日記:ただいま


やっぱり僕にnoteは必要な要素かもしれない。
辞めた?宣言らしきものを残した直後、すぐにまた戻ってきたよ。
ただいま。
未熟な僕が整理しきれない思いをどうにかお片付けしたり、上手く言語化するためにはnoteが必要なのかもしれない。
というか他に逃げ場がないという方が正しいか。
どうにかしたいし、この気持ちに整理をつけてここに放ってあげるだけで十分か。

だから、誰が見るとか、意味とか意義とかは何も考えない。
誰が見てもいいし、誰にも見られなくてもいい。
ただひとりで叫ぶだけかもしれない。

ココ最近はずっと情緒がぐちゃぐちゃ。
不安定とかじゃなくて、色んな要素が絡み合ってぐちゃぐちゃになっている。
変化はコロナウイルスに罹った時から。

原因を思いつくだけ。

  1. ライブ

  2. 音楽

  3. 大学

  4. 好きな人


まず1つ目のライブについて
2つ目の音楽とも関連ある。

少し前に好きなアーティストのライブへ行った。
世論で見ても「伝説のライブ」とか言われちゃったりした最高のライブ。
僕自身もそう思うくらいには最高のライブだった。
そして、なにより楽しいってだけの感情のライブじゃなかった。
心を揺さぶられた。
その姿はあまりにもかっこよかった。
「憧れは諦めに似てるって誰かが歌ってたような」とそのバンドは歌った。
その言葉が深く痛いほどに突き刺さる。

このまま2つ目の話に。

今、バンドをやりたいと思ってる。
オリジナル曲も人前でやってみたいと思う。
でも、ライブを経て自分の音楽が悲しく思える。
いいものは書けてる気がしてる。
主観でだけど満足はできてる。
でも、このままだと悲しみで満ちた悲壮感ある人生の歌になる。
そんな事実が悲しい。
ライブをやったアーティストにも毒づくような世界観を持ってる。
でも、それをかっこよくポップにしている。
同じようなものだと少し驕っていた。
大違いだった。
僕の音楽をどうか悲しみで満たさないでくれないか?

3つ、大学生活
不安定すぎる。
と言うか周りに比べて自分の異質さや、邪なところが浮き出てる。
これもまた。自分に驕ってるだけかもしれない。
でも、他の人より変な人生歩んだし、なによりみんなより1年多く生きてる。
だから、相違点があることは仕方ないかもしれない。
でも、それはそれで辛い。
今日の授業の空きコマもみんなで集まってUNOをしたり、大富豪をしたり。
僕の想像するような大学生活とはこんなんじゃあない気がする。
正直に言えば少ししんどい。
まるで中学生みたいな雰囲気や会話。
「でも、楽しいから問題は無いけどね。」と僕は吐き捨てる。
すべてが問題しかない。
自分の中で勝手に1人だけ芽生えた疑心が純粋に楽しめなくさせている。
それに比べて周りの子はどうだ。
今日なんて泣いていた子もいた。
理由を聞けば「いつもの7人がいいのに余計な人達が入るのは嫌だ。」と言っていた。
オリエンテーション以降で仲良くなった男女7人グループで始業からつるんでる。
今日はそこに含めて新しい別の何人かを含めて空きコマの時間を潰してた。
それが彼女にとっては嫌なものらしい。
僕にとっては「どうせ無くなるものだ。」と少し大人ぶって俯瞰して捉えてた。
でも、その子は純粋に今を楽しんで無くなることを恐れていた。
その子は純粋でなんて可愛らしいんだろう。
そして、なんて僕は邪な存在なんだろうか。
自らの存在が小さすぎて純粋な光にやられた僕はこのまま塵になって消えてしまいそうだ。
「悩みとかなさそうな人だもんね。」と言われる。
ここまで書いててそんなこと言われていることがむしろ面白く思えてくるほどに、自分のなんとなく上手くやる能力の高さに呆れる。
中身を開けたらドロドロなんてそんなギャップだれがプラスに認めるって話だよ。
実際の見た目、みんなのイメージの中の僕と実際の僕が知る僕が違いすぎて今の僕が吐き気がする。
僕はみんなが思うようなそういう人じゃないから。
理想と現実、擦り合わせる必要ってあるの?

4つめ。

あまりにも自分が好きと自覚しすぎたが故に、全ての価値観が変わった気がする。
もしも、あの子と付き合えたとしたら僕はこの世をクリアしたことになるほどの気持ちになる。
そこからの人生はエンドコンテンツに。
他のものが全てどうでもよく思える。
あの子と関係の無いものは。
関係のあるものとか、関連付けるものの価値は盲目的になるほどに重要に思える。
そう思える程の人はいなかった。
それさえあれば僕は何も要らない。
本当にそう思える。
だから、その人以外に何を思って何をすればいいのか分からない節がある。
比べてしまえば今大学で仲良くしてる人なんてものは見えなくなるほどに小さい存在だ。
だから、立ち回りが分からない。
と言うか、ここまで人を好きと自覚したことがないから話し方、特に女の子と話し方が分からない。
その子だけあればいいと思う。
実際は話せないなんてことも無く普通に話せる。
じゃあ、他の子に何を求めて話してるのだろうか。
それは下心なのかもしれない。
それともただ単に友情?
男女の友情が成立するのかどうかの話にも似てきた。
そう思うと不安定で不思議なところに立っている。


ここまで総合して思うことは、もうそういう時期としか言いようがないように思える。
自らを精神病のひとつを持つ人として歌うことほど、痛々しいことは無い。
でも、そう思える自分もいる。
もはや、躁と鬱の一種の気がする。
4月中盤から5月頭くらいまで躁。そこから今まで鬱だと言えるような気がする。

いや、自分で書いてて嫌な気持ちになる。
そんなことは認めない。
やっぱり嘘っぱちです。
忘れてください。

本当に僕は変な人だ。
変な人が変な人になろうとしてるせいで浮いてる。
そして、たぶん今更どうにもならない。
人より面白い人生であることに少し誇りを持っている所も悪質。
埃まみれなのに