アメリカの黒人差別と進撃の巨人

ネタバレを含みます。
私の感想というか備忘録として投稿します。

本日tillという映画を映画館で観ました。
1955年にアメリカのミシシッピ州で起きた「エミット・ティル殺害事件」。
この事件や殺害されたエミット・ティルの母親の行動、そしてその裁判の判決が大きな話題となり、その後の公民権法やキング牧師らが率いた公民権運動につながっていき、最終的に2022年ようやくエミット・ティル反リンチ法が成立しました。リンチを憎悪犯罪と定義されました。

果たして成功例と言えるのか、報われたと言えるのか本当にもやもやする現実を見せつけられたなと思う内容でした。

映画の中では、「白人による黒人に対する差別」だけではなく、一人の黒人の命を奪ったのは白人に抵抗できない黒人の状況もあったということを上手に描かれていました。
例えば…
・エミット・ティルが誘拐されるときに犯人に抵抗できなかったエミット・ティルの叔父。彼は瞬間的に自分の息子が殺されるかもしれない、白人全員を敵に回すかもしれないと考え、行動できなかったとエミット・ティルの母親に訴えるシーンがあります。
・エミット・ティルのリンチに加わっていたとされる黒人3人。白人だけでなく白人に小作人として雇われている黒人も犯罪に加わっていたということです。彼らの発言などは描かれていなかったいませんでしたが、存在は描かれていた中で裁判にも登場しませんでした。
結局犯人を裁く裁判では、全員白人の陪審員評決にて犯人は無罪となり釈放されます。

白人VS黒人という二項対立であれば単純な差別ということができるかもしれないが、白人が頂点にたち黒人が下で抵抗できない構造、そしてそれが裁判所であったり権力側にも組み込まれてしまっている構造がある。その構造があるからこそ、黒人の敵は黒人という残酷なことが起きてしまい、全体で連帯できない、簡単には解決できない状態になってしまうという苦しさを映画の中で感じました。

最近、2週間かけて一気見した進撃の巨人にも同じ構造があったと思っています。
主人公エレンは島にいるエルディア人。そしてその敵は本土で差別され続けている同じ民族であるエルディア人であった。本来は同じ民族、同じ境遇であるエルディア人が連帯できれば救いがあったかもしれないが、それができないことを痛感したエレンは、「全員駆逐してやる」という強い意志の下、行動に出るというのが最後の方に描かれています。
この根深い・簡単に変えることができない構造に気づいてしまったとき、エレンは絶望する。そして強硬策に出てしまう。それが人類絶滅計画であり、人類を全員殺すことで歴史を完全になくしてしまうということ。
それはアニメの中では巨人になることができ、特殊な能力があるから可能な行為であった(称賛を受ける行動では全くないが)。
けれども、現実世界ではそんな人類や歴史をなくすことができない中でどう私たちは行動することができるのか…悶々と悩んだ一日でした。

この差別の構造をなくすためには、アルミンが言っていたように「対話」して、お互いが一人の人間であるということを知り学び理解するということなんだろう。けれども、そこまでに何人、何千人の人々が犠牲になっただろうか。そしてこの後にも生まれてしまうかもしれない。
その一人にエミット・ティルがいたことを忘れてはいけないし、それで深い悲しみのままいた身内の存在を忘れてはいけないのだろう。いつか報われることが来ることを願います。

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