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【後編】考え抜いて、デザインされた「問い」が、ソートリーダーシップにつながるまで 〜『問いのデザイン』著者の一人、京都大学総合博物館准教授の塩瀬隆之氏に聞く〜

革新的な考えを世の中に提示し、共感によりステークホルダーを共創へ誘引することで、新しい顧客や市場を創造するマーケティング手法の1つ「ソートリーダーシップ(Thought Leadership)」。その重要性を多角的に考察するために、各専門家にインタビューする企画の第六弾として、京都大学 総合博物館 研究部情報発信系 准教授の塩瀬隆之氏が登場。良質な「問い」によってコミュニケーションをデザインする第一人者はソートリーダーシップをどのように捉えているのか。名著『問いのデザイン』で示した概念とソートリーダーシップの共通項、ソートリーダーの目標設定などについて話を伺いました。

▼前編はこちらから
・「聞き上手」なロボットを作るため、「問い」の研究が始まった
・「本当にそれをやらなくてはいけないと思われていますか?」
・結論を押し付けないことが大事


カリスマを待つべからず、目線を共有しながら動く

――「問いのデザイン」の見地から、「これはソートリーダーシップである」とみられるケーススタディがあれば教えてください。

塩瀬 初中等教育の現場でいえば、「学びの多様化学校」には多かれ少なかれソートリーダーシップの出番があるのではないかと期待する思いがあります。たとえば岐阜市立草潤中学校は、2021年に始まった中部地方で初めての「不登校特例校」(現在は「学びの多様化学校」に制度的表現が変更)です。岐阜市の当時の教育長から「どんな学校が理想だと思うか」と聞かれたときに、私は絵本『バーバパパのがっこう』のような学校ではないか、と答えました。すなわち、絵本の世界のなかの子どもたちのように、一人ひとりの特性にあわせて好みの色、音も、においも異なるので、その違いを捨てずにありのままもちこめるような学校であることを目指した環境です。

学びたい意思さえあれば、子どもたちが教室以外のどこにいても学びを届けることこそが本来的な意味での「義務教育」だと思います。そしてそれが、教育機会確保法で後押しされている状態です。子どもたちが個別に抱えている困難は、全体を優先しようと焦ると排除の対象になりやすかった。私たちが抱える先入観や認知バイアスを、ここでの議論を通じて丁寧に取り払っていく。

偏見を取り除く社会をつくるとしても、誰か一人の熱意だけでは必ずしも動きになるとは限りません。まずは一緒に動いてほしい人たちの目線をできるだけ一堂に会するように集める必要があります

草潤中学校のケースは、無理をしてまでいくような学校に無理にあわせなくともよいと言い切ってくださった元教育長の「思い」や、それを認めてくださった市長や教育行政に関わる多くの教職員の皆さんがいて動き出すことができました。そこにいま続けて同じように熱い「思い」をもった校長先生が着任くださっているので、魅力的な学校運営になりつつあるのだと思います。これこそそれぞれのリーダーが抱えていた「思い」の矢印がだんだんと重なり合い、揃ってできた新たな形となるという意味では、ソートリーダーシップの好例と言えると思います。

京都大学 総合博物館 研究部情報発信系 塩瀬 隆之 准教授

ですから、ソートリーダーは単数形のままよりも、そこから複数形、「ソートリーダーズ」というような集合体として考えた方が、より機能するのです。個人があらかじめ熱量を持っていることはもちろんですが、それだけではなく、一緒にパートナーを組む組織の中にも、その事業を支えるリソースを融通するなどのマネジメントをできる人がいるかどうかが重要で、そういったリソースマネジメントができる人を巻き込むことまで含めて可能性を示す人、それこそがソートリーダーシップの発揮できる人と定義できるのかもしれません。

どうしても市井の人はカリスマリーダーの話をしがちです。松下幸之助しかり、スティーブ・ジョブズしかり。でもカリスマの不在を憂いても仕方がありません。それは、カリスマの特性と時代とが、タイミングよく合致してこその話です。

今の時代に、松下幸之助やスティーブ・ジョブズが再びそのままいるだけでは、同じように成功したかどうかはわかりません。条件が変われば、その時々に必要なリソースパートナーも違ったでしょうし、具備すべき特性も違っていたかもしれません。当時の方法論をそのまま今にスライドしてくるだけでも必ずしも上手くいくとは限らないでしょう。しかし、あの時代あの組織には間違いなく彼らが必要だった。時代や社会の文脈を切り離して、勝手に自分たちの理解の範疇に落とし込んだカリスマリーダーを懐古して現代に持ち込もうとするのは危険です。

カリスマは定期的に生まれるものですが、いずれにしろそれを待っているだけでは再現性はありません。それらはリーダーという存在を「点」で考えすぎなのではないでしょうか。科学的手法ほど再現性を求める必要はないかもしれませんが、個人の特性のすごさという文脈だけではなく、その個人の周辺にまで範囲を拡大して解釈できるかが新たなリーダーシップ教育の鍵を握ります。現在のソートリーダーシップの関心を、もう少し範囲を広げて定義にはまる人々を増やすことができれば、再現性の高いソートリーダーシップを見つけることができると期待してしまいます。

それから、企業の取り組み例としては川内火力発電所(鹿児島県)跡地でサーキュラーエコノミーを多くのプレイヤーとともに生み出そうとする「サーキュラーパーク九州」や、たくさんの社員を一同に海外に送り出すサントリーの現地滞在型海外研修などに注目しています。

前者のサーキュラーパーク九州では電力インフラ大手の九州電力と資源循環ビジネスを展開するナカダイホールディングスとが合弁会社を設立し、発電所の跡地を循環型社会の基盤にするためのプロジェクトを立ち上げました。「丁寧に分け、丁寧に次の人に資源を渡すことが価値を再生産する」という根底にある「思い」がとても洗練されている気がします。

サントリーは、インドネシアのバリ島で活動する一般社団法人アース・カンパニーに、新卒2年目の社員全員を海外に派遣する現地滞在型研修を開始しました。アース・カンパニーはアジア圏を中心に社会起業家を支援する「インパクト・ヒーロー」事業を運用しています。そこでは、ただよいことをしている「個人」を表彰しているのではなく、仕組みごと変革することで一気に社会課題を解決せんとするインパクトの大きな事業主を表彰しています。サントリーの社員は、現地でそういったインパクト・ヒーローがもつ「思い」とそれを社会実装するあらゆる「手立て」を間近で学ぶ機会を得ることになります。これまでも、少人数を派遣するだけの事業であればよく耳にしましたが、同じ入社時期の社員がこぞって同じ目線を共有できるというのは、ものすごく大きなインパクトを社内にもたらすであろうことが期待されます。

いままでは護送船団のように重い腰があがらない大企業として揶揄されてくることもあったかもしれませんが、大企業の中にもこういった新たなオープンイノベーションの在り方を様々に示す企業も増えてきました。新たなアイデアのタネをもった小さなプレイヤーとパートナーを組むときに、それを飲み込んでしまうのではなく、対等なパートナーシップを大切にした新たな連携の在り方が定着しつつあります。こういった対等の連携が当たり前になれば、新しい芽が次々に育っていくのではないでしょうか。

曖昧な部分に境界線を引き、しっかりと「問い」を作り込む

――ソートリーダーシップの実践的アプローチとして、どのような目標設定を定めればよいですか。

塩瀬 自分のビジョンを打ち立てて一方的に共有するだけではなく、まずはインプット、そしてそこから思考に至る段階で周りを巻き込みながら方向を一緒に決めていくことがソートリーダーシップでも大事なのではないでしょうか。

例を交えて話します。京都大学は創立以来「自由の学風」を大切にしており、大学側は明確に「自由の学風」と基本理念にも記しています。しかし、「自由な学風」と似て非なる表現で勘違いされている方も少なくありません。ではここで、「自由学風」と「自由学風」は、どう違うのか。

ここで言葉を入れ替えてみて、例えば「自由女神」と「自由女神」の違いを思い浮かべるとわかりやすい。「自由な女神」では、パーティが好きなだけの奔放な女神の姿があたまに浮かびます。他方で「自由の女神」では、皆さんがご存じの自由の象徴そのものです。このような曖昧な概念と概念のあいだにかりそめの境界線を引き、それを問うことで概念の輪郭をはっきりとさせるような「問い」を作り込むのがたくさんの人を深い思考へと導く「問いのデザイン」だと考えています。

しかし、ただただ「問い」をつくることのみを焦ってしまうと、問う必要のないどうでもいいところに「問い」を量産してしまう。厳しい言い方をすれば、借りてきた言葉や誰のモノかわからない問題意識で、さらに自分ではなく誰かに課す前提で「問い」を考えてしまうから、大して誰も関心をもたない「問い」に陥ってしまい、誰も真剣に向き合ってくれない。

本来やるべきこと、やらなくてはいけないこと、心の底からやりたかったこと。それらを自分の中で考え抜き、それでも決めきれないところで「問い」を立ててほしい。自分で考え抜いた末に出てきた「問い」は、誰かに評価されなくてもやるべきことですから。

――ソートリーダーシップを通し、新たな顧客や市場を創出する上で、「問いのデザイン」の考え方はどのように参照できますか。

塩瀬 本気のアイデアを引き出したいのであれば、本気で取り組みたいテーマをとことん会議で話せばいい。でもみんなが眉間にシワを寄せて、腹のさぐり合い、もしくは仕事の押し付け合いになっているような会議では、その会議への参加を楽しみにしている人は少ないですよね。

だからこそ、会議そのものを「創造的対話」ができるような場に変換していくことが重要です。そこで私は会議という名前をやめ、違う名前をつけることをきっかけにして「創造的対話」ができる場にしていこうと提案しています。「ワークショップ」はその一つですが、いくつかの組織で実際に創造的対話の場を会議に代わる言葉で探した結果として、「キャンプ」や「パーティ」、あるいは「芋煮会」などと呼んで「会議」と区別して掲示板に書き込んでいる企業もあります。「考えなくてはいけない」と構えるのではなく、好奇心を一番の軸に据えてほしい。自分がやりたいこと、成し遂げたいことならば「やめろ」と言われてもやめないはずです。

ブレストも単に集まって段取りなしにいきなりできるものと勘違いされやすい。ホンダのワイガヤ文化なども表面的に真似をしようとしても、それまでの段取りや醸成された組織風土なしに真似をするのは難しい。みんなで急に集まってワイワイ話せばそれだけで何かが出てくるだろうと考えるのが間違いで、たとえばスポーツで言えばフルマラソンを急に今から走れと言われても難しいのと同様、アイデアを出す会議にも準備体操や練習が必須なのです。

繰り返しになりますが、段取り、準備が大切です。しかしそれ以上に重要なのは「大切な問いは自分の中にある」という大前提を自覚することです。世の中に好奇心がない人などいません。それを表に出しにくい、あるいは出しても仕方がないと思われてしまっている。この人なら理解してくれると信じてもらえれば、そのリーダーのところにはたくさんの「問い」が集まるし、一緒に考えてくれる仲間が増えていくはずです。

<取材を終えて>

「大切な問いは自分の中にある」。塩瀬先生が指摘するこの言葉に集約されている気がしました。平和の反対は? 自由の学風は? 具体的な例とともに続く洞察に理解も深まりました。
企業が使うきれいな言葉は自分ゴト化されてないものになりがちです。「本当にそれをやらなくてはいけないと思っていますか?」というシンプルな「問い」は、多くの企業や担当部門の心の中で、ドキッとするのではないでしょうか。そこに「問い」のヒントが隠されています。表面的ではなくもっと考えつくせ、心の底にあるものに目を向けろ、その言葉に奮起を促されます。前後編にわたる大ボリュームとなった本記事、塩瀬先生にあやかって「問いの日」10月1日に公開します。

インタビュイー:京都大学 総合博物館 研究部情報発信系 塩瀬 隆之 准教授

1973年生まれ。京都大学工学部卒、同大学院工学研究科修了。博士(工学)。専門はシステム工学。2012年7月より、経済産業省産業技術政策課にて技術戦略担当の課長補佐に従事。2014年7月より復帰。小中高校におけるキャリア教育、企業におけるイノベーター育成研修など、ワークショップを多数実施。平成29年度文部科学大臣賞(科学技術分野の理解増進)受賞。共著に『問いのデザイン: 創造的対話のファシリテーション』『インクルーシブデザイン:社会の課題を解決する参加型デザイン』(いずれも学芸出版社)など。

京都大学 教育研究活動データベース
https://kdb.iimc.kyoto-u.ac.jp/profile/ja.5fa9bfa9c3a73c7a.html

企画・制作・編集:IISEソートリーダーシップHub(藤沢久美、鈴木章太郎、榛葉幸哉、石垣亜純)

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