♢ 私の父の話。






日の暮れる時間、私はひとり公園のベンチに座っていた。
塗装の剥げたジャングルジム、錆びた鉄棒、まばらに咲くクローバー。
小さい頃に父と自転車の練習をした、あの公園だ。

私はなかなか上達しなくて、転んで膝を擦りむいては「自転車なんて乗れないままでいい」と泣いた。
そんな私に父は「確かに自転車なんて乗れなくったってさほど困りはしない。でもな、乗れることで味わえる感動もあるんだぞ」
あぁ勿体ない。
父は私に少し意地悪な言い方をした。
そうすると、負けず嫌いの私は涙を拭かずに自転車に跨った。

にしても、私はこの公園に何をしに来たんだっけ。
思い出せない。
と言うより、初めから用事なんてなかったような気もする。

「りょう、ごめん待ったか?」
聞き懐かしい声がした。
公園の入り口の方へ目をやると、父が手を振っていた。



「待ってないよ、多分」
「多分?まぁいいや、久しぶりだなりょう。でかくなったな、もう高校生か」
「そうだよ、父さんはあんまり変わってないね」

私の隣に座った父は、本当に何も変わっていなかった。
それどころか私が知っている頃より、少し若く見えた。

「彼氏は出来たのか?」
「はぁ?いないよそんなの」
「今も本ばかり読んでいるんだろ、年頃の娘が本の虫になってたらダメだぞ」
「うるさいなぁ」
「母さんは元気か?」
「元気だよ、毎日忙しそうに働いてる」
「そっか」

カラスの名残惜しそうな声が、2人だけの公園に響いた。
それから、なくなってしまった古書店の話や、部活の話なんかをした。
父は私の隣で嬉しそうに聞いていた。

「そういえばここでりょうに自転車の乗り方を教えたっけか」
「そうだよ」
「懐かしいなぁ、俺も久しく自転車には乗ってない」

「父さんは、もう乗らなくていいんだよ」

「そうか。そうだな」


あぁそうか、これは夢か。
寂しくて、懐かしくて嬉しくて。
でも涙が出ない、泣きたいってわけでもない。
でもずっとここには居られない。

「父さん」
「ん、そうだな。そろそろ帰るか」
「うん」
「元気で、母さんをよろしくな」
「うん」





目を覚ますと、いつもの見慣れた天井があった。
カーテンの隙間から差し込む朝日が涙で歪む。
父のことを思い出して泣いたのは、いつぶりだろうか。

私の父は警察官だった。
町の駐在さん、みんなに頼りにされていて人気者だった。
けれどある日、いつものように自転車でパトロール中に飲酒運転のトラックに撥ねられ死んだ。
私が小学生の頃だった。
次の自転車の練習の約束もしないまま、父はいなくなってしまった。
それから1人で沢山練習して、乗れるようになった時は嬉しかったな。



「ちょっと、りょう!母さん寝坊しちゃった!!!」
母がバタバタと慌てて私の部屋に飛び込んできた。
そして私の顔を見るなり、
「やだ、どうしたの。なんで泣いてるの?」
と駆け寄ってきた。

「大丈夫だよ、夢にね、父さんが出てきたのだから、それですこs」
ああ!と私が喋り終えぬうちに再び母が声を上げる。
「パパの命日!今日土曜だわ」

私はクスリと笑った。
「そうだよ母さん。朝ご飯まだでしょ?支度するから、スーツ着替えてきなよ」
「あはは、そうするわ」


それで、
「食べたら一緒に、花買いに行こう」







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