日記:8月2日

夏が始まって2日目。
それと言ったことも無い。

あるにはあるか。
今の僕には悩みもクソもない。悩みと言うには、結論や、結果が出ていて全てが遅すぎる。何も無いみたいに生きるしかない。死んでるみたいに息をする。死んでるように生きていても、生きていないといけない。死んでるようにいるだけで、生活をする必要がある。これに気がついていなかった。漠然と死にたいと胸に掲げて、3年も生きている。

久しぶりにnoteから通知が飛んできた。
1年半も前の記事にいいねとコメントがついた。
どーせ、中身は見るまでもなくくだらないものだ。
いつもどーりに、くだらない他責思考の話。
悲しいほどに変われてない自分がただいた。

過去の自分の書いたものに感化されたって訳じゃ無いが、思う節もある。

言葉だけの夢。逃げ道の夢。掲げるだけの夢。
バンドマンになる。

やりたいことだけど苦しい。そうなると意味が分からなくなる。でも、やらなくちゃ。やりたいことだから。でも、苦しい。
これの繰り返し。

だと、思っていた。

単純に苦しいの理由が明確に見えてきたってだけの話だけど、その正解がひとつ書いてあった。

ろくな苦労。
ろくな努力。
どちらもした覚えがない。
なのに成功体験を身に付けてる。
周りからの期待や、なんとかなるみたいな淡い憐れな希望が僕の中にある。
多分、大学は受かる気がする。
そして、受からなくてもどうにかなる。
だから、今の努力が大切に思えない。
自分のスペックを理解していて、ある程度の苦労をしないで、できること、失敗しないほうを選んでいるんだと思う。

失敗する。
僕は。
そして痛いほどに自分が普通の人間であると知る。そもそも、特別な人間であることに意義があるのか?これまでの痛々しい自分の過去のトラウマも自分という人間を形成するのに不可欠な要素だって言いたくて、僕は特別な人間になりたい。そう思いながら、どちらでもない普通の人間になった。異端、特異点のような、イレギュラーな存在になりたかった。でも、今はただの常識の範疇にある変な人ってだけだ。普通の変な人。普通ってあくまで平均値。外れ値になりたかった。

もう全部分かってる。
自分の発する言葉の裏腹も。「できない」「やれない」に関する全ては言い訳の理由。分かってる。
ずっと-3みたいな人生だから、苦しいことがデフォルトになって、最近はどんな事実も苦しくない。苦しんだって何も変わりゃしない。だから、変えてやるって気持ちは生まれた時から無さそうで、死んでるみたいに生きてる。

この機会に久しぶりにnoteを振り返った。
自分の1番嫌な所と言えば、恋愛体質な所。
それなのに、一向に成長、成就もせずに様々なトラウマを享受して、次へ向かう事の繰り返し。過去のトラウマが作用して、次の恋に影響を与えて、またダメになる。過去の恋も、トラウマも時間が経てば、大切な思い出のようにキラキラしてきたり、「いい経験だった」とは言えずに、全て腐って捨てることになる。何一ついいことがない。悪化していくいっぽうだ。最もそんな僕の日常の心象に多くなるのは恋愛についてである。僕のnoteにはそんなことの話ばっかりだ。

今度こそ、全てが終わった。
「二度と会わない」と決めた人は元々いたが、それ以外の全ても終わってしまった。きっと二度と会わない。会いたくない。会えない。僕のために死んでくれ。

全てに共通する話。

あの子からしたら僕は1人の大切な友達。
それほど嬉しい事実と、悲しい事実の両方を孕む言葉。悲しくて聞けなかった。僕はいつでもそうだ。大切にする手段や、特別になる手段を「彼女にする」しか眼中に無い。そんなことしなくとも、その子にとって僕は特別だったのに。「唯一無二の友達」と言う肩書きで満足出来ないような、いつまでも子供のままじゃいられない。
子供の頃はいつから大人だって、思ってたのだろう。叔父さんは若いのに大人に見えた。多分20代前半くらいだったのに。年齢的には大人だ。精神的にはまだまだだ。そもそも、年齢的には大人なのだから、「大人にならなきゃ」とか思う時点で、はなから違うのだ。

お得意の他責思考でしか解決することができない。
もしかしたら、僕が死んでるみたいに生きていたこの3年くらいが大人になるための時間だったのじゃないか?浪人時代をモラトリアムだと捉えてる節があった。しかし、そのモラトリアムを都合よく受け取って、延長戦のようにグダグダと大学生活が始まった。死んでるままで。
きっと、それのせいだ。
この3年がもっと違ったものだったら。
僕は悪くない。

僕が悪かったのなら、どうすればいい?
いなくなった君は戻らないし、送ったLINEは消えない。一緒になる未来も、笑ってた過去ももっと素敵なものになってたはずなのに。それが全部自分のせい?もう変えがいのない過去が、全部自分で、狂わせてたのなら。どうすればいい。自責ほど無意味なものが無い。「私が悪い」で終わりだ。そんなこと知ってる。全部自分が悪い。分かってる。その時の自分は正しいと信じていた。それが全部悪かった。それだけだ。

そんなの耐えられない。
もっと考えさせてくれ。
もっと理由があるはずだ。
僕がその決断に至るまでの仮定になにかあったはずだ。僕は悪くない。あいつが悪い。
僕の人生は嬉しいことに他責できるターニングポイントが沢山ある。

そうやって、この罪深い僕は、今日ものうのうと生きている。