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普通だから自然に続いていく

先週末は2日間に渡って合宿を行いました。
両日とも朝から夕方までみっちりと。

NBWの原理原則に沿って、わたしが17年行なってきた施術「相互循環」を通しての勉強会。様々な体感ワークを織り交ぜながら、昨年からスタートしたものです。

達成感・満足感がなく日常の延長

一般的な講習会やワークショップでは、「凄いことを学んだ!」「感動した!」など “「!」“ がつく空気感と共に、達成感・満足感を得る事が多いと思います。過去のわたしにもその経験が多々あります。

合宿というのはその典型で、その特別感から、テンションが上がって、みんなでワイワイという感じもあるかと思うのですが、今回の印象は「日常の延長」という感覚。全然特別なものじゃなく、少し驚いています。

メンバーによって、自分の過去や日常と共にじんわりと噛み締めていた方、なんとも言えない手応えのないモヤモヤにずっと唸っている方もいました。

すべての人が既に持っている本来の可能性について、対人で「今、感じていること」を1つ1つ身体を通して丁寧に確認をしたのですが、今もじんわりと広がり続けているその余韻には「!」や、非日常感はありません。

日常との間に差があると活かすのが難しい⁉︎

実はこれってすごく大事なポイントだと思っていて、何かを学んだ時、得られたものを日常に活かそうと思っても、その世界観と日常との間に差があるほど、終わった後に空虚感が生まれてしまったり、描いた理想とのギャップに悩まされてしまう事があります。

また「良いこと学んだ」という経験で満足させてしまい、そのまま忘れてしまうことも少なくないと思います。

そうなると、常に学んでいないと、自分が頑張っていない感覚になってしまったり、様々なものに参加しているのに、知識や情報ばかりが増え、体現できていないアンバランスが起こってしまいます。

これは今回のわたしの立場、主催者・講師側でも同様のことが起こる可能性があります。

普通だからいつの間にか自然に続いている

今までは多少なりとも、日常のリズムに戻るまでに期間を要していたのですが、今回は特に合宿モードにエンジンがかかっていたわけではないので、合宿を終えても日常との差がなく普通。

だからこそ、合宿での氣づきが、終わってからも日常の中でも続いていて、深くじんわりと入っていっている感覚です。

手応えがないこの「普通の状態」だからこそ、うわべではない深い自分のパターンや課題に氣づき、「やろう!継続しよう!」としなくても、常に感じ始め、それが自然と続いていき、そのまま仕事やプライベートの根っこの部分と繋がって、変化が自然と起こります。

今回イベントを通してもこうした時間を共に過ごせることを経験したことで、さらに「今が一番、そして死ぬ時が一番」に一歩ずつ進んで行ける氣がしました。

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