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【古代オリエントの統一】 古代オリエントの世界 10/14

前回まで

オリエント地域の
メソポタミア、
シュメール、アッカド
エジプト王朝の盛衰
東地中海地域の
アラム人フェニキア人ヘブライ人

地域ごとに見てきた。
主に王権、王朝、語族、を中心に
宗教、文化、地政、学問、制度、思想などに
触れてきた。

今回は
ついに
オリエントが統一される
どういう形になるのか
見て行こう。

アッシリア王国成立

首都はアシュル
場所は黒海の南東で
肥沃な三日月地帯の
真ん中あたりで
内陸貿易の要所になっていた。
ここを拠点に
アッシリア商人が
政治的にも力を増していき
きたメソポタミア一帯を
支配するアッシリア王国となっていく。
アッシリア王国は
覇権国家。
争いの中で誕生、という印象だが
覇権国家の意味は
いまいちわからない。

ミタンニ王国に

一度
フルリ人の作った
ミタンニ王国に征服されるが
(おそらく気候変動による)
民族移動(前12世紀)で
地域が混乱するどさくさで
国力を復活させる。

軍事国家へ

サルゴン2世のとき
紀元前8世紀後半
軍事国家になり
遠征を活発化していく。
サルゴンはヘブライ語で
アッカド語ではシャルキンという。
真の、王、という意味。
サルゴン1世とは無関係だが
意味的につながる。

軍事最盛期

サルゴン2世の子供
センナケリブ(そんな蹴るな)

バビロニアからシリアにかけて支配。
軍が強力だった
鉄製の武器、弓、
武装した歩兵、騎兵、戦車、
土木作業を行う工作兵など。
アシェルバルバニ王のころ
(前7世紀)
エジプトまで征服。
最盛期を迎える
大図書館も作っている。
文化的、とも言えるが
なにが蔵書されていたのだろう。

アッシリア内政

王権の君主制
王はアシュル神の代行者。
代弁ではないらしい。
政治、軍事、宗教、裁判も
王の元に。
政治は中央集権的な官僚制度で
広大な支配地域のため
駅伝制を使っていた。
駅伝制は
ガソリンスタンドみたいなイメージ。
また
強制捕囚政策をしていた。
ヘブライ人のバビロン捕囚も
これによる。
目的は
反乱の芽を摘むことことと
人材の流動。
人材は、軍人、職人、労働者をさす。

崩壊

アシュルバニバル王の治世が終わると
それまで
重税と圧政に不満を溜めてた者たちが
各地で反乱。
前612年、新バビロニア・メディア連合軍により
終了する。
こうした
連合軍の流れから
アッシリアが支配した
オリエント地域は
4王国が分立する。
エジプト
リディア(アナトリア)
新バビロニア(三日月)
メディア(イラン高原)

リディアでは
世界最古の金属貨幣が
使われていたようだ。

感想

ついに統一か!
と結構期待してたのに
あっさり崩壊した。
まああっさりと言っても
数百年(400年くらい)続いているので
江戸幕府よりは長いし
まあ頑張ったなという印象。
ただ
人々に平穏が訪れるわけではなく、
軍事国家になっていき
暮らしはよくならなかった。
アッシリア帝国民も
同じ思いだったのかもしれない。
統一されたら
安心して暮らせると思ったのに
なんだよ、
広すぎんだよ
分ければいんじゃない
分けようよ
もともと
文化的にも違うんだし。
って
分けてみて

結局アケメネス朝
ができるわけだし。
どうなることやら。

アケメネス、バルディア、ササン
と後少し。
その後は
ギリシャ、ローマに。
結構やったなーとおもって
目次を見ると

(−_−;)

まだ
全然端っこだった。
世界史Aをしてたら
ちょっとは違ったのかな。
世界史Bスタートの私。

遠い先は見ず
一歩ずつ
踏みしめていく。

学習法memo

久しぶりに白紙に書いてみた。
新しい地域が出るとどこが何なのかちょっと気になる。

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