僕が嫌いな「人脈」という言葉


目次

1.「行きたくない飲みの場だろうがそこは人脈づくりの場になる」といううんこみたいな考え

2.「使える人脈は使え」という人を物と捉えている超上から目線な浅い大人達

3.「人脈」ではなく「縁」

僕は現在24歳だが、年をとっていくにつれて
「人脈は大切にしろ」
という言葉をよく耳にする。

僕は「人脈」という言葉がどうもすきになれない。なぜだろう、なんかこう「人脈」という言葉には妙な下心を感じてしまう。

今日はそんな「人脈」ということばについて僕が感じることを述べていこう。



1.
「行きたくない飲みの場でもとりあえず行ってみろ、良い人脈が作れるかもしれないから。」と言われたことがある。

なんで行きたくない場に行かないといけないんだ。
「良い人脈」ってなんだ。
「作れる」ってなんだ。
そんなことを上から目線で口にしたからって大人になったと思ってるんじゃない。気持ちわりい。

まず、行きたくないのに行くという時点で
自分に嘘をついて相手に接することになる。
ということは、自分の利益になるのなら嘘をついてでもその人とのつながりをつくりたいということだ。めちゃめちゃ失礼だ。

行きたくない飲みの場なんか行かなくていい。

そんなのお金のことしか頭にないカブトムシみたいな肌の色をした全然面白くないクソビジネスマンがやることだ。震えるほど嫌いだ。

行きたくない飲みの場でもとりあえず行って、お偉いさんの機嫌をとって気に入られる俺って人間力高いわ〜、ビジネスセンス抜群だわ〜とか勘違いをしているのがまた気持ち悪い。
こういう奴らはだいたい海外旅行に行くことを
「自己投資」とか言う癖がある。

そういう奴らはそうやって嘘の性格で接してできたつながりを「良い人脈」と呼び、肩書きだけで人の優劣を判断するクソ薄っぺら人間なのだ。

デザインだけはいっちょ前な名刺をおもむろにとりだし、どこで習ったかしらない礼儀作法で名刺を交換し、「今日もいい営業ができたな〜。」とかお門違いなことを思いながら帰宅し、貰った名刺をみながらここぞとばかりに自慰行為に励むのだろう。

自分ひとりじゃなにもできません。なんの能力もありません。僕を可愛がってくれる人はいませんか?あなたの力で生きていきたいです。と言わんばかりに。

こんなことを言うと、じゃあお前は1人だけでなんでもできるんだな?という地元のヤンキーのような輩が出てくるだろうが、そんな低俗な質問はよしてくれ。愚問だ。

たしかに僕は1人ではなにもできないし誰かの支えがないと生きていけない。そんなことはお母さんのおっぱいを吸っている時からとっくにわかり切っていることだ。

そんな当たり前のことは前提に置いた上で言っている。
大切なのはどんな支えやつながりがあるかということだ。


2.
こんなことも言われたことがある。
「使える人脈は使った方がいいよ」

おっと、ここからは先は有料だ。今回もかなりR15な言い回しになってしまって反省している。しかしこれが本当の僕だ。だが最後の結論を見てやっと本当に言いたいことが伝わるはずだ。結論を知りたい奴と来月のクレジットカードの支払いをする時に後悔する覚悟のある奴だけ来なさい。

ここから先は

1,011字

¥ 300

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?