私は冷たい娘

小さい頃、母は拝み屋さんと呼ばれる人に会いに行ったことがあった。

確か私が小学校低学年くらいだったように思う。

良く当たると評判の人だったようで、母は近所のT奥さんと一緒に見てもらったようだった。

拝み屋さんから帰ってきた母が私に言った言葉は「あんたは冷たい娘だって」だった。


私には4つ年の離れた兄がいた。

甘え上手な兄は小さな頃から初孫として裕福な母方の祖父に可愛がられた。父母には自分がどれほど凄い親孝行して見せるか!母にはすべての指に宝石のついた指輪をはめるほどの贅沢をさせる!父には野球選手になって活躍する!などと話していた。

引っ込み思案で口下手な私はそんな兄の言葉を聞きながら、そんなに凄いことをやり遂げる自信が無くて黙ってうつむいた。

甘い言葉を連ねる兄に比べると私は無愛想で可愛げがなかったのだろう。自分で昔を思い出しても、私は扱いにくい子どもだったと思う。

昭和の時代、教室で一人本を読むことを楽しんでいた私は異質だったのかもしれない。もうすぐ定年退職を迎えようとしていた担任の優しい先生が「・・・外で遊ばないの?」と声をかけてくれていたのを思い出す。引っ込み思案だったのもあるけれど、本が好きだったのは事実だった。

個性より協調性が重視されていた時代だった。

拝み屋さんは母とT奥さんの生年月日と氏名をきき、霊能力?で未来をみたようだった。

当時、T奥さんはご主人が某有名スポーツメーカーの支社長をしていてとても裕福な暮らしをしていた。ツンと澄ました雰囲気のスラリとした美人で、背の低い母はT奥さんに憧れていた。

拝み屋さんはT奥さんに未来が暗いこと、子どもやご主人を縁が薄く、晩年は気をつけなければいけない、というようなことを告げたらしい。

母には親子の縁が薄いこと、晩年は食べることには困らないが他の面では苦労すること、息子は優しいが娘は冷たい・・・などと告げたらしい。

「あんたは冷たいらしいよ」帰ってきた母の口から言われた言葉は50代になった今でも胸に突き刺さったままだ。

その後も何か揉める度に「あんたは冷たい」というようなことを言われた。

言われ続けると『ああ、そうか。私は冷たい娘なんだな』と凹むたびに思ってしまうようになってしまった。嫌な性格だと自分でも思う。僻みっぽいというか、後ろ向きというか。

一度、母と揉めた時に冷たい娘だと言われ続けて辛かった、と本音を吐露したことがあった。まだ母が認知症になっていなかった時に。

母は途端に不機嫌になり、最初は『そんな記憶はない』と言い、次に『私が悪いんだろう!』と半ギレ状態になり暫く手を付けられなかった。

それから母には本音を言わないことにした。言っても分かり合えない、逆効果だと悟った。


現在、私は兄と連絡を取ることはない。

自己破産をした兄は離婚をして地元から去って行った。

以前は母と連絡を取り合っていたようだけれど、今はどこで何をしているのかもわからない。携帯電話の番号も変わってしまったらしく消息不明。

父に買ってもらった車は勝手に売り払い、母に泣きつくようにせがんで買ってもらったバイクも知らない間に現金に換えて散財していた。最後まで甘え上手な人だと思った。

母はもう携帯電話を操作・管理できないので先月契約を解除した。

冷たい娘の元で母は暮らしている。

毎日食事の用意をして、足の悪い母のために部屋に食事を運び、部屋を掃除する私はやはり母から見たら冷たい娘なんだろう。

暴言を吐かれる度に鬱々とした気持ちが広がって辛くなる。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?