理不尽な現実に負けたらいかん
例えば僕は仕事するだけで精一杯だし、お金を返すだけの毎日を繰り返している。
妻はいるけれど別居していて、今日も離婚の話をした。
公務員試験には(記念受験だったけれど)落ちたし、仕事夕飯睡眠だけの一日。
何も楽しみがないと言って過言ではない。
離婚したあといつか恋人ができるといいけれど、それも正社員になるか30歳になるかといった時期になると考えている。
僕はガリガリ自尊心を削られる日常で、ふと思った。
これは罠だ、ここで負けたらいかん、と。
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バンドのボーカルをしていた友達がいた。
彼が大学四年になり活動休止をするとき一度だけライブに足を運んだ。
そこで彼はMC(といって、曲と曲の合間に楽器を調整したりするつなぎみたいなもの)で、
「死んだらダメなんすよ。死んだら何も残らないから。生きてればなんかあるかもしれないじゃないっすか。死んだらゼロなんすよ。」
と語っていた。
僕は死にたいというきもちが少し強くて(そこは申し訳ない、そんな考えを持ちながらnoteを書くのは不誠実だと思っている)、長らく考えるだけで腑に落ちなかった。
それがつい最近少しわかった。
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ぶっちゃけ死にたい理由はわからない。
でも生きるために働くことを覚悟した。
お金を返すだけでも、とにかく僕の人生は僕が生きてみなければわからないのだ。
生きてればいいことあるよってそんなこと言われても僕にはわからないけれど、少なくとも人生なんて実際に生きてみなければわからない、ということを最近初めて知った。
(笑われるかもしれない。僕は将来のことを考えて必ず不幸のままだと感じていた。実際は地を這ってでも生きてみることでしか、僕が知りたいことはわからない。)
だから、死にたいという人には、もし少しでもあなた自身の将来が知りたいなら実際に生きてみろ、死ぬのは簡単だけど生きるのは難しい、どうせなら難しいことをした方がなんとなく良い感じがするだろ、と伝えたい。
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ここから本来書きたかったことを書く。
ツイッターで「ラブホのノートが闇」という文章と4枚の写真をみた。
しばらくツイッターをしていればそんなの見飽きるが、ふと思った。
死にたいと思うと(女性は特に)性的に自傷する傾向がある。
性と死にたさってどんな関係があるんだろう、と。
そこで仮説を立てたのが、死にたくなると人間は人間らしく生きることを(まず最初に)放棄してしまうのでは、ということである。
女性でいえば、男性に身を預けることで人間らしさを捨て、現実との違和を融合させているのではないかということ。
そう書くと抽象的かもしれない。
本来は「私はブスだから3000円」なんてラブホテルのノートには書かないと思う。(その言葉の意味がわからなければ18歳になって夜の街を散歩してみてくれ。)
その女性は、本当は本当に現実がどうしようもなかったのではないだろうか。
ブスだからといって、どうしようもない現実を受け入れるしかなかったのではないか。
それがわからないと言われると、僕はボキャブラリーの限界を感じるが、現実の厳しさに負けて自傷したくなることに僕はかなり共感してしまった。
だからこそ僕は、理不尽な現実に負けたらいかんと伝えたい。
現実は厳しいけれどそんなこと誰も教えてくれない。
ましてや生きることの難しさなんて誰も知らないフリをしてる。
だから僕が言いたい。
生きることは難しい。ただ息をするだけで金がかかる。だからとにかく生きること。
生きていると自己肯定感を削りに来るヤツらがわんさか湧いてくる。
とにかくそれに負けたらいかん。
とにかく毎日戦争だ。
僕は離婚も控えているから、精神的にいつまで生きていられるかわからない。
でもなんとなく何もなくても30歳までは生きてみたいと思う。
(変な日本語だけど)命を懸けて命の終わりを長くしてみる。
あなたも負けるんじゃないぜ。
僕といっしょに生きてみよう。
2019/11/16
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