そして伯父になる
部屋の外が騒がしい。ホストマザーの話声が聞こえる。
枕元で充電器に繋がれたスマホで時間を確認してみると、まだ朝の4時である。
何なんや、こんな朝早くに……
起こされたとは言え、特段不機嫌になることもなく、再び薄手の掛布団に潜る。
身支度しているらしい音が鳴り、ラテンミュージックがいつもより控えめな音量で流されている。
ホストファミリーが朝早くから出掛けて行くというのは、珍しいことではない。この日も例によって、しばらくするとホストファザーが車のエンジンをかける音が聞こえてきた。
首都にでも行くんやろ……
そう思いながら微睡みに落ちていった。
翌日の夕方、活動からステイ先に帰ると、いつものように庭に勝手に入ってきたご近所さんが、ホストマザーの名前を出して、「今いますか」と尋ねてきた。
たまたま私と一緒にいた親戚の兄ちゃんが答える。
「昨日から妊娠中の娘を連れてサンペドロの病院へ行ってるから、ここにはいないよ」
なるほど、それで出掛けて行ったのか。
勘の悪い私は、この時初めてホストファミリーが昨日の朝早くに家を飛び出していった理由を知ったのだった。
妊娠中の娘さんというのは、ステイ先の末っ子。年齢はたしか私の一つ下だったと思う。頼りない日本人にアレコレと手を焼いてくれるしっかり者で、私にとってはもう一人のホストマザーみたいな存在だ。
私が彼女の妊娠を知ったのは、夏真っ盛りの8月下旬。娘さんとその知人の会話中に、何度かお腹を触る仕草をしているのを見て気付いた。
11月下旬には、ベビーシャワーと呼ばれるパーティーにも参加させてもらった。私が見た限り、「妊婦の自宅に親族や友人が集まって、ほとんど楽しくお喋りするだけの会」だったが、大きく「?」が描かれた黒い風船を割り、中から舞い出す紙吹雪の色で、産まれ来る赤ちゃんの性別を知るメインイベントでは、みんな異様な盛り上がりを見せた。
中から出てきたのは、男の子を表す水色の紙吹雪だった。
その日以降、赤ちゃんをお迎えする準備が着々と進められていった。紙おむつやお尻拭きが買い揃えられていき、彼女の部屋のカーテンやシーツは青系のものに取り換えられ、男の子の部屋に変わっていった。
揺りかごは中古のもので、親戚の兄ちゃんが白いペンキで塗り直していたのを覚えている。一塗り一塗りに家族の愛情が注がれていくようで、なんだか温かいなと思える。
私が2月の中頃に任国外旅行のスペインから帰った際には、一回り大きくなった彼女のお腹を見て、いよいよかとワクワクしたものだ。
ガレージでエンジン音が響く。
ホストファザーが先に帰ってきたのかと思い、出迎えに行くと、ホストマザーに続いて、お腹の小さくなった娘さんも車から降りてきた。
え!?出産の翌日に家に帰れるの!?
(私は知らなかったが、実際にはこの日の朝に産まれたので、出産当日に帰宅したことになる。)
あっけにとられていると、2人に続いて水色の布地に包まれた小さな赤ん坊が親戚のお姉さんに抱かれて家に入ってきた。
お姉さんは、ほら見てみなさいと私の前に差し出す。
どれどれと覗き込んでみると……
「おぉーーー!!!」
想像以上に小さい。腕の中ですやすや眠る愛おしい男の子に、感嘆の声を上げてしまう。
圧倒的な感動の前では、スペイン語で言えるとか言えないではとかなく、言葉が出てこなかった。
大事に抱えられた赤ん坊は、娘さんの部屋の――この日から彼自身の部屋でもある――ベッドの上で、先に横になっていた“お母さん”の傍らに丁寧に横たえられた。
お母さんは出産直後。かなりぐったりしており、顔には疲労の色が浮かんでいるが、我が子を見つめる眼差しは疑いようのない母の優しいもの。しかも幸福感と達成感に満ち満ちている。
一時期はツワリで辛そうにしていたのを見ている分、母になることの大変さと偉大さをより痛感できる。
しばらく赤ちゃんを眺めていると、ホストファザーに加え、2階に住んでいる次男夫婦やその娘のメイちゃんが後から入ってきた。
口々に労いや祝いの言葉をお母さんに伝え、メイちゃんは産まれたての赤ん坊に興味津々だ。
赤ちゃんが一人産まれてくるだけで、その場にいる人をこんなにも優しく温かな気持ちにさせるのだから、出産とは本当にすごいことだなと感心してしまう。
ひとしきり感動したところで、親族一同で混み合ってきた部屋を出ると、先ほどまで赤ちゃんを抱えていたお姉さんが私に尋ねてきた。
「タカは甥っ子いる?」
「いないけど……」
「いるじゃない」
「え?」
「小さな甥っ子が」
「あぁーーー!!!」
圧倒的な感動の前では、スペイン語で言えるとか言えないとかではなく、言葉が出てこなかった。
他人の赤ちゃんじゃない。甥っ子なのだ。
私は伯父になったのだ。