そう言えばクローン病だった私(消したいほど微かな記憶⑤)

児童養護施設を契約終了となり、次は同系列の保育園で働いた。結果的に保育士資格がここでまた活きてしまった。

園舎は同じ敷地の目の前にあり、どちらからもその存在を確認できる位置関係。
私はいつも複雑な心境だった。
こちら(児童養護施設)にいる子達は親といつも会えるわけじゃない。
あちら(保育園)の子達は毎日家に帰れる。毎日迎えにきてくれる保護者がいる。

児童養護施設にいる子達がかわいそうに見えてしまっていたのだ。比較な罠。無意味な罠。

ここにいる子達だって、毎日親に会いたいだろうな(様々な事情あるから、決してそうとは限らないかもしれないけどね)
親と一緒にご飯を食べて、お風呂に入って、今日はなにが楽しかった?とか話しを聞いてもらったり、同じ布団で眠ってみたり。
そういうことがしたいだろうなって。。。
(私の価値観の押し付け)
保育園の保護者が送迎する場面が目に入れば、どれだけ胸が締め付けられるだろう。

半年働いてみたけど、そんな思いがなかなか割り切れず、もやもやしたままだった。

保育園勤務となった私はまたパート採用され、どこのクラスにも補助で入るフリーとなった。
未満児〜年長児まで全てに入り、この時は昔の経験が活かされた気がした。

この園の年長組の主担任が素敵な方で仕事も出来て、自分は初めて、ああこういう保育者になりたいと思った。しかし、パートとは言え保育士。神経を使うし、身体も使う。体調面に不安を持ちながら、でもそんなこと気にしてられないと働いた。

パートから臨時へなり、3歳児の副担任になる。はっきり言って主担任とうまくやれなかった。連携が取れないのだ。報連相が難しいってやつ。運動会の中身を詰めなきゃいけない場面でも、自分の思いが伝えられない。対人面が怖くなった。話さなきゃ仕事にならない。身体が急激に悪化していった。。。

お腹がおかしい。身体も怠い。すごく痛んだり、ゆるくなって紙パンツを穿いてた日もあった。なぜか40度越える高熱が出ることも。
(もー、ここまで放置しまくった自分を殴りたいけど、そうするしかなかった自分もわかるから許します)12月、激しい嘔吐が止まらなくなり、2週間で5キロ以上減る。流石に親も「これはダメだ、病院に連れて行くから」と
元大学病院で消化器専門だった方の個人医院へ連れて行ってくれた(大晦日だったのに、I先生その節は大変ありがとうございました)

レントゲン撮影、I先生の診断
【胃の出口あたりが気になる。年明け、すぐ市立病院へ行って下さい。紹介状書きますから】との事だった。

その日から年明けまでの記憶があまりない苦笑

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