見出し画像

四国八十八ヶ所巡礼⑧

前回の四国から1年以上経った2022年1月。
私は仕事で広島県に住んでいる。

仕事の忙しさや家族の問題はあれど、瀬戸内海を挟んだだけの、九州よりずっと近くに住んで居るのに、四国はやはり遠かった。

前回の四国から帰って、大幅に更新されたバイクを含めた道具一式を試したい思いもあったが、普通の週末に、ましてや厳冬期の1月に行こうと思ったのには訳があった。

広島港フェリーターミナル。

広島から四国へ渡る方法は船か自走だが、先ずは自走ではなくフェリーに乗るプランを試す。

広島から四国に渡るには、広島港(または呉)〜松山観光港の航路が最短だ。
金曜の夜に出ようかとも思ったが、真冬の真夜中の松山市内に放り出されても凍死する未来しか見えない。

土曜日の朝、5:45広島港発の始発便で松山に向かう。
松山観光港着は8:10の予定だが、この日は10分程度遅延した。

呉と倉橋島の間に、音戸(おんど)の瀬戸という海の要衝がある。
海峡が狭い為、上り下り同時に船は入れない。
先客があれば片方は停泊して待つ為、船が遅れた。


瀬戸内海の夜明け。
島影グラデーションが綺麗だ。


靴を脱いで上がる座敷タイプの席に陣取った。
始発便は私を含めて3、4人しか見当たらなかった。


多少遅れはしたが、8:30頃、私は再び四国の地を踏んだ。

松山観光港に上陸。
冬場につきハンドルカバーは必需品。



松山観光港から、先ずは以前の四国の旅で初日にキャンプした砥部町を目指して走る。
44番大寶寺さんは砥部町からさらに山手の、久万高原町にある。

新たに旅の相棒となったHonda CT125ハンターカブは満載の荷物を物ともせず標高を上げていく。
この経緯は別の記事に詳しい。

午前中には砥部町に入る。

砥部町のキャンプ場に着き、昼前には幕営まで完了した。
2020年に旅した時と同じ場所に幕営。
バイクも装備も大きく変わった。

キャンプの幕営が終わると街に下りて食糧や薪などの買い出しに向かった。
どうせ街を通ってくるのだから行きがけに買えば、とも思うが、荷を下ろしてしまった方がフットワークが軽いし、そもそも一泊とはいえ買い物する量も結構多い。
ギチギチにパッキングされた荷物を解くのも手間なのだ。
食糧品と薪2束を購入してキャンプ場に戻った。

今回は薪ストーブを持って来ている。
火さえ熾ればこっちのものだ。
だが燃費は悪い

キャンプ場に戻ると、何組か人が増えていた。
今回2度目の利用だが、凍結防止の為か水道が出なかった。
特にHP上に記載はなかったが、役場の方もこんな冬季にキャンプするとは思いまい。

結果、水をたくさん買う羽目になったが致し方ない。

昼食を済ませて、44番大寶寺さんへ向かっていざ出発。

砥部町から久万高原町に向かうには山を一つ越える感じなのだが、道中の温度計は3℃だった。
余程の日陰か、標高を上げるか、道に水が渡っていない限り凍結まではしていない筈だが、カーブやトンネルの度にハラハラする。
途中、スキー場の看板を見かけた気がするが見なかった事にする。
気のせいではなく余程標高が上がっている。

道路に雪はないが、緊張してくる。
というか普通に寒い。
町の名前に高原って入ってるでしょうが。
ちゃんと調べろって話。

第44番大寶寺
冬の澄んだ空気も良い。

44番大寶寺に着く。

以前の旅からここに来るのに1年と3か月かかった。
忙しいと言ってしまうのは簡単だが、忙しさに逃げていた節もある。
それでも、無理を押して行こうと思ったのは、
この1年の間に親しい人を立て続けに3人亡くしたからだ。
冒頭の写経は、彼らへの手向けに始めたものだ。

忙しかろうが凹んでいようが、まだ私はバイクに乗れるだけ幸せだと思う。
どうしようもないクズだと自覚はあるが、せめて彼らの冥福を祈る事は出来る。


大寶寺を後にして、45番岩屋寺さんを目指して走り出す。

岩屋寺さんの参道。
他の記事にも書いたが、北海道の某劇団員のすずむしさんが悟りを開いた坂。
山門の先もまぁまぁ登山
第45番岩屋寺さん

冬季は日が暮れると悲惨な事になるので、早々に退散する。
もとより日が暮れてなくても歯を食い縛り過ぎて既にアゴが痛い。

岩屋寺さんで交通安全のステッカーを授かる。


キャンプ場に戻ると、昼間に増えた人達は1人帰り2人帰り、夜には私だけになった。
どうやら泊まりは私だけらしい。

氷点下でも薪ストーブのおかげでテント内は快適。



コットに横になって、ストーブの炎を眺める。


亡くなった3人のうち、1人は私にバイクのイロハを叩き込んでくれた師匠だ。

最後に電話で話した時、
ベンリィで四国一周して飽き足らずにハンターカブ買いましたって言ったら、

お前まだそんなガッツあったんか
って笑ってくれた。

昔から馬鹿な事ばっかりやる私をいつも笑ってくれた師匠。
忙しさにかまけて、そのうち会いに行こうと思っていたら、いつしか師匠は病気でバイクに乗れなくなっていた。
大事にしていたバイクを全て売り払ったあなたの家に行くのは辛かった。
叶うならば、もう一度一緒に走りたかった。

でも、俺は俺の道を行きますね、師匠。
この道がどこに繋がるのか、俺にも未だ分かりませんが、せめて何か見えるくらいまでは走ろうと思うのです。


翌日は松山観光港へ戻る道すがら、松山市内のお寺さんを巡るつもりでシュラフに包まった。


つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?