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ジャズの発祥は、実はウクライナ

キーウ(キエフ)周辺はだいぶロシアの攻撃も弱まったみたいですが(4月時点)南部、そして東北部ハリキウ(ハリコフ)あたりはいまだ激しい戦闘が続いています。

このハリキウ(ハリコフ)はウクライナ第二の都市で、wikiると144万人の都市とあるので京都や神戸よりも大きい。このウクライナ第二の都市が、実はジャズの発祥だ、といえば意外に思われる方も多いかもしれませんが、実はジャズ、特にその理論面においてのキーパーソンがこの町から生まれた、というお話です。

ジャズの発展にバークリー理論が深く関わっていることは議論のないところです(ジャズ理論とは、ほぼ同義で=バークリー大で教えられている理論、ですから)。ではこのバークリー音楽大学、いつ設立されたのかというと、意外にその歴史は浅く、1945年のこと。ここで「ん?」、と疑問を持った方も多いと思いますがその通りで、1945年というと既にバップが誕生し、成熟しつつあった時期です。だが、セカンダリードミナントや、システマティックに置換されるII-V、裏コード、その他、これらは旋律主導(横の動き)のクラシック的発想ではなく、明らかに既にバークリー的(垂直)な発想で作られています。つまり、バークリー誕生以前に、既にビバップはバークリー的発想で作られているといえます。

では、「じゃ、いったい誰が考案したの?」という話ですが、実はバークリーはその設立前に前身があります。それは「シリンガーハウス」という私塾で、これはローレンス・バーク(バークリーの創設者)が運営していました。(ちなみに、この一連の話は石塚潤一さんの論文に沿ってます)ちなみに、この石塚さんの素晴らしい論考は、「憂鬱と官能を教えた学校〜バークリーメソッドによって俯瞰される20世紀商業音楽史」(菊地成孔、大谷能生、著)で読むことができます。

バークリー理論の開祖、ヨーゼフ・シリンガー

ではこの「シリンガー」なる人物とはいったい誰かというと、これはヨーゼフ・シリンガー(1895-1943)という作曲家のことです。この私塾はつまり、このシリンガーさんの考えた新たな音楽理論を教える教室だったと考えられます。シリンガーには12人の弟子がいて、その弟子だけがシリンガーの理論を伝授することが許されていたという話もあり、なんとも12使徒みたいで時代がかっていますが、笑、そういえばジョージ・ラッセルも、リディクロを教えるのに彼の公認のライセンスがいる、という話もあり、もう「秘技」「秘伝」みたいな世界ですよね。(笑)

グレンミラー物語の、あのシーン

そして、このシリンガーがハリキウ(ハリコフ)出身の作曲者で、ロシア革命により、アメリカに亡命してきたという訳です。「ジャズの発祥はウクライナ」というのは、ですからあながち大袈裟な話でもないのです。このシリンガーにはローレンス・バークだけでなく、あのガーシュウィンやグレン・ミラーも師事しています。とここまで書き進め、ふと思い出したことは、映画「グレン・ミラー物語」で、うだつのあがらなかったミラーが彼女に「もう少し頑張ってみたら」と奮起を促され、一度習いかけて、辞めていたある先生へのレッスンを再度通い出し、そしてムーンライト・セラナーデを書き上げる、という逸話。このミラーが習いに行っていた先生がつまり、ヨーゼフ・シリンガーのことだったという訳です。それで昨日、映画を見直して確認しましたが、しっかりミラーが「シリンガー先生」と名を呼び挨拶するシーンがありました。覚えている方もいるかもしれませんが、あの(役の)先生が、つまりウクライナから亡命してきたヨーゼフ・シリンガー。彼がいなければ、バークリー音大もないし、ムーン・ライトセレナーデも生まれていないし、ガーシュウィンも大成してなかったかもしれません。もし興味のある方は、ちょっと確認してみてください。

そして、ハリキウが無事でありますよう。切に。ヨーゼフ・シリンガーの、そして、ジャズ理論の生まれ故郷なのです。

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