強烈な感情は自分自身の価値観そのもの

こんにちは。
ななめ男子です。

挨拶として自己紹介から失礼します。

今年で社会人3年目に突入した25歳・男。
安定を求めインフラ企業に就職するも、働いていくうちに安定とは何かを考え出し、今の仕事に疑問を抱えながら働くように。

さらに先輩上司から社会人の洗礼である、いじめを受け、なんとかこれに耐えるも再び仕事のやりがい、「人生のゴールって何?」と自分で自分に問う毎日。

受身/若干の他責精神で生きてきたゆとり男子には社会はなかなか大変な場所でした。

しかし、なんとか自分なりにもがき、試行錯誤しながら、必死に社会にしがみつき生き抜いてきました。

その過程で得た事は、沢山の本を読み得たノウハウもあれば、実際に自分で実行してみて得た処世術・仕事術、社会ってこういうものだと半ば諦め、割り切った部分と様々でした。

「社会」は自分の想像より遥かに厳しく、遥かに刺激的で、想像の1万倍大きい場所でした。自分は何も知らなさすぎたと痛感しました。

それを実感して今思う事は強烈な「後悔」です。

もっと行動しておけば良かった。なんでこの分野の勉強しておかなかったんだ。もっと就活で自分に合った業界を探しておけば、そもそももっと学歴を上げておけば、スポーツはあれもやりたかった。行きたい場所、自分がずっと見たいと思っていた風景を実際見にいけば良かった。自分が話した事ないジャンルの人達ともっと交流しておけば、、、

これがしたい、あれがしたい、なんでやらなかったんだと後悔、後悔、後悔。
全力で自分を責め、全力で落ち込みました。

その時に救われたのは、友人から聞いた100歳のおばあちゃんの話です。

インタビュアー
「おばあちゃん、長く生きてきて後悔していることって何かある?」
おばあちゃん
「そりゃ沢山あるわよ!80歳の頃カメラを買って写真を撮ることを始めたい!と思っていたの。でももうこんな歳だし遅いか、、って諦めてしまったのね」
「でも今100歳になって思うのよ。20年間も写真が撮れたのになって!笑
今思うと始めれば良かったって。人生に遅すぎることなんてないのね〜笑」

うおおお。自分の中の何かがぐわっと動いたのを確かに感じました。
25歳で「後悔」は早すぎる。後悔するくらいなら今からやればいいし、環境は行動でいくらでも変えられるはず。そう感じました。

社会人になって2年ちょっとしか経験していませんが、思う事、感じる事が日々大きく変化していっていると感じます。
その中には自分なりに見つけたノウハウと色んな人・書籍から学んだ生き方の指南、合っているのか?と自分の中で未だ答えの出ていない不確定事項等、到底体系化できる状況ではない、散らかっていて荒々しい私なりの「人生の生き方」が顔を出してきています。

社会人に成り立ての方には、同年代として参考に、はたまた反面教師にして欲しいですし、自分より経験を積んだ先輩方には結論に至っていない部分へのアドバイスや価値観を広げる助言を頂けたらと思っています。

幼い頃、仮面ライダーに憧れ自分をヒーローだと思っていた男が、いつの間にか平凡な男と無自覚に自覚し、いつの間にか思考停止して生きていました。しかし社会の強すぎる刺激を受けこのまま死にたくないと本気で思うようになりました。
そんな私の悪あがきを出来るだけシンプルに分かりやすく伝えていきたい、また多くの人からアドバイスをもらいたいそんな思いからnoteを始めました。

読んでくれる皆様と成長していけたら嬉しいし、様々な感想を持ちながらご拝読頂けたら幸いです。

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