言葉を操れるときがある
私はCDショップでバイトをしている。
年に一度、CDショップのスタッフが投票・コメントを送って選抜される「CDショップ大賞」が今年も行われた。
そのなかで、私が送ったコメントが「コメント大賞」に入賞した。
コメント大賞は、コラムニストやコンテンツの企画者などの有識者数名が、良かったと思うコメントを1つずつ選ぶもので、私のコメントあるライターさんに選んでもらっていたらしい。(選ばれるまでその仕組みすら知らなかった。)
私が描いたコメントは以下の通り。
この文について評価のお言葉もあって、なんだかそれがもうベタ褒めだった。じわじわと嬉しい気持ちが湧き上がった。
パートさんにちょっと自慢したら、「国語得意だった?」とか聞かれた。うん、たしかに国語は苦労したことなかったな。むしろ好きだった。
帰ってからも、数日経ってからも、CDショップ大賞のサイトを開くたびに気持ちがほくほくした。私のコメントを選んでくださったライターさんにTwitterで感謝のリプでも送ろうかと本気で考えたが、この人から頂いたコメントはきっと私からの返事を待ってはいないだろうと思い、コンタクトを取るには至らなかった。
自分の文章は上手くいくとそこそこ好きだけれど、「ねえ、良いよねこれ?」とわざわざ共有できる人がいないので、あまり自信はない。
でもやっぱり今回のことで確信した。私は自分の言葉の選び方・繋げ方が好きなんだと思う。形と色が綺麗だと思うものを選んでくっつけている。
そりゃ百発百中とはいかないが、いい感じの文が書けるときは何かが降ってくる気がするし、苦労することなくサラサラサラッと出てくる。今回はそれだった。
やっぱり書き物を生業にしている人からの評価は、嬉しさが何倍も大きい。嬉しかったな。
特に協会からのご褒美とかはなかったけれど、自分の文章を他人に認められて評価されることは貴重だと思うので、やっぱりこのバイトやっててよかったってつくづく思う。大学生なりたての私、音楽が好きだという誇りを持っていてくれてありがとう。今の私は昔ほど音楽に胸躍らせなくなってしまって、文章も昔ほどは綴っていないけれど、この感性は失くしたくないな。
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