喪失と再生の映画たち

喪失を経験したものが受け入れるまでの映画について書きました。ネタバレしないように頑張ったのですが、すごく読みづらいですね。修行します。

雨の日は会えない、晴れた日は君を想う

ジェイクギレンホール主演の映画。私はこれを3回くらい観ているのだが、毎回泣いてしまう。タイトルの理由が最後にはわかります、爆泣ポイントです。


主人公デイヴィスは淡々と一般的に幸せと言われるような生活を送る。仕事にいきる。
彼はいつから妻と「本当の」話をしたのだろうか。彼の人生から段々と置いていかれてしまっている彼女のことが、みえていない生活。

彼は数秒前まで一緒にいた、自分に向けて話していた妻をすぐそばで失うことになる。


彼は破壊行為で死と向き合う。思い出があるはずの自宅を壊していく。


彼は次第に周りに寄り添うようになる、しかし、もう自分の愛を伝える相手も、思ってくれていた相手も目の前から消えてしまった。

向き合わざるを得ない事実から忘れたものを思い出すことは私にとっては死と等しい苦しみだと思うのです。
彼は忘れていた愛に気づいてしまった。


この事実が私の心を震わせているのかもしれない。私は人の気持ちのすれ違いや交差にとても弱いのです。
ジェイクギレンホールは最高です!



マンチェスター・バイ・ザ・シー

これは死が絶対的に、直接というほど直接に、自分を縛り付けている、自分が向き合うことでしか緩まることのない糸がある映画だと思っている。


ただ、別に完璧に解かなくても良いのだ、すべてを解いてしまったら、もうあの死のことは忘れてしまうよ、貴方は忘れてはならないのだよ。

正直この主人公には何回もイライラさせられるのだが、最後まで観ると、彼だからこの結論に至ったのだなと思えるストーリーなので頑張ってみて欲しい。正直甥っ子が一番かわいそう。
残されたものが死に翻弄されるのは至極当たり前だが、死に翻弄された人間にさらに翻弄されちゃうのは観てて悲しいものがあるね、責められないけれど。



サマーフィーリング

この映画は死と向き合うのに、破壊がない。
ただ淡々と亡くなった人の思い出がある地に、彼女との思い出がある人間が手をとって赴く。

亡くなってしまった女性の恋人と、女性の妹。

記憶から一つ一つを取り出し、飾り直す。

パリ、ニューヨーク、ベルリン、足を踏み入れると、彼女がよぎる。

永遠に観ていられる気持ちになる、青がそこにはあった。
時は流れることを忘れてしまう、ただこの場所が絵画のように見えても現実ということが、時間は止まらことはないということを際立たせている気がする。
16ミリフィルムの儚さも相まってか、この青も綺麗なまま、色褪せていくのだと思うのだ。


色褪せていくようなゆっくりさでいいのだ、心の穴を埋めていくことは。


喪失を埋めてくれるものは、必ずしも新しいパートナーではないのだ…答えは自分でしか出すことはできない。


私は思い出を思い出すという行為をすると、ビデオテープのようにだんだんとすり減ってしまうと感じる。だんだんと思い出せる場面が小さくなっていって、映像が途切れて、やがて写真のようになる。声が思い出せなくなる。


あの時の気持ちも途切れた部分と一緒に消え落ちてしまう。
それが悲しくて思い出すということ自体をやめてしまうことがある。思い出さなくても忘れてしまう、結局は忘れてしまう。


この映画はじゃあ、消えかけてる思い出を持ち寄って繋げてみたらと、私に提案してきた。

喪失と再生は対なのだろうか。


この映画は映像から音楽、セリフの量すべてが私には絶妙でただひたすら人の映画でした。大好き、、、。




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