♢ 記憶の味。
品のある音楽と、綺麗に磨かれ並べられている銀食器。
普通の高校生には縁遠い場所だ。
せめてもの救いは学生ということで、制服で入店できたこと。
ドレスなんてきっと私にはまだ早い、そう思いながら正面に座るドレスを纏った女性を眺める。
「いらっしゃいませ、こちら本日のメニューとなっております」
ウエイターがメニューを持って現れた。
女性は慣れた口調で注文し始める。
「ありがとう、そうね。じゃあメインは鴨肉のコンフィを、あとはお任せするはわ」
「あなたは、何か食べたい物ある?」
「いえ、えっと、同じもので」
食べたい物なんて、急に振られたって分からない。
緊張している、場違いすぎて雰囲気に飲まれそうだ。
「かしこまりました。お飲み物は、鴨ですと赤がおすすめですが」
「ごめんなさい、お酒は今日はいいわ。ガス入りのお水をお願い、この子にはコーラを」
かしこまりました、とウエイターが下がっていった。
コーラという単語を聞いて少し落ち着いた。
「コーラでよかった?」
「うん、こうゆうお店にもコーラってあるんだね」
「そりゃコーラぐらいあるわよ、やーね」
私の目の前でニコニコしているこの女性は私の叔母、父さんの妹だ。
月に一度、前触れもなく連絡が来て食事に誘われる。
そしていつも変な店に連れていってくれる。
およそチェーン店ではなさそうな聞いたことのない名前の、しかも全てのメニューが大盛りのファミリーレストランや、店主の顔が見えずいらっしゃいませの一言もない立ち食いラーメン、今日のこの店も変な店に違いない。
店自体、路地裏の探そうと思わない限り見つかりそうにない場所にあったし、店内も2人掛けの席が4席しかない。
そしてお客は私達だけ。
「ねぇほら、斜め前の席。噂ではあの席は予約席でね、ずっと同じ人が予約し続けてるんですって。」
始まった、その店の噂話。
どこで聞き付けてくるのか、毎回その店の変な噂話を聞かせてくれる。
「でもね、あの席で誰かが食事をしているところを誰も見たことがないとか、時々お婆さんが1人でデザートだけ食べて帰って行くとか、行かないとか?」
「どっちなの、とゆうかなぜ疑問系」
「ま、噂だからね」
話し終えるとタイミング良く前菜のスープが到着した。
父曰く、叔母は昔から変わり者でたまに2人で会ってわ、その度に変な店に連れて行かれる。
仕事も何をしているのか分からないし、聞いても教えてくれないと言っていた。
そんな叔母と初めて会ったのが、父のお葬式の時だった。
私を見るなり「あら、兄さんそっくりじゃない」と言って私を優しく抱きしめてくれた。
子供ながらに悪い人ではないのだろう感じた。
スープを飲み終えメインの鴨肉のコンフィが来た。
骨つきのローストされた鴨肉、骨つきの肉をナイフとフォークでどうやって食べろと言うのか。
テーブルマナーなんて、並べてあるカトラリーを両端から順に使っていくことしか知らない。
とりあえず、叔母の所作を真似ることにした。
「叔母さん」
返事がない。
「みやこさん」
「なぁに?」
この人は名前で呼ばないと返事をしない。
「こうゆう店に来るときは前もって教えて欲しいんだけどな」
「あらどうして?」
「どうしてって、作法とかわかんないから」
「あらそう?子供にはまだ早かったかしらね」
嬉しそうに笑っている、時々大人気のないことをするところは父さんに似ている。
それから骨つき肉に苦戦しながら、いつもみたくなんてことない話をした。
「それで?そろそろ彼氏の1人や2人できたんじゃないの?」
「やめてよ父さんとおんなじこと聞くの」
「あら、兄さんと会ったの?」
「会ったってゆうか、見た?」
「夢にでも出てきた?」
「そう、こないだの命日の日に」
「へぇ、良かったじゃない久しぶりに会えて」
「うん」
「失礼いたします、お食事はいかがだったでしょうか」
「えぇ、とても美味しかったわありがとう」
ウエイターだ、さっきから会話が終わるタイミングで現れる。
「食後のデザートなどはいかがでしょうか?」
「そうね、頂くわ」
「ではこちらにご記入ください」
そう言ってウエイターが一枚の紙とペンを渡してきた。
紙に何を書けばいいんだ、デザートの名前?
困惑していると叔母が、
「言い忘れてたわ、この店は食べたいデザートを紙に書いて渡すのよ」
メニューがなくてなんでも食べたいものを、ということなのか。
急になんでもと言われると何も思いつかない。
「名前のわからないデザートでもなんでもお作りいたしますよ、お嬢さん」
ウエイターに慣れない呼ばれ方をして、ドギマギしたのはさておいて。
名前の分からないと聞いて、懐かしい記憶が一瞬脳裏をよぎった。
子供の頃、駄菓子屋に父と一緒に出かけて入り口のベンチで食べたあのお菓子はなんて名前だったっけ。
「えっと、名前が分からなくても?」
「はい、何かヒントを書いて頂ければ」
にこりと微笑むウエイターの顔を見ていると、本当になんでも出てきそうな気がしてきた。
まだなの?と叔母に急かされウエイターに渡した紙には「駄菓子屋のベンチで父と食べたあのお菓子」と書いた。
「おばさ、みやこさんはなんて書いたの?」
「フォンダンショコラよ」
「え」
「あなたも同じのがよかった?」
「いや、そうじゃなくてなんかもっと、なんでもない」
恥ずかしい、叔母さんの変な噂話と店の不思議な雰囲気に飲まれてとんでもないことを書いてしまったと思った。
今頃厨房では私の書いた紙を見て大人たちが困惑していることだろう。
書き直させてほしい、と頭の中でぐるぐると独り言を言っていると「お待たせしました、デザートでこざいます」と声が聞こえた。
来てしまった、恐る恐るテーブルの上に置かれた皿に目をやる。
「甘食だ」
「はい、甘食でございます」
飾り気のないプレーンな色に、富士山のような形。
あの時父と食べたものと一緒だ。
凄い、本当に出てきた。
お楽しみください、そう言ってウエイターが下がっていくと、
「フランス料理店で甘食を頼むなんて、なかなかやるわね」
と叔母が興奮気味に言う。
「あー、どうもありがとう」
よく分からないが誉められたらしい。
久しぶりの甘食はとても素朴で優しい甘味がした。
精算をして帰り際「ありがとうございました」とウエイターに伝えるとニコリとした後、深くお辞儀をして見送ってくれた。
「懐かしい人には、会えましたか?」
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