祭りのあと。

パナソニックスタジアムで夢のような時間を過ごした後、大好きな京都を訪ね、さらに心を満たして帰って来ました。

降り立った夕刻の青森空港は真っ暗でひーんやり。自宅に向かう途中、友人達のSNSを見ると、県内各地で一気に紅葉が進み、もはやすっかり晩秋の様相。朝晩の厳しい冷え込みに、近づく冬の気配を感じている。

伊丹空港への行き帰りの機中で、リアル雲海を眺めながら聞いた『grace』は最高だった。風くんのあの曲この曲を小声で歌いながら京都のパワースポットを散策したのも楽しく。

彼の楽曲に出会ってから、信仰(わが家は仏教)に対する受け止め方が変わった。昔の人はご先祖様を敬い、感謝する気持ちが常にあったから、彼岸やお盆の行事がある。現世に残された者が深い悲しみを少しずつ手放していくための区切りとして、節目節目の法要もある。

年末年始に家族との別れが続き、どん底まで落ちていた時期にリリースされ、心を支えてくれたのが彼の2ndアルバム。もちろん1stから大ファンだったけれど、2ndの歌詞に散りばめられたキーワードの数々はよりいっそう現状の救いとなってくれた。そして、新曲のgraceで極まった感じ。

7月の京都、10月の京都にライブ開催という形で誘ってくれた風くんに感謝。どちらの日程も家族の月命日に近かったので、菩提寺の本山に詣でることができた。7月はまだ涙が溢れて仕方なかったけれど、今回はもう少し静かな心で仏様の前に座れた気がする。

始まれば終わる。生まれたら死ぬ。出会ったら別れる。どの瞬間も一度きりで、人生は有限だということを痛感する年齢になった。だからこそ、あれだけ真理を俯瞰した歌詞を紡げる25歳って本当にすごいと思う。

お寺に掲示されていた『歎異抄』のこの一説は、風くんがよく言っていること。『一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり(一切の生きとし生けるものは、すべてみな、いつの時にか父母であり、兄弟である)』。

わたし自身は熱心な仏教徒ではないけれど、お寺に掲示される言葉は心にすっと沁みるものが多い。風くんの歌詞や発言もまた、心に平穏を与え、意欲を呼び覚まして、胸に刻んでおこうと思わせてくれるもの。

スタジアムは、若い男女はもちろん、ミドルエイジのカップルや友人同士や男性一人客、思春期の子どもとお母さん、幼子のいるファミリー、シニアの女性一人客など、本当に幅広い層のファンで満席だった。すべての楽曲での一体感が半端なかったのは、みんなが本当に聴き込んでいるから。

ああ、最高の秋まつりでした。さて、次はどこで、藤井風のライブを体験できるかしら。生きてるうちにまた当選したいものであります。

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