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音楽活動の歴史をまとめます

僕は、今認知されている名義では2017年から活動しています。Puhyunecoという名前は散歩をしている時に思いついたものです。花や地面を見ている時に歩くスピードと共に思いつきました。当時は何もかもどうでも良かったので全てが適当であり、また作品を発表するペースが早かったです。2017年から2018年までが最も意欲的でありYouTubeに過去の作品があるので、ぜひ追体験してみてください。


この頃は全く人と関わることがありませんでした。むしろ1人であったが故にできたことかもしれません。僕は音楽を聴くのが好きでしたが、曲は作っていませんでした。しかしある日やってみるとできました。曲を作ることはできなかったのですが、DTMというものがある種の現実からの逃避として花開いたと思います。でも機械工学的な側面で言えば向いていないと思います。小さい頃から僕は内向的な表現主義者でした。絵を描くことが多かったし、その多くは油絵を塗っただけの絵です。人が時間を認識したり恐怖を感じたり、あるいは記憶や感情を司る部位と、夢や抽象表現ははっきりと似ています。また全ての音楽は抽象的だとも言えます。なぜかと言えば言語で説明できないからです。具体的に何が行われているのか理論的に説明することはできでもそれが何なのかはよくわかりません。お笑いも同じ類のものだと思っています。逆に言えば、建物は音楽やお笑いよりも具体的だと思います。料理や絵もまた同様に。そのような夢や抽象的思考の応用によって作曲が可能になりました。なにか理論的にあるいは体系的に作曲行為を理解しているわけではありません。何もわからなくてもいいし、理解と不理解は一匹のへびのように繋がっています。何もわからないが故に全てがわかる。またその逆もあります。自分にとっての作曲活動はそのような夢の2番目のような位置付けでした。現実的な生活は欠落していたので虚しいと思います。ある意味では時間を先取りして今この瞬間に召喚しているとも言えます。人間の脳が可能にした時間認識という分野の開拓です。不思議なもので、一次元的であればこの世界はもっとシンプルなのですが、時間という概念が導入されることによって一気に複雑化します。世界はちょうどキャベツのみじん切りのように複雑化していきます。2019年には4-6曲くらいしか作れなくなりました。この頃から自分の夢は覚め始めていたのかもしれません。そして2020年にEPをリリースしたのを機にもう精神が終わりました。そこで一度、時空への扉は閉ざされたのかもしれません。


それから、およそ3年前から治療をしていました。2021年からは薬を服用して制作をしています。当時制作していたものはSoundcloudにアップロードしてあります。この頃はまだ言語や思考が破裂していて精神も崩壊しています。2-3曲ありますが、本当は何曲か作りっぱなしで眠ったままになりました。当時のプロジェクトファイルを開いてみても怖いなと思います。ある意味ではこのときが一番精神的に尖っていたのかもしれません。


2022年から2023年までは健康の時代です。ちょうど3ヶ月くらい前には健康のピークを迎えました。皮肉なことに健康になると曲が作れなくなりました。J-POPや演歌を聴いていてもアンビエントみたいに聴こえます。すべてが曖昧で、走りながらシャッターを押した写真みたいな。この6年という月日はレンガのような重みを持って脳に積み重なっています。これをもう捨てたいと思うことがあります。結局何もかもどうでもいいと思いながらやるのが一番いいんです。匿名的な。自分にとってはこれもどうでもいいんです。新しいフォルダ3みたいな。Mixdown(3)みたいな。めちゃくちゃにするのが向いてるんです。何もかも。こんな自分を受け入れてくれる社会になってほしいし、ならなくてもそうなるように変えていきたいと思っています。

来年からは、破壊と再生の物語第二章が始まるのかもしれないし、それは皆さんに見せないのかもしれません。Youtubeチャンネルは一応あるので貼っておきます。

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