子どもだからわからないと思ってる?そんな訳ないじゃん

私が小学生だった頃、母は●TAの役員をしていた。

それまでいつも帰ると家に母がいたのに、帰宅しても母の「おかえり」の声が聞こえてこなくなり正直寂しかった。

それでも学校のために頑張ってくれている母が少し誇らしくもあった。

母にも仲の良い役員仲間も出来たようで、3年生に始めた役員活動は卒業するまで続いていたように思う。

そんな小学校時代を過ごし私は4年生になった。

当時、私の校区にある公立中学校は荒れていたようであまり良い噂は聞かなかった。

公立に進んだ兄の担任がことごとく酷い教師だったこともあり、私は私立を受験することになった。

消極的でぼんやりとした競争心のない私を心配した結果だったのかもしれない。

受験校は女子校で中学から大学まで用意されている。競争心が無くても普通にしていれば大学まで心配が要らない、というのも安心要素の1つだったかと思う。

中学校受験をする前には学校見学というものが用意されている。

当時、私が受験を予定していた学校には同小学校から私を含めて2人受験することが決まっていた。

キレイで大きな校舎、時計塔、セーラー服・・・いつもと違う風景と空気。お茶菓子なんかも出してもらって、私ははしゃいでしまいいつもよりテンションが高くなっていた。

いつも大人しそうにしていた私がはしゃいだせいか、もう一人の受験生の担任教師が呆れ口調で「・・・お母さんと違って大人しそうだと思っていたけど、やっぱり親子ね」といった。

途端にはしゃいだ気分がぺしゃんこになったのを覚えている。

どういう意味で言ったのかは当の教師に問わなければわからないけれど、表情や声から馬鹿にしたような雰囲気は伝わった。

母が家を空けてまでやっていた役員活動はこんな風に教師から見られていたのか?!という思いで虚しさと共に怒りさえ感じた。

子どもだから何を言っても分からないと思ってるでしょ?でもね、6年生くらいになったらそれくらいわかるし、感じることもできるんですよ、先生。

頑張っている母を馬鹿にされたと思うと、もうその後は・・・。

思い返してみると、先生という人に対する不信感を持ったのはあの先生からかもしれない。

学校の役員活動が実際どうだったのかは知らないし、私も自身の子どものために何度か役員活動はしたけれど・・・子どもに寂しい思いをさせてまでする活動ではないというのが私の考え方。

あの時期にもっと家で母と話せていたら、もう少し今が変わっていたのかな・・・?なんて最近思ったお話。

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