなくなるほどまでに完全に消されるのだ。人は来世に転生しても、愛する人と姿かたちを変えて再会する。それさえも叶えさせぬほど、完全消滅させる呪文だ。
そして、それば消滅呪文を唱えた自分にも跳ね返る。唱えた者の存在、魂も消され、現世どころか黄泉に行くことさえできなくなる。転生への道も閉ざされる。すなわち、愛する者との再会もまた、呪文を唱えた者には訪れない。
これが、――おそらくオヤジが呪文を唱えなかった理由だと思う。
いつの日か、来世、どんなカタチであれ、愛する家族と再会したい。
だから、オヤジは消滅呪文を唱えることはなかった。その結果――。
「くぇええええーっ!」
絶叫だった。一条美晴の頭に角が生えていた。口からは鋭い牙が二本、とび出ている。
これはひょっとして恨みの果ての〝鬼〟の姿なのか。
一条美晴の瞳には、もう何も映っていない、そう思わせるほどの虚無しか感じられなかった。閉じきれない口からはよだれが幾筋も滴っている。
「もういい。来世の再会なんてまやかしじゃああ! おまえも、おまえも、おまえも、ぜーんぶ、刺し殺す」
一条美晴は、俺、橋本希美、弁慶へと順に指をさし、その指先を尖った舌先で舐めた。
これはたぶん……かなりマズい。
俺は倒れた姿勢のままで、再度、消滅呪文のために印を切ろうとする――その手を、橋本希美が止めた。
ゆっくりと首を振る。見つめ合った。
そうして、今度は、橋本希美が消滅呪文を唱えるために、両手をかざす。
「おまえ、何してるんだよ! そんなことしたら、おまえが消えちゃうし、おまえが来世、大切な人と会えなくなるだろ!」
「ううん。いいの。だって……」橋本希美の表情が曇る。「わたしの毎日って灰色だから。もう終わらせていい。それに、お母さんとは仲が悪いから、別にもう会わなくても……」
「何を言ってんだよ!」
俺の言葉を無視して、橋本希美が印を切り、呪文の言葉を口に――。
その口が、ふさがれた。
俺たちの顔ぐらいの大きな手のひらが、橋本希美の口にフタをしている――弁慶だ。
てめえ! この場に及んで、弁慶は一条美晴の、霊の味方をしようというのか。
弁慶をどけようと体当たりをくらわすも、まるで鋼鉄に身体をぶつけているみたいだ。硬く、重い。とても自分と同じ人間だったとは思えない。
弁慶が、橋本希美と俺に強い眼差しを向けた。そこに敵意は感じられない。とても奥深い、優しい瞳で俺たちを真っすぐに見ていた。
ひょっとして弁慶は――。
「その術を唱えてはならぬ! 大切な者を失う!」
そう言っている最中に、一条美晴が襲ってきた。「くそうっ、くそうっ」と弁慶の背を小刀で突く。ダメージが蓄積されていくのか、弁慶が片膝をついた。
一条美晴からの攻撃を、弁慶が身を盾にして防いでくれている。
弁慶が半分目を閉じながら、苦し気に、でも必死に言葉をかけてくる。
「現世には、子どもを苦しめる毒親がいる。それがしの時代もそれはあった。そのような親との縁は切った方がよかろう。そこでおたずね申す。あなた様の母上は毒親か?」
「え……!?」と橋本希美がうろたえる。
弁慶は諭し続けた。
「親は、あなた様のことを思い、ときに耳に痛いことも申します。母上は、ずっとあなたに対してつれない態度をとっておられますか?」
「違う。そんなことないよ」橋本希美がぶんぶんと頭を振った。目尻に涙が浮かんでいる。「お母さんは、ちょっと口うるさいけど……、けど、」
一度言葉を区切った橋本希美は、こう断言した。
「わたし……お母さんとは縁を切りたくない!」
「そう思うのであれば、その術を唱えるのは止めておきなさい」
一条美晴からの攻撃を受け続けた弁慶は、片膝どころか両膝をついていた。それでも、俺たちを守ろうとしてくれていた。
攻撃を繰り返す一条美晴にも疲労の色が見えていた。表情がゆがんでいるのは、憎しみ以上に、疲れも影響しているのだろう。積年の恨みも加わってマシマシだ。
一条美晴がぶるっと大きく震えた。目がくわっと見開かれる。それは明らかに、彼女が最後の一撃として、全身全霊の攻撃をしかけてくる前触れだった。小刀を持つ腕が垂直にあがる。絶対にこの攻撃はドギヅい。弁慶であっても、受けたらタダじゃすまないはずだ。さらには、弁慶が守ってくれている俺たちにも……ダメージが届く。
「きょええええいっ!」
腕が振り下ろされる直前、俺は身を投げだそうとした。俺で防げるはずがないのに。刀身が鈍く輝くのが目に入った。
その瞬間――。
「美晴よ」
声が聞こえた。固まるように一条美晴の動きが止まった。
背中ごしに、彼女に声をかけた者が歩みを進める気配が伝わってくる。
振り返る。
揺らめく闇から、人物が――クラスでは目立たない存在の宮園葵が、現れた。
一歩進むごとに、宮園葵の姿が少しずつ、変貌していく。
背の低い遠慮がちな女子の姿から、優しそうな顔をした大人の男性になっていた。
男をじっと見ていた弁慶が、何かに気づいたのか「あっ」と声をあげた。
「美晴……いや、シズ」
男が、やわらかい声で呼びかけた。
「そ、その、声……、顔……。おまえ、おまえさん……?」
「ああ。長い間、待たせたね。やっと当時の姿で会えたね」
目尻を下げた男は、一条美晴を包み込むような声と眼差しを向けた。
一条美晴が小刀を投げ捨てた。すぐに、宮園葵だった男に泣きながら抱きついた。
あまりの急展開で、俺は思考をめぐらせられない。ただ、ここに現れたということは、あの宮園葵だった男も〝死者〟、霊ということだ。
男が一条美晴の頭を愛おしそうに撫でる。ぎゅっと抱きしめる。彼女は涙でぐしゃぐしゃだ。大泣きしながら、男にしがみついている。
そうして、しばらくの時間が過ぎた。
男が、俺と橋本希美に対して、穏やかにほほ笑んだ。
「妻が、あなたたちを怖がらせてしまいました。大変申し訳なく、謝ります」
弁慶が控えめに話しかけた。
「あなた様はひょっとして……」
男がちょっとだけ芝居がかったように弁慶を見た。
「覚えておいでですか?」
試すような表情をつくってから、男は弁慶にたずねた。
「忘れもしません。屋島での戦いのおりに、我が殿・義経様が弓を海中に落としてしまった。その際、殿が弓を拾えるよう、敵方にもかかわらず、いっとき攻撃を止めてくれたお方……そうではありませんか?」
彼らが話していることは、『義経の弓流し』として伝わるエピソードだ。
「そんなこともありましたね」
男は当時を懐かしむように、空中に視線を預けた。
「おお。やはり」
弁慶が感じいった気持ちを言葉にのせる。が、すぐに、はっ、と鋭い息を吐いた。あっという間に、顔や身体がわなわなと震えていた。
「ひょっとしてそれがしは、そんなことまでしていただいた、あなた様を……斬って……殺してしまったのでしょうか?」
「合戦ですから。戦という大混乱の中での出来事、しかたがなかったことです」
その言葉で、弁慶が膝から崩れ落ちた。
申し訳ございません、と土下座をしておでこを地面につける。
「弁慶様、顔をおあげください。あなた様が討ったのは、名も伝わらぬただの一兵士です」
「されど、されど……」
「弁慶様、」
男が語調を強めた。
「すべて、戦が悪いのです。もしも戦さえなければ、わたしと弁慶様は出会うこともなければ、殺し合うこともなかった。ただ、時代が、そんな時代に生まれてしまったから……なのでしょうか」
義経が弓を拾えるよう、男が攻撃の手を緩めたという話は、少なくとも俺が読んだ歴史の本には書かれていない。
だから、そのことが本当のことなのか、それは、当時を生きた本人たちだけが知りうることだ。
男が、俺と橋本希美に対して、かしこまった。
「この度は女の姿になり、あなた方をだましてしまいました。重ねて、お詫びいたします。妻が弁慶様を狙っていることを知るも、黄泉の世界では妻と接触することがかないません。そのため、結界のほころびから抜け出たわたしは女子の姿に化け、学校の教室に溶け込み、妻の報復を防ぐタイミングをはかっておりました。だが、ちょっと現れるのが遅かったようですね」
男が、ダメージを受けている弁慶をちらりと見た。
続いて、男は一条美晴、いや、シズに声をかける。
「シズ、すべてはあの時代がいけない。希美殿がおっしゃるとおり、人は、殺し合うことを繰り返してはいけない。そんな時代は終わりにしなければいけない。だから、復讐なんてこともおやめなさい」
それはきっと、男の本心なのだろう。
一条美晴が、ひくっ、と息を吸う、すぐに、ぽろりと涙の粒が落ちた。男の胸に顔をこすりつけながら、声をかみころして泣く。
男は一条美晴を愛おしそうに撫でた。正直、二人のラブラブっぷりに目をそらしたくなる。ああ、俺、心がせまいな、と思いかけたとき。
男と、一条美晴とが、眩い光に包まれた。
シワだらけだった一条美晴が、みるみるうちに、クラス男子の中での密かな話題《恋人にしたいランキング№1》の彼女の姿になっていく。
「希美」
一条美晴が、橋本希美に呼びかけた。声も元に戻っている。
「嬉しかったよ。一番仲の良い友だち、って言ってくれたこと。あたし、絶対にその言葉を忘れないから」
一条美晴と男の輪郭がぼんやりしだす。
俺の隣りに立つ橋本希美が、叫んだ。
「美晴、いかないで!」
一条美晴が、笑んだ。それはドキッとするほどの清らかさだった。
でも同時に、消えてしまうことを、充分に分からせてくれてもいた。
「少しの間だけど、一緒に過ごせて楽しかったよ。もしも同じ時代に生まれていたら……」
一条美晴が消えていく。最後の言葉を飲みこみながら、消えていく――。
弁慶が、男に向けて、熱心な声色で嘆願した。
「お待ち下さい。せめてあなた様のお名前だけでも。源氏の威信を保ってくださった、あなた様のお名前を教えて下さりませんか?」
男は首を真横に一度振り、こう返した。
それはきっと、自分を殺した弁慶に対する、男なりの優しい仕返しだったようにも、俺には思えた。
「わたしは歴史上、名も無き者です。来世、戦のない時代でまたお会いした際に、お伝えいたします」
ふいと、弁慶から視線をそらすと、男は俺と橋本希美の双方へ頭を下げた。
「実は、あなたたちの言霊を聞いておりました。もしも、あなた方が中途半端な心構えで言霊をとばすようでしたら、わたしは怨霊として祟りを起こしていた気がします。しかし、そうはならなかった。あなた方の想いがひしひしと伝わり、気持ちが鎮まりました。素晴らしい怨霊鎮魂使です。歴史はきっとあなた方を待っていたのかもしれませんね。ひょっとしたらわたしは、そのために……今回のことを伝える……」
男が寂しそうな目を束の間した。でも、すぐに、
「お見事でした――」
言葉が、海上に浮かんだ泡沫(うたかた)のように、ふつりと、消えた。
一条美晴と、男の姿もまた、消えていた。
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