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日中サングラスが手放せない話

夏が本格的に到来し、日中の時間帯も長引いた。最近だと18時台開場のライブでもまだ外が明るいことも珍しくなくなりました。

日差しが出てる時間帯に外出している時、自分はサングラスをほぼ必ずと言っていいほど着用しています。ファッションアイテムというよりも、自分の目を守るためにかけています。


実は自分、生まれつき両目に重度の斜視がありました。両目の焦点が合わなかったり(目の向きが揃っていない、物が二重に見える)、僅かな日差しでも眩しすぎて目を瞑っていました。

当時、両親はただの眩しがりと思っていたこともあり自分含めて深く調べることはなかったです。しかしアメリカ在住の時期、10歳になって初めて眼鏡を作るタイミングで眼科に行った際に斜視が発覚しました。まさか目の病気をずっと患っていたのは誰も思っていなかったです。初診の目の検査の時点で先生は斜視の手術を勧めていました。

年齢的なこと、全身麻酔の大掛かりな手術になるため、私も両親も当初は手術に対しては後ろ向きでした。目玉をくり抜かれるんじゃないかと思うくらい自分にとっては恐怖しかなかったです。タイミング的に半年後、(当時自分は知らなかったが)親の仕事の関係で別の州に引っ越すことが決まっていたため手術をするかしないかじっくり考える余地はあまりなかったと思います。

ただ「このまま放っておくと脳に影響が出て色々目に支障が出る。」と両親は先生から言われたそうです。少なくとも手術をしないと駄目なくらい悪化していたのは事実だった。初診から1〜2ヶ月斜視を修正するトレーニングを毎日やっていたが改善することはなかったです。最終的に両親と先生と沢山話し合い、自分も手術に対して怖さがあるも前向きになったため受けることにしました。

斜視を手術をしたのは11歳の夏、アメリカの現地校が夏休みに入ってからでした。怖がらないようにと先生から羊のぬいぐるみを渡されたのは今でも覚えています。呼吸式の全身麻酔薬もバブルガムの香りになっていたなど、子供が手術を怖がらないように先生や看護師達がすごく優しく配慮していたことが伝わりました。

手術の実施〜意識回復までは多分2、3時間くらいでした。吐き気が抜けない中車椅子に乗せられて病室まで運ばれました。特に何もする気力はなく、病室内に置いてあったゼリーを食べることが精一杯でした。

アメリカは日本に比べて医療費(入院費)が高かったこともあり、意識回復してから2〜3時間にはもう帰されました。手術後は疲れや食欲の無さが続きましたが、1週間したら体調が元に戻りました。

しかし当時は現地校に加えて毎週土曜日に日本語の補習校に通っていたので(アメリカ的に)通常6月までの学校が補修校があることによって7月半までありました。

手術後のダウンタイムで両目の白目部分が赤く染まっていたのでこの状態で補修校に通うのが11歳にとっては精神的にキツかったです。特に赤みが引いて白目手前の黄色に徐々に変色するタイミングが1番辛く、なるべく周囲と目が合わないようにしてました。幸い引っ越す頃のタイミングで白目の赤みは完全に引きました。


ありがたいことに手術から20年経った今でも斜視の症状が再発することもなく、快適に日常生活を送られています。眼鏡の度数も10年くらいは変わっていないです。

しかし日中の日差しはどうしても眩しく感じてしまうため、今でも外出時はサングラスを手放せません。なので日中のライブは悪天候ではない限りほぼサングラスとマスクというビジュアルになります。正直サングラスがないと日中外出するのが怖いです。眼鏡の上に被せて着用するのでフレームとレンズも大きめになります。

まだご時世的にチャンスは少ないですが、もし今後野外での営業ライブがある時は環境によってサングラス着用での観覧になりそうです(芸人さんのためにもなるべくサングラスしないようにはしたいですが)。

アメリカでは周りの人もサングラスをかけているため気持ち的に楽でしたが、日本はあまりかける人がいないので周囲の目を気にする時もあります。特に仕事関連で誰かと外回りする時は一言お断りを入れてからサングラスをかけます。文化的に、イメージ的にかけない人が多いのか、偏見を恐れているのか、眩しくないのか気になります。

無理なお願いかもしれませんが、もし日中のライブの時サングラス+マスクの自分を見かけてもびっくりしないでくださると幸いです。その分声と身振り手振りで喜怒哀楽頑張ります(笑)。

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