最期こそにぎやかでありたい

意味深なタイトルになってしまった…こんばんは、ねくろむです。

先日、祖母がこの世を去りました。少し前には大叔父が。ここしばらくはいつになるか分からないという状態だったので本当に頑張っていたと思います。本人も家族も。

僕と祖母の思い出はあまりないし、大叔父に最後に会ったのも10年以上前ですが今回のことでいろんなことを考えてしまったのでそれを吐き出していこうと思います。


最期のその後どうありたいか

大叔父の葬式は少人数で行われました。

僕は出席できませんでした。コロナウイルスの影響で少数の近親者で行うことになってしまったからです。

祖母の葬式はさらに少人数になる予定だそうです。

しばらく会ってないな…なんて考えていたらもう2度と会えなくなってしまったんです。最期もみることはできません。


誰しも死んでしまえばそこで終わります。ですがその前後どうなって欲しいかということを考えてしまいます。

僕はなんていうか辛気臭くなってほしくはないんですよね。だからといってそこに何もなかったのようには終わりたくない。

最期くらい会いたいし、会ってほしい。たぶんただそれだけだと思います。

どれだけ時が経っていたとしても自分とその人が共有したものってのはどこかにあるじゃないですか、それを思い出してもらえるような時間が欲しいんです。


ていうかそもそも

仕方ないのはわかってる。

けどさ、最期の時間さえももらえない今の状況おかしいよ。

うまく言葉には表せないけどモヤモヤしたものが積み重なっていく気がします。


頼むからなんとかなってくれ、このままじゃ苦しい



文章も感情もとっちらかってきているのでこの辺にしておきます。

自分の最期はどうなるんだろうなぁって考えたところでタイトルが思い浮かんだ ねくろむ でした。

次はなんか楽しいことがあったら書こうかな、それでは

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