「アトリエの前で」を読んで
先日、東海ウォーカーでの北斗くんの連載エッセイ「アトリエの前で」第24回(2021年4月20日発行)を読んだ。
この感想は言語化しておくべきだという想いに駆られ今記事を書いている。やや思考の羅列に近いかもしれない。
お読みいただける方には、記事内には私個人の考えや推察した内容が多く含まれているため、事実と思想と推論とを丁寧に読んでいただけると幸いだ。
※勿論だが、記事中に「アトリエの前で」のネタバレが含まれます。
※記事中にラジオドラマ「オートリバース」のネタバレが含まれます。
1. 浅田 哲也
松村北斗(以後「彼」と呼ぶ)のパブリックイメージは「クールで知的、物静かな二枚目、セクシーでミステリアス、ワンコ」。こんな感じだろうか。常々思う、彼のパブリックイメージの殆どの原点は浅田哲也だと。
B.I.Shadowのオタクをやっていた私からすれば、当時の彼にはクールとか知的とかセクシーなんてイメージは全くなくて、これらは浅田哲也以降彼に纏わりついているような気がする。
ところで、アト前で語られた新幹線の一件、アイドルの彼ではなく一個人としての彼に他者が介入してきたイベントは、彼にとって今でも思い出される程重大であったのだろう。
浅田哲也以前の彼の状況はお世辞にも調子が良いとは思えなかった。しかし、浅田哲也で彼の評価は一変したのではなかろうか。一個人としての彼、引いては余り知られたくない彼自身の過去を隠してくれたのが浅田哲也だったのかもしれない。以降、彼のパブリックイメージは今もなお「クールで知的でセクシー」。蜘蛛から身を護る擬態は鉄壁である。
ついでに言えば、最近の「ワンコ」イメージも、渡辺晴人からであろうか。つくづく俳優である。
4/17のANNでは、パブリックイメージを酷く気にする彼の様子が窺えた。「別に美容に興味あっても誰も嫌がらないし変にも思わないよ〜」とも思うが、彼にとってパブリックイメージという名の擬態は、きっととても重要なことなのだろう。
2. 演じるということ
彼に限らず、アイドルは役者であると思わされる。
自担である田中樹も、漏れなく優秀な役者だ。田中樹のパブリックイメージこそ、「めちゃくちゃチャラいけど、みんなを纏めてくれるMC兼ラッパー」の通り一辺倒である。
MTVのきょもしんインタビューにて、Kevanさんからメンバーの印象を聞かれた慎太郎くんが、田中樹のことを「まとめ役」と表した時は、なんだか胸にずっしりきてしまった。田中樹はよく「グループで必要とされる為に役を買って出ている」という旨の発言をするけれど、どこまでも「役」を徹底しているんだろうな、と思わされたのだった。
3. 「アイドルってさ 勝手に尽くされてさ 大変な仕事だよね」
ラジオドラマ「オートリバース」はご存知だろうか。
「オートリバース」はHiHi Jetsの猪狩くん、作間くん主演の青春ドラマで、2人の高校生 直、高階がアイドル小泉今日子のために生を削って生きる様を描いている。ヒメは作中に登場する小泉今日子の親衛隊の女の子だ。
彼のエッセイを読んで1番初めに思い浮かんだのが、この台詞だった。
「アイドルってさ 勝手に尽くされてさ 大変な仕事だよね」
ヒメが、夜更けの電車にて過激化する親衛隊の様子を悲観しながら直に零した言葉だった。この後ヒメは「わたし無理だな」と続ける。
一方で、ヒメは、何も考えずに好きって言える相手(アイドル)がいるのは幸せなことだ、といった旨の発言も同時にしている。
アイドルとは難しいなと思う。心中は図り知れない。
直を演じた猪狩くんは、この台詞に対してどう感じたのだろう。親衛隊の過激化の一端を担うことになった高階を演じた作間くんは、アイドルとファンの関係性をどう考えたのだろう。
「オートリバース」では、結局のところ、小泉今日子は暴徒化した高階のことを嫌いにはならなかったし、最後は高階に「なんてったってアイドル」を歌ったのだ。
ファンとは難しいなと思う。
特大な好きの気持ちをぶつけながらも、あと一歩踏み込んではいけないラインは守らなければならない。蜘蛛にはなりたくない、だけど知りたい、ラインはどこにあるのだろう。
私もまた、好きなアイドルを餌とする蜘蛛になってはいないだろうか。
この感想ブログも、蜘蛛になってしまっていないだろうか。怖い。
4. 私たちもまた、蜘蛛の巣の中の餌
私個人の話になるが、ある特定のイメージを持った集団に所属している。テレビでもインターネットでも私の所属は99%勝手なイメージで脚色されているが、実際それを信じている人も多いようだ。時に、私が餌の対象にしてしまうかもしれないアイドルからも、私の所属はイメージで語られ餌にされる。
ちゃんと知ってもらえれば、私の所属はテレビやインターネットで語られるような誇張されすぎたイメージは一切ないのに。正しく知ってほしいな。
私個人に限った話ではない。例えばコロナ禍における医療従事者への偏見の目、誹謗中傷だって例に漏れず、偽りの情報に飲まれたその他大勢の蜘蛛に食われる餌の図式なのだと思う。職業に関する偏見、所属に関する偏見、広げれば人種、性別に関する偏見。偽りの情報や知らないことから生じる恐怖の中で生まれたものが殆どであろう。
彼に限らず、誰しもが蜘蛛の巣の中の餌なのだと思う。私たちは、蜘蛛でもあり、同時に蜘蛛の巣の中の餌なのだ。
5. 正しく知る
蜘蛛になり、餌にもなる可能性を孕んだ情報社会で、それでもなお、私は蜘蛛にはなりたくないと心から思う。
偽りの情報は排除できないし、知らないことへの恐怖はなくならないし、人間は愚かだから知る好奇心を抑えることもできない。せめてできることは、”正しく”知ろうとする態度を持ち続けることだけだと思う。
興味のある物事について、社会の仕組みについて、自分自身が他者にもたらす影響について、理解することで最悪は逃れられる。だから”正しく”知りたい。”正しい”とは何なのか未だ分からないのに。
彼のエッセイから、そんな理想論に過ぎない決意を新たにしたのだった。
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