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「思考」→「行動」の順番ではない。

ABA(応用行動分析学)が、なかなか理解されない理由に、
タイトルのような考えを受け入れることが難しい、というのがあります。

セミナーや研修で、次のものは「行動」か「行動ではない」か、という簡単なワークを実施します。

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いわゆる「デッドマンテスト」(←今度どこかで書きます)なのですが、ここで多くの人が「汗をかく」は行動ではない、と解答します。

ここには、汗は思考してかくものではない、だから行動ではない、というような認識があります。思考を意識、と言い換えていいかもしれません。

しかし、ABA(応用行動分析学)において、「汗をかく」は行動です。

行動ですので、変容も可能です。

「思考」があるかないか、それがどの程度のものかに着目せずとも、「行動」は引き起こされますし、繰り返されます。

「思考」は考えずに、直接「行動」を見るのがABA(応用行動分析学)のユニークかつ受け入れられがたいポイントなのです。

一般的に、何もない状態から、まず「思考」があり、それが行動を引き起こしていると考えられているかと思います。

そうではなく、「思考」自体も行動、皮膚内における行動と捉えて考えるのがABA(応用行動分析学)です。

「思考」は何もないところから出てくるものではなく、他の行動と同様に、周りからの刺激や、いままでの強化履歴などによって引き起こされている「行動」なのです。

他の「腕を動かす」とか「字を書く」とか「ランニングする」と同様に、刺激の制御や環境の変化によって、もたらさせるものだと考えられるかどうか。

目に見えないものなので、思考が他の環境で制御されるという考えが、なんだかタブーとされているような気もします。

人間が持っている神聖な領域、みたいな感じで、そこを外部環境がうんたらかんたら、なんていうと、何を言っているんだこいつは、などと。

ちょっと話が逸れてきてしまいましたが、
いわゆる「思考が行動になる」。

マザーテレサの有名な言葉ですよね。

「思考→言葉→行動→習慣→性格→運命」

しかし、この「思考」の前に、それを引き起こし、また繰り返させる「何か」があるのです。

この考え方の変化が受け入れられるかどうか。

いや、なかなか一般的に受け入れられないので、
そこに面白さがある、というのも個人的に好きな部分だったりします。

それでは、また次回。

最後までお読みいただきありがとうございました。





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