yomoyama Vol.2


4月にジョンが戻ってきたレッチリ新譜が出る!17曲!
楽しみすぎてBlack Summerを聴いて、わ、ジョン・フルシアンテ感じる!意識だったのですが、うっかり(でもないけれど)前ギターのジョシュのコメントを読んでしまい情緒がおかしくなってしまった。泣いちゃう。
 最高の当て馬ムーブになってしまっている。自分の書いた曲が採用されない、そこが面白いと思ったという部分とか、自分のプレイスタイルとレッチリのギターとしてのスタイルは両立できない部分がある感じの話とか、なんか…。黄金期を築いたジョンの存在の大きさを理解しているからこその葛藤と自分自身へのあきらめを感じてしまう。レッチリのギターポジションが背負う業の重さを感じる。ジョシュの書いた曲聴きたいな~。
ワールドツアーの前座見てマジでNY行きたくなった。今しか見れないものにお金払えない現実がきつ過ぎる。時間は待ってくれない。


最近よく「解像度が高い」という言い回しをよく使うが、解像度という単語、コンピューターやテレビのディスプレイによく使われる。それってここ50年くらいでしょう。少なくとも解像度という言葉を辞書で引いてもカメラなどにもともと使われていた用語なので、初めに使われたであろう年代も何となく察することができる。というか解像度、いわゆる画質に差が出始めてから初めて多用されるようになるのは明白なので、ここ20~30年くらいからじゃないか?ということを考えると、この「解像度が高まる」といった言い回しはかなり最近できたばっかりの言語だ。私のこの言い回しのイメージ的には「思い描いていた情景の細部が補完されていくこと」なので、意味合い的にもきれいにあてはまる良い表現だと思う。生活が発展することで常識が変化しているし、当然その中で新たに生まれる言葉があると思うと、言語は不確かだからこんなに面白いんだと思えていいな。

と考えながら1日仕事をしました。



冲方丁先生のペンネームの由来めっちゃかっこいい。頭がいい人って、情報をうまく集めて、うまくつなぎ合わせることができる人のことなんだろうなと最近感じる。私もそうありたいけれど、なんだかだんだん遠くなっていっている気がするなあ。


全部ここ2日くらいの話です。
また来ます



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