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瞑想は、見るのか、感じるのか。

ヨガを始めて6年。感染症対策のため、スタジオへは出向かず、オンラインレッスンに切り替えて2年くらい。

長年のデスクワークで凝り固まってしまった全身をほぐし、運動不足で落ちた筋力を取り戻すべく、専ら “動く” ことに重点を置いて来た。

ずっと前傾姿勢で座って仕事をして来たため、すっかり巻き肩になり、呼吸が浅い。腹式呼吸はまだしも、胸式呼吸が苦手で、肺活量が少なめ。ヨガを始めてしばらくは、胸で呼吸をしながら動くのが難しくて、つい息を止めてしまっていた。

普段の生活でも、無意識のうちに息を止める癖のある人が意外と多いらしい。概ね、緊張などのストレスが原因なんだとか。呼吸することで生かされているのに、呼吸(吐くこと)を忘れてしまうなんて、よっぽどだ。

呼吸は、しっかり吐くことで、たっぷり吸うことができる。空っぽになった肺やお腹に、するすると自然に空気が吸い込まれて行く。きちんと呼吸を意識してみると、当たり前のように思えるその事実を、体感できて面白い。

ヨガをしていても “動く” ことほどには興味がなかった “呼吸” と “瞑想”。ヨガの精神性をちょっと軽んじていて、動いたら終わり、みたいなレッスンを続けていた。それが変わったのは昨年のクリスマス・イヴの朝。

心配事と不安ばかりが重くのしかかっていた数年を経て、悲しみに押しつぶされそうだった一年が終わりに近づいた12月24日。朝ヨガのレッスンの最後に瞑想をした。

目を閉じた途端、すっと心身が落ち着く。脳裏に次々と浮かぶイメージに涙が溢れ、胸が温かくなる。あっという間に過ぎる時間。初めての感覚。家族を失ってから身近になったお寺で自問自答している時とも違う安らぎ。

その瞑想体験を忘れられずに、昨日参加した、呼吸と瞑想のレッスン。

しばらく呼吸法を続けた後、瞑想に入った途端、縦スクロールで、猛スピードで遡っていく人生。さらにはホワイトフラッシュ・トランジション(覚えたての言葉を使ってみた)っぽく差し込まれる光景。

あまりにも見たかったものそのものなので、見たいものだけを見ているのかも知れない、もっと深く、もっと奥まで潜り込まねば、と焦る。が、そんな自我を跳ね返すように、パタパタと変わるフラップのようなイメージは、元に戻ってしまう。

結局、いちばん見たいものが見えて、そのものに思いを寄せて、そのものに救いを求めた。瞑想、いいね。じっくり自分と向き合える時間。

呼吸についてよく言及する風くんは、以前のインタビューで朝は瞑想をするとも語っていた。人の一生は案外短い。ぼんやりしていると瞬く間に過ぎ去ってしまう。瞑想で、少しだけ立ち止まって自分を振り返り、よりよい今日の自分を生きようとする彼の姿勢を真似たい。

昨晩のインスタで見せてくれた、憑物が落ちたようにすっきりした顔は、いつもの風くん。よかったよかった。

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