1月12日:引っ掻き回されて

体調を崩した。
それはもう盛大に。

お昼から友達と吉祥寺に遊びに行く予定だったが、バイトから帰ってきてから、体調が変だった。もとより、なんだか喉の調子が良くなかった。バイトから帰ってきて、やるべきことを済ますために机に向かおうとしたが、あまりにも寒い。冬とか、暖房とか、毛布とか。そんなもので防げる寒さはしていなかった。どうにか対策を練ろうと、布団の中に籠るが一向に寒さは消えない。「体調崩したなぁ、これ」と思いながら、今シーズンはつけてなかった暖房器具に電源を入れた。

そんなこんなで時間は流れ、だいぶ良くなった。
日中、寝ていた記憶しかない。
2:00〜18:00まで寝てた。

1月でnote一周年経過した。
とは言え、マメに更新してる訳でもないし、特別なものを書いてる訳でもない。その都度の僕のなにかである。そして、他人のnoteを読むことも無くなった。他者の言語感覚に脳を撃たれることが増えたからだ。自分のことを特別な人間だとは思ってない。しかし、精力を尽くしたものが、凡夫であると分かるのは少し悲しい。ずっと口だけの僕だが、歌にするための詩を書き溜めている。そんな僕の書く詩は特別であって欲しい。そこだけは求めてしまう。実際に完成するものは、満足のできるようなものだ。そうなるようにしている。それでも、言語感の優れた人のnoteの日々の生活の文には見劣りするように見えてしまう。見えてしまう、と言うか、劣っている。覆す意味も分からない。感じる必要のあることなのかも分からない。それなら、感じないように遠ざけてしまおうと思った。

同じ時期にnoteを始めた人は沢山いた。
当時は未知に飛び込む気持ちで、たくさんの記事を読んだ。でも、今となってはその人たちの最後の更新は6か月前など、古く埃被ってしまった。一方で僕は何も変わってない気がした。口だけのバンド活動と理想と現実の三角食べ。

1年前の僕は共通テストを控えていた。
3日前だった。全く勉強も出来ないで、運だと言い訳して、共通テストに望んでいた。いや、勉強しろよ、と言いたい気持ちだが、当時の雰囲気をそのまま思い出せるので、攻めることはない。お疲れ様だよ。


おうた

ギターと歌の話

右手には涙に似た三角形を
左手にはC#に隠した中指を
歌う声は醜くて
覚えは無いのに歪んだように
不必要な苦しみを抱えるように
泣き叫ぶ音に聞こえる

動き出した2番線各駅停車
池袋から0:41の終電車
豊島園行きを避ける足取り
楽園、息を吐ける繰り返し

4号車、エスカレーター前
青を選んで渡る道
大通り沿い、コンビニ前
いつもの想像がうごめく道

朝9時、夜まで入るいつものバイト
田無駅、君の住む街が僕に近づく

楽器禁止のマンションの角部屋の端
大して上手くもないギターは趣味になった
落とした涙の跡を握った
自分をかき消すギターを弾いた

どうせなら君がいいや
苦しいなら君がいいや
って僕は笑うよ
両手にはこれだけだよ
両手には君だけだよ
僕は君と笑ってたいや
君が笑ってればいいや