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歌う、生きる、食べる、話す〜〜『幻日のヨハネ』第1話感想

1. ヨハネの挫折

『ラブライブ!サンシャイン!!』は挫折の物語だと、誰かが言っていた。挫折からいかに立ち上がるか、立ち上がっていかに輝くかの物語であると。『幻日のヨハネ』においても、物語は挫折から始まると言えるかもしれない。7度目のオーディション落選を経験し16歳の誕生日を迎えたヨハネは、2年のタイムリミットが切れ、仕送りが途切れるのだ。

ここにおいて注目したいのは、ヨハネの挫折と千歌の挫折は質が違うということだ。千歌の挫折は徹底的に精神的なものであったのに対し、ヨハネの挫折は物質的な不足が原因である。2年間結果の出なかった歌ではあったが、また楽しんで歌うことを忘れてはいたが、ヨハネは歌が好きなままであった。シブヤで下積みを続けていく心意気もあった。突然聞かれて流暢に答える程度には、夢を失っていなかった

しかし、精神的な充足ではなく物質的な充足のために、自分のためではなく職の/食のために歌を歌っていたことは事実である。ヌマヅでかつてしていたように歌を歌うために歌っていたのではなく、歌によって生計を立てるために歌っていたのである。

2. 歌、食、ハナマル

ソクラテスの有名な言葉に「食べるために生きるな、生きるために食べよ」、つまり物質的なものは、生きるための手段であって目的ではない、というものがある。ヨハネの文脈に引きつければ、彼女は上京後の生活の中で「食べるために歌」っていたのである。これと対比的なのが、ヌマヅでの歌唱である。そこにおいてヨハネは歌うことを心から楽しむ。だからこそ、ヨハネにとって歌うことは生きることなのである。これは、冒頭の「歌は、世界だ」という印象的な表現と呼応する。歌を自らの口から発することは自らの世界を作り出すということであり、それがすなわち生きるということなのである。

こうした「生きること=歌うこと」と「食べること」の関連は、ハナマルとの関連で再び浮かび上がる。ハナマルは、歌を心から楽しむヨハネの姿に惹かれてお菓子作りを志す。それは自らが満足する行為であると同時に、他者へと元気を与える行為である。それはヨハネにおいても同様である。帰宅後にハナマルのお菓子を食べて元気になるそうして歌った歌が、今度はハナマルに元気を与える。そうした相互作用が、二人の間に起こっていたのだろう。

3. 話すこと、ライラプスとの関係?

そうした相互行為は、常に口を通して行われる。ヨハネは口から歌を紡ぎ、それをハナマルは口を開いて聞いてエネルギーを受け取る。ハナマルの作ったお菓子も、ヨハネは口から食べて力を得る。こうして、口を介したエネルギーの交換が両者の間で行われているのである。

口を介した相互行為ということを考えると、「会話」が最も典型的であることに気づく。それは互いに自分の知っていること、思っていることを交換する、という「情報交換」としての会話がそうであるし、情報を含まないやりとりにおいてもそうである。後者には、「挨拶」などが当てはまる。挨拶には情報は含まれていないが、「ただいま」「おかえり」「またね」といったやりとりによって、互いの親密さを確かめ合う手段として機能するのである。

とすれば、「ヨハネとのみ」会話できる存在、ライラプスはどのように位置づけられるのであろうか。人間たちとは違って口が「開く」と「閉じる」の2種類しかなかったように思われるが、それはどのような意味を持つのか。虫を怖がる時にだけ犬のような声をあげるが、それはなぜなのか、そもそも虫が嫌いなのはなぜなのか。ライラプスは謎に包まれているし、これらの疑問の解消はストーリーの展開を待つしかないであろう。

4. 終わりに

ここまで『幻日のヨハネ』第一話を見て重要そうなところを綴ってきたが、物語はまだ少なくとも十数話残っている。これからどのような展開になるのかも全くわからないが、『ラブライブ!サンシャイン!!』の物語を伴奏してきたものとして、そして一人のAqoursファンとして、ヨハネたちの物語を、もう一つの「サンシャイン」を見届けていきたい。

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