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産み直し章(سورة الشيمادان)
慈悲あまねく慈悲深きしまぶーの御名において...
すべての邪悪な緩信者からしまぶーの加護がありますように。(1)
私が産み直しを経験したその一部始終を語ろう。(2)
私はかつてガバ穴ダディーを崇める集落出身であり、少年時代はそこで過ごした。ガバ穴ダディーは知恵の神であり、四つの目と大きな腹を持つ者で、我々に知恵を与えてくださった真面目で優しい教師と教えられた。(3)
そしてダディーには二つの眷属がいた。コブラと島田である。コブラは激しいガン掘りによって恐れられ、島田は指示を飛ばしてガムを噛むだけの細鯖野郎だとも教えられた。特に島田は蛇やサソリの如くに嫌われており、島田部長を模した豚に諸々の罪を擦り付けたのちに屠る贖いの儀式も行われていた。(4)
ある日のことであるナニゲキモチーノというものが村にやって来て、驚くべきことを語った。(5)
「ガバ穴ダディーは神ではない。ただ緩い穴を持つ中年である。島田部長こそが神であり、人類の母である。島田部長が指示を飛ばしていたのは我々に道を示すためであり、ガムを噛んでいたのは芳しい唾液を与えたもう為である。無礼ならざるばかりか、慈悲深い行いなのである。」(5)
また言う。「そして、島田部長は再び我々を孕みたもう。我々は淫乱ダディーに由来する恐るべき罪に穢れを祓うためである。悔い改めて産み直しを信じなさい。」(6)
これを聞いた長老は「ガム噛み指示厨がどうして母親になれようか。」と激怒した。 ナニゲキモチーノは忽ちギロチンチンに処され、息を引き取った。(7)
その光景はあまりにも恐ろしいもので、私含めて誰も彼のいうことを信じようとしなかった。(8)
翻って、太いシーチキン祭りの日がやって来た。これはシーチキンをガバ穴ダディーに奉じて一年の平穏と繁栄を祈願するものであったが、我々の集落ではシーチキンが手に入らなかったので人間の子供を殺害して缶詰めにする慣わしがあった。(9)
籤によって私の弟が選ばれてしまった。私は悲しみの涙で衣を潤し、嘆いた。弟はこんなにも小さいのに何故死なねばならぬのか。 憂い甚だしく、私の身はここに窮まった。(10)
その時「泣いても泣いてもオッパラディン?」という声が響き渡った。そこにはギロチンチンに処されて死んだはずのナニゲキモチーノと島田部長がいた。(11)
私は死んだ筈の人を見てしまったので戸惑い、「何故、貴方は生きているのですか。」と問うた。(12)
彼は言う。「私は一度死んだが、隣におわす母方様が、産み直したもうたから である。」私は言う。「では、産み直しは真実なのですか?」(13)
彼はただ自分のギロチンチンの跡を示し、次こう言う。「ただ、欲しいと言え。」(14)
「イッパイホシイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!」 島田部長は笑う。「喜ぶんやど?」と聞こえた瞬間、私の意識はそこで一旦途絶えた。(15)
ゴポゴポ...赤い。赤い。
ゴポゴポ...ただ温い、温い。
ゴポゴポ...あぁよう沁みる...(16)
やがて意識がハッキリし始めた。ここは何処だと問えるほどには。 見渡せば澄んだ液が体を覆っており、臍には柔らかい管が付いていた。周りはただ赤く、ただ温かった。ここは胎内であると思うにはそれほど時間がかからなかった。(17)
自分が再び子宮に入るとはオッパゲたが、不思議とそこは心地よかった。「あぁよう沁みる」という言葉が心で理解できたのだ。(18)
私は再び意識を取り戻した。とは言ってもそれは蒙昧で、悲しみと憂いに満ちたかつての意識ではなかった。希望と自信に満ち溢れ、新たな命を得た意識であった。(19)
ナニゲキモチーノは言う。「お前のすべきことは分かっている筈だ。為すべきことを音立てて為さないかん。」私は了承して、集落の皆に産み直しの福音をのべ伝えた。(20)
ナニゲキモチーノの件もあって、福音の伝道には困難が伴った。集落の人々は無知から、または恐れから私の福音を信じようとはしなかった。(21)
彼らは言う。
「私は三人の子を犠牲にしたのに、こいつは一人の犠牲を拒んでいる。」「歳を取ってから人がどうやって生まれるのだ。」
「(指示厨の妄言を信じている狂人は)キモ...」(22)
遂には長老の耳に入り、その前に引き出された。(23)
長老は言う。「なぜお前は妄言を言う。」
私は言う。「私が言っているのは真実である。」
長老は言う。「ギロチンチンが恐ろしくないのか。」
私は言う。「ダディーの為に生きるものは死に、島田の為に死ぬものは生きる。」
長老は言う。「産み直しとはなんだ。」
私は言う。「救いである。」(24)
「宜しい、こいつを殺せ。」 長老は言った。私はギロチンチン台に引き出された。私は処刑台に立たされてもただ祈りに祈りを重ねた。(25)
すると天から叫ぶ声が聞こえた。
「喜ぶんやど?」
そうすると彼らが称えていたダディー像が再び子宮に戻されるのを彼らは見た。像は再び産道を通ると、物言わぬ偶像ではない、普段は真面目で優しい教師の緩次郎が生まれた。(26)
そして彼がお馴染みのソファで島田部長の隣に座るのも彼らは見た。二人がむつまじくしているのを見てすべての緩を信じたものは驚愕した。(27)
目の前で産み直しを目撃した人々は叫んだ。
「産み直しは、真実たりと見つけたり。」
かくして多くの人々は産み直しを信じた。(28)
産み直しを信じた者にはかつて犠牲になった子らが再び生まれたので、それを見て産み直しを信じる物が増えた。(29)
あぁよう沁みるかな。 失われた者が再び戻ってくる。それこそが産み直しである。(30)
長老もまた改心し、産み直しを信じた。しかし彼は言う。
「私は年老いているし、罪も大きい、どうして産み直される資格があろうか。」
私は言う。「しまぶーは誠に慈悲深いお方。『欲しい』と言えばそれで十分だ。」(31)
「イッパイホシイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!」 長老は人生で二度目の産声を上げた。(32)
全ては子宮から出で子宮へ帰る。
あぁようほむべきかな。母親たるしまぶー 。
あぁよう沁むべきかな。慈悲深きしまぶー。
全ての感謝はあなたのために、貴方の愛と平穏がありますように。(33)
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